古事記 / 下巻・赤猪子の八十年
爾令詔者。汝不嫁夫。今將喚而。還坐於宮。故其赤猪子。仰待天皇之命。既經八十歳。於是。赤猪子以爲。望命之間。已經多年。姿體痩萎。更無所恃。然非顯待情。不忍於悒而。令持百取之机代物。參出貢獻。然天皇既忘先所命之事。問其赤猪子曰。汝者誰老女。何由以參來。爾赤猪子答白。其年其月。被天皇之命。仰待大命。至于今日。經八十歳。今容姿既耆。更無所恃。然顯白己志。以參出耳。於是。天皇大驚曰。吾既忘先事。然汝守志待命。徒過盛年。是甚愛悲。心裏欲婚。憚其極老。不得成婚而。賜御歌。其歌曰。美母呂能。伊都加斯賀母登。由由斯伎加母。加志波良袁登賣。又歌曰。比氣多能。和加久流須婆良。和加久閇爾。韋泥豆麻斯母能。淤伊爾祁流加母。
新字:爾令詔者。汝不嫁夫。今将喚而。還坐於宮。故其赤猪子。仰待天皇之命。既経八十歳。於是。赤猪子以為。望命之間。已経多年。姿体痩萎。更無所恃。然非顕待情。不忍於悒而。令持百取之机代物。参出貢献。然天皇既忘先所命之事。問其赤猪子曰。汝者誰老女。何由以参来。爾赤猪子答白。其年其月。被天皇之命。仰待大命。至于今日。経八十歳。今容姿既耆。更無所恃。然顕白己志。以参出耳。於是。天皇大驚曰。吾既忘先事。然汝守志待命。徒過盛年。是甚愛悲。心裏欲婚。憚其極老。不得成婚而。賜御歌。其歌曰。美母呂能。伊都加斯賀母登。由由斯伎加母。加志波良袁登売。又歌曰。比気多能。和加久流須婆良。和加久閇爾。韋泥豆麻斯母能。淤伊爾祁流加母。
書き下し
ここに令詔りたまひしく、「汝は夫に嫁はざれ。今喚してむ」とのりたまひて、宮に還り坐しき。故、その赤猪子、天皇の命を仰ぎ待ちて、既に八十歳を経たり。ここに赤猪子以為へらく、「命を望ぎし間に、已に多くの年を経て、姿体痩せ萎みて、更に恃む所無し。然れども待てる情を顕さずは、悒きに忍びじ」とおもひて、百取の机代の物を持たしめて、参ゐ出でて貢献りき。然れども天皇、既に先に命ぜしことを忘れて、その赤猪子に問ひて曰く、「汝は誰が老女ぞ。何の由にか参ゐ来し」とのりたまひき。ここに赤猪子、答へて白さく、「その年その月、天皇の命を被りて、大命を仰ぎ待ちて、今日に至るまで八十歳を経たり。今は容姿既に耆いて、更に恃む所無し。然れども己が志を顕し白さむとして、参ゐ出でしのみ」とまをしき。ここに天皇、大きに驚きて曰く、「吾は既に先のことを忘れき。然れども汝は志を守り命を待ちて、徒に盛りの年を過ぐしつ。これ甚愛しく悲し」とのりたまひて、心の裏に婚はむと欲ひたまへども、その極めて老いたるを憚りて、婚ひを成すこと得ずして、御歌を賜ひき。その歌に曰く、「みもろの 厳白檮が下 ゆゆしきかも 白檮原嬢子」。また歌ひて曰く、「引田の 若栗栖原 若くへに 率寝てましもの 老いにけるかも」。
現代語訳
天皇は、「おまえは夫に嫁ぐな。今に召そう」と言って、宮に帰りました。そこで赤猪子は天皇の命令を待ち続け、すでに八十年が過ぎました。赤猪子は、「お言葉を待つうちに、もう多くの年が過ぎ、姿は痩せ衰えて、頼れるものがありません。それでも待っていた心を示さなければ、気がふさいで耐えられない」と思い、たくさんの贈り物を持たせて参上し、献上しました。しかし天皇は先に命じたことをすっかり忘れて、赤猪子に尋ねました。「おまえはどこの老女か。どういう理由で来たのか」。赤猪子は答えました。「某年某月、天皇のお言葉をいただき、仰せを待って、今日まで八十年が過ぎました。今は姿もすっかり老い、頼れるものもありません。それでも私の志を申し上げようと思い、参上しただけです」。天皇は大いに驚き、「私はすっかり以前のことを忘れていた。けれどもおまえは志を守り、命令を待って、むなしく盛りの年を過ごしてしまった。これはたいへん愛しく悲しいことだ」と言い、心の中では結婚したいと思ったのですが、あまりに年老いているので憚って、結婚することができず、歌を賜りました。「三諸の神聖な白檮の木の下は恐れ多いことだ。白檮原の乙女よ」。また歌いました。「引田の若い栗林のように、若いうちに共寝をすればよかったのに、年老いてしまったなあ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』下巻・赤猪子の返歌と吉野の童女ここに赤猪子の泣く涙、悉くその服せる丹摺の袖を湿らしつ。その大御歌に答へて歌ひて曰く、「みもろに 築くや玉垣 築き余し 誰にかも依らむ 神の宮人」。また歌ひて曰く、「日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」。ここに多祿をその老女に給ひて、返し遣はしたまひき。故、この四つの歌は志都歌なり。天皇、吉野宮に幸行でましし時、吉野川の浜に、童女有り。その形姿美麗し。故、この童女を婚ひて、宮に還り坐しき。後に更にまた吉野に幸行でましし時、その童女の遇ひし所に留まりて、その処に大御呉床を立てて、その御呉床に坐して、御琴を弾きて、その嬢子に儛せしめたまひき。ここにその嬢子の好く儛ふに因りて、御歌を作りたまひき。その歌に曰く、「呉床居の 神の御手もち 弾く琴に 舞する女 常世にもがも」。即ち阿岐豆野に幸して、御獦したまふ時、天皇、御呉床に坐しき。ここに蝱、御腕を咋ひき。即ち蜻蛉来て、その蝱を咋ひて飛びき。(蜻蛉を訓みて阿岐豆と云ふ。)ここに御歌を作りたまひき。
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『古事記』下巻・犬の贈り物と赤猪子故、その火を著くることを止めしめたまひき。即ちその若日下部王の許に幸行でまして、その犬を賜ひ入れて、令詔りたまひしく、「この物は、今日道に得つる奇しき物なり。故、都摩杼比(この四字は音を以てす)の物」と云ひて、賜ひ入れたまひき。ここに若日下部王、天皇に奏さしめたまひしく、「日に背きて幸行でましし事、甚恐し。故、己直に参上りて仕へ奉らむ」とまをさしめたまひき。ここを以て宮に還り上り坐す時、その山の坂の上に行き立ちて、歌ひて曰く、「日下辺の こちの山と 畳薦 平群の山の こちごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫 本には 生く美竹生ひ 末辺には たし美竹生ひ 生く美竹 いくみは寝ず たし美竹 たしには率寝ず 後も組み寝む その思ひ妻 あはれ」。即ちこの歌を持たしめて、使を返したまひき。また一時、天皇遊行でまして、美和河に到りし時、河の辺に衣洗ふ童女有り。その容姿甚麗しかりき。天皇、その童女に問ひたまひしく、「汝は誰が子ぞ」とのりたまひき。答へて白さく、「己が名は引田部赤猪子と謂ふ」とまをしき。
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『古事記』中巻・矢河枝比売との出会い一時、天皇、近つ淡海の国に越え幸でましし時、宇遅野の上に御立ちして、葛野を望けて、歌ひて曰く、「千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ」。故、木幡の村(山城国宇治郡)に到り坐しし時、麗美しき嬢子、その道衢に遇へり。ここに天皇、その嬢子に問ひて曰く、「汝は誰が子ぞ」とのりたまへば、答へて白さく、「丸邇之比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売」とまをしき。天皇すなはちその嬢子に詔りたまはく、「吾、明日還り幸でます時、汝が家に入り坐さむ」とのりたまひき。故、矢河枝比売、委曲にその父に語りき。ここに父答へて曰く、「これは天皇にますなり。恐し。我が子仕へ奉れ」と云ひて、その家を厳餝りて候ひ待てば、明日入り坐しき。故、大御饗を献る時、その女矢河枝比売に、大御酒盞を取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌に曰く、「この蟹や いづくの蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅島 み島に着き 鳰鳥の 潜き息づき しなだゆふ 楽浪道を すくすくと 我が行ませばや 木幡の道に 遇はしし嬢子 後方は 小楯ろかも 歯並みは 椎菱如す 櫟井の 丸邇坂の土を 初土は 膚赤らけみ 底土は 丹黒きゆゑ 三つ栗の その中つ土を 頭著く 真火には当てず 眉画き 濃に画き垂れ 遇はしし女 かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 向ひ居るかも い副ひ居るかも」。かく御合したまひき。
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『古事記』下巻・口子臣の歌と雨中の嘆願また、丸邇臣口子を続けて遣はして、歌ひて曰く、「みもろの その高きなる 大韋子が 腹の 大韋子が 腹にある 肝向かふ 心をだにか 相思はずあらむ」。また歌ひて曰く、「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ」。故、この口子臣、この御歌を白す時、大雨降りき。ここにその雨を避けず、前の殿戸に参り伏せば後の戸に違ひ出で、後の殿戸に参り伏せば前の戸に違ひ出づ。ここに匍匐ひ進み赴きて、庭の中に跪く時、水潦腰に至りき。その臣、紅の紐著けたる青摺の衣を服たり。故、水潦、紅の紐に拂れて、青みな紅の色に変はりき。ここに口子臣の妹、口日売、大后に仕へ奉れり。故、この口日売歌ひて曰く、「山城の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも」。ここに太后、その由を問ひたまふ時、答へて白さく、「僕の兄、口子臣なり」とまをしき。ここに口子臣、(原文はここで途切れる)
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『古事記』下巻・三重の采女と百枝槻故、御歌を作りたまひき。その御歌に曰はく、「袁登賣の い隠る岡を 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥ぬるもの」。故、その岡を号けて、金鉏岡と謂ふ。又、天皇、長谷の百枝槻の下に坐して、豊楽したまひし時、伊勢国の三重の婇、大御盞を指し挙げて献りき。爾にその百枝槻の葉落ちて、大御盞に浮かびき。その婇、落葉の盞に浮かべるを知らずて、猶し大御酒を献りき。天皇、その盞に浮かべる葉を看行はして、その婇を打ち伏せ、刀を以ちてその頸に刺し充てて、斬らむとしたまふ時、その婇、天皇に白して曰さく、「吾が身を殺したまふこと莫かれ。白すべき事あり」とまをして、即ち歌ひて曰はく、「纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日影る宮 竹の根の 根垂る宮 木の根の 根蔓ふ宮 八百土よし い築きの宮 真木栄く 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る 槻が枝は 上つ枝は 天を覆へり 中つ枝は 東を覆へり 下枝は 鄙を覆へり 上つ枝の 枝の末葉は 中つ枝に 落ち触らばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下枝に 落ち触らばへ 下枝の 枝の末葉は あり衣の 三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ち水押ひ 水こをろこをろに これしも あやに畏し 高光る 日の御子 事の 語り言も こをば」。
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『古事記』中巻・老人と美夜受の歌爾してその御火焼(みひたき)の老人、御歌に続ぎて歌ひて曰はく、「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」。ここをもちてその老人を誉めて、即ち東国造を給ひき。その国より科野国に越え、乃ち科野の坂の神を言向けて、尾張国に還り来て、先の日に期(ちぎ)りし美夜受比売の許に入り坐しき。ここに大御食を献る時に、その美夜受比売、大御酒盞(おほみきさかづき)を捧げて献りき。爾してその美夜受比売、その意須比(おすひ)の襴(すそ)に月経著きき。かれその月経を見て、御歌に曰はく、「ひさかたの 天の香具山 利鎌(とがま)に さ渡る鵠(くび) ひはぼそ たわや腕(がひな)を 枕(ま)かむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど 汝が著せる 襲衣(おすひ)の襴に 月立ちにけり」。爾して美夜受比売、御歌に答へて曰はく、「高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経(きふ)れば あらたまの 月は来経往く 諾(うべ)な諾な 君待ちがたに 我が著せる 襲衣の襴に 月立たなむよ」。

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