古事記 / 下巻・曽婆訶理の誅殺
亦令詔。然者。今還下而。殺墨江中王而上來。彼時吾必相言。故即還下難波。欺所近習墨江中王之隼人。名曾婆加理云。若汝從吾言者。吾爲天皇。汝作大臣。治天下。那何。曾婆訶理答白。隨命。爾多祿給其隼人曰。然者殺汝王也。於是。曾婆訶理。竊伺己王入廁。以矛刺而殺也。故率曾婆訶理。上幸於倭之時。到大坂山口。以爲曾婆訶理。爲吾雖有大功。既殺己君。是不義。然不賽其功。可謂無信。既行其信。還惶其情。故雖報其功。滅其正身。是以詔曾婆訶理。今日畱此間而。先給大臣位。明日上幸。畱其山口。即造假宮。忽爲豐樂。乃於其隼人。賜大臣位。百官令拜。隼人歡喜。以爲遂志。爾詔其隼人。今日與大臣。飲同盞酒。共飲之時。隱面大鏡。盛其進酒。
新字:亦令詔。然者。今還下而。殺墨江中王而上来。彼時吾必相言。故即還下難波。欺所近習墨江中王之隼人。名曽婆加理云。若汝従吾言者。吾為天皇。汝作大臣。治天下。那何。曽婆訶理答白。随命。爾多禄給其隼人曰。然者殺汝王也。於是。曽婆訶理。窃伺己王入廁。以矛刺而殺也。故率曽婆訶理。上幸於倭之時。到大坂山口。以為曽婆訶理。為吾雖有大功。既殺己君。是不義。然不賽其功。可謂無信。既行其信。還惶其情。故雖報其功。滅其正身。是以詔曽婆訶理。今日畱此間而。先給大臣位。明日上幸。畱其山口。即造仮宮。忽為豊楽。乃於其隼人。賜大臣位。百官令拝。隼人歓喜。以為遂志。爾詔其隼人。今日与大臣。飲同盞酒。共飲之時。隠面大鏡。盛其進酒。
書き下し
また令詔りたまひしく、「然らば、今還り下りて、墨江中王を殺して上り来。その時、吾必ず相言はむ」とのりたまひき。故、即ち難波に還り下りて、墨江中王に近習ふ隼人、名は曽婆加理を欺きて云ひしく、「もし汝、吾が言に従はば、吾天皇と為りて、汝を大臣と作して、天下を治らしめむ。那何」といひき。曽婆訶理、答へて白さく、「命のまにまに」とまをしき。ここに多祿を其の隼人に給ひて曰く、「然らば汝の王を殺せ」といひき。ここに曽婆訶理、竊かに己が王の廁に入るを伺ひて、矛を以て刺して殺しき。故、曽婆訶理を率て、倭に上り幸でます時、大坂山口に到りて、以為へらく、「曽婆訶理、吾が為に大き功有れども、既に己が君を殺せり。これ不義なり。然れどもその功を賽はざれば、信無しと謂ひつべし。既にその信を行はば、還りてその情を惶る。故、その功を報ゆれども、その正身を滅ぼさむ」とおもほして、ここに曽婆訶理に詔りたまひしく、「今日はここに畱まりて、先づ大臣の位を給ひ、明日上り幸でむ」とのりたまひて、その山口に畱まり、即ち仮宮を造りて、忽ちに豊楽して、乃ちその隼人に大臣の位を賜ひて、百官をして拝ましめたまひき。隼人歓喜びて、志を遂げぬと以為へり。ここにその隼人に詔りたまひしく、「今日は大臣と、同じ盞の酒を飲まむ」とのりたまひて、共に飲む時、面を隠せる大鋺に、その進める酒を盛りたまひき。
現代語訳
天皇はさらに水歯別命に命じられました。「それなら今、難波へ戻って墨江中王を殺して来なさい。その時には必ず会おう」。水歯別命は難波に戻り、墨江中王の近習の隼人で曽婆加理という者を欺いて言いました。「もしおまえが私の言葉に従うなら、私が天皇となり、おまえを大臣にして天下を治めさせよう。どうだ」。曽婆訶理は、「仰せのままに」と答えました。そこで多くの褒美を与え、「では、おまえの主君を殺せ」と言いました。曽婆訶理はひそかに主君が厠に入るのを待ち、矛で刺して殺しました。そして曽婆訶理を連れて倭へ上る時、大坂山口に着いて水歯別命は考えました。「曽婆訶理は私のために大きな功績があるが、自分の主君を殺した。これは不義である。だがその功に報いなければ、信義がないと言われる。約束を果たせば、かえってその心が恐ろしい。功には報いるが、その身は滅ぼそう」。そこで曽婆訶理に、「今日はここに留まり、まず大臣の位を授け、明日上ろう」と言い、山口に仮の宮を造り、急に宴を開いて、その隼人に大臣の位を与え、百官に拝ませました。隼人は喜び、志を遂げたと思いました。そこで、「今日は大臣と、同じ杯の酒を飲もう」と言い、共に飲む時に、顔を隠してしまう大きな鋺に、差し出す酒を盛りました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』下巻・近つ飛鳥と遠つ飛鳥ここに王子先づ飲み、隼人後に飲む。故、その隼人飲む時、大鋺面を覆へり。ここに席の下に置きし剣を取り出でて、その隼人の頸を斬りたまひき。乃ち明日上り幸でましき。故、その地を号けて近つ飛鳥と謂ふ。倭に上り到りて、詔りたまひしく、「今日はここに畱まりて、祓禊を為して、明日参り出でて、神宮を拝まむ」とのりたまひき。故、その地を号けて遠つ飛鳥と謂ふ。故、石上神宮に参り出でて、天皇に奏さしめたまひしく、「政既に平け訖へて、参上り侍ふ」とまをさしめたまひき。ここに召し入れて相語りたまひき。天皇ここに阿知直を以て、始めて蔵官に任じ、また粮地を給ひき。またこの御世に、若桜部臣等に若桜部の名を賜ひ、また比賣陀君等に姓を賜ひて比賣陀の君と謂ひき。また伊波礼部を定めたまひき。天皇の御年、六十四歳。(壬申の年の正月三日に崩りましき。)御陵は毛受に在り。
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『古事記』中巻・沙本毘古の謀反と后の涙爾(そ)して沙本毘古王謀(はか)りて曰はく、「汝(いまし)まことに我を思ひ愛(うつく)しむ者ならば、吾と汝と天の下を治めむ」といひて、即ち八塩折(やしおをり)の紐小刀(ひもがたな)を作りて、その妹に授けて曰はく、「この小刀をもちて、天皇の寝(い)ねたるを刺し殺せ」といふ。かれ天皇その謀を知らずして、その后の御膝を枕(ま)きて、御寝(みね)坐(ま)しき。爾してその后、紐小刀をもちて、その天皇の御頸を刺さむとして、三度挙げしが、哀(かな)しき情に忍びず、頸を刺すこと能はずて、泣く涙御面に落ち溢れき。乃ち天皇驚き起きて、その后に問ひて曰はく、「吾は異(あや)しき夢を見つ。沙本(さほ)(城上)の方より暴雨(にはかあめ)降り来て、急(にはか)に吾が面を濡らす。また錦色の小蛇、我が頸に纒(まつ)はり繞(めぐ)る。かくの夢は、これ何の表(しるし)ならむ」と。爾してその后、争ふべからずと以為(おも)ひて、即ち天皇に白して言はく、「妾(われ)の兄沙本毘古王、妾に問ひて、『夫(せ)と兄とは孰(いづれ)か愛(うつく)しき』といひき。これ面(まのあた)り問ふに勝(あ)へざる故に、妾答へて『兄を愛しけむ』と曰ひき。爾して妾に誂(あつら)へて『吾と汝と共に天の下を治めむ。かれ当に天皇を殺すべし』と云ひて、八塩折の紐小刀を作りて、妾に授けき。ここをもちて御頸を刺さむと欲(し)て、三度挙げたりといへども、哀しき情忽ちに起こりて、頸を刺すこと得ずて、泣く涙落ちて、御面を濡らしき。必ずこの表あらむ」とまをしき。爾して天皇詔りたまひしく、「吾は殆(ほとほと)欺かれつるかも」とのりたまひて、乃ち軍を興して沙本毘古王を撃ちたまひし時、
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『古事記』下巻・忍歯王の殺害と二王その立てる足は、荻原の如く、指し挙げたる角は、枯れ樹の如し」とまをしき。この時、市辺之忍歯王を相率て、淡海に幸行でまして、その野に到りしかば、各異に仮宮を作りて宿りたまひき。ここに明くる旦、未だ日の出でざる時、忍歯王、平き心を以て、御馬のまにまに、大長谷王の仮宮の傍に到り立ちて、その大長谷王子の御伴人に詔りたまひしく、「未だ寤め坐さず。早く白すべし。夜既に曙け訖んぬ。猟庭に幸すべし」とのりたまひて、乃ち馬を進めて出で行きたまひき。ここに大長谷王に侍ふ御所の人等白さく、「うたて物言ふ王子(宇多豆の三字は音を以てす)なり。故、慎むべし。また宜しく御身を堅めたまふべし」とまをして、即ち衣の中に甲を服、弓矢を取り佩きて、馬に乗りて出で行きたまひき。倏忽の間に、馬より往き雙びて、矢を抜き、その忍歯王を射落として、乃ちまたその身を切りて、馬槽に入れて、土と等しく埋みたまひき。ここに市辺王の王子等、意富祁王、袁祁王、二柱、この乱を聞きて逃げ去りたまひき。故、山代の苅羽井に到りて、御粮を食す時、面に黥ある老人来て、その粮を奪ひき。ここにその二王言ひしく、「粮は惜しまず。然れども汝は誰人ぞ」とのりたまひき。答へて曰く、「我は山代の猪甘なり」といひき。故、逃げて玖須婆の河を渡り、針間国に至りて、その国人、名は志自牟が家に入りて、身を隠し、馬甘牛甘に役はれたまひき。
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『古事記』下巻・多遅比野から石上神宮へここに阿知直、白さく、「墨江中王、火を大殿に著けつ。故、率て倭に逃げ幸でます」とまをしき。ここに天皇歌ひて曰く、「多遅比野に 寝むと知りせば 立薦も 持ちて来ましもの 寝むと知りせば」。波邇賦坂(河内国丹南郡に在り)に到りて、難波宮を望み見たまへば、その火なほ炳なりき。ここに天皇また歌ひて曰く、「波邇布坂 吾が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群 妻が家のあたり」。故、大坂山口に幸し到りし時、一人の女人に遇ひたまひき。その女人の白さく、「兵を持てる人等、多にこの山に塞けり。当岐麻道より廻りて越え幸でますべし」とまをしき。ここに天皇歌ひて曰く、「大坂に 遇ふや嬢子を 道問へば 直には告らず 当芸麻路を告る」。故、上り幸でまして、石上神宮に坐しき。ここにその伊呂弟水歯別命、参赴きて謁さむと令めたまひき。ここに天皇、令詔りたまひしく、「吾、汝命を疑ふ。もし墨江中王と心を同じくせるか。故、相言はじ」とのりたまひき。答へて白さく、「僕は穢き邪き心無し。また墨江中王と同じからず」とまをしき。
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『古事記』上巻・兄の服従と隼人の起こりその兄下田を作らば、汝命は高田を営りたまへ。然したまはば、吾水を掌れる故に、三年の間、必ずその兄貧窮しくなりなむ。もしその然したまふ事を恨み怨みて、攻め戦はば、塩盈珠を出だして溺らし、もしそれ愁へ請さば、塩乾珠を出だして活かし、かく惚まし苦しめたまへ」と云ひて、塩盈珠・塩乾珠并せて両箇を授けき。即ち悉に和邇魚を召し集へて、問ひて曰ひしく、「今、天津日高の御子、虚空津日高、上つ国に出幸でまさむとす。誰は幾日に送り奉りて覆奏さむ」といひき。故、各己が身の尋長の随に、日を限りて白す中に、一尋和邇白ししく、「僕は一日に送りて、即ち還り来なむ」とまをしき。故、ここにその一尋和邇に告げしく、「然らば汝送り奉れ。もし海中を渡る時、惶畏ましむること無かれ」といひて、即ちその和邇の頸に載せて送り出しき。故、期りしが如く、一日の内に送り奉りき。その和邇を返さむとする時に、佩かせる紐小刀を解きて、その頸に著けて返したまひき。故、その一尋和邇は、今に佐比持神と謂ふなり。ここを以ちて備さに海神の教へ言の如くして、その鉤を与へき。故、それより以後、稍く愈よ貧しくなりて、更に荒き心を起こして迫め来。攻めむとする時は、塩盈珠を出だして溺らし、それ愁へ請さば、塩乾珠を出だして救ひ、かく惚まし苦しめたまふ時に、稽首白ししく、「僕は今より以後、汝命の昼夜の守護人となりて仕へ奉らむ」とまをしき。
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『古事記』中巻・忍熊王との戦いここに香坂王、歴木に騰り坐して見たまふに、大きに怒れる猪出でて、その歴木を掘りて、すなはちその香坂王を咋ひ食ひき。その弟忍熊王、その態に畏れずて、軍を興して待ち向かへし時、喪船に赴きて、空船を攻めむとす。ここにその喪船より軍を下して相戦ひき。この時、忍熊王は難波吉師部の祖、伊佐比宿禰を将軍と為し、太子の御方は、丸邇臣の祖、難波根子建振熊命を将軍と為たまひき。故、退き退きて、山代に到りし時、還り立ちて、各退かずして相戦ひき。ここに建振熊命、権りて、令へて云はしむらく、「息長帯日売命は既に崩りましぬ。故、更に戦ふべきことなし」といひて、すなはち弓の絃を絶ち、欺きて陽り帰服しき。ここにその将軍、既に詐りを信じき。ここに弓を弭し兵を蔵めき。ここに頂髪の中より、設弦を探り出し、更に張りて追ひ撃ちき。故、逢坂に逃げ退きて、対ひ立ちてまた戦ひき。ここに追ひ迫めて敗り、沙沙那美に出でて、悉にその軍を斬りき。ここにその忍熊王と伊佐比宿禰と、共に追ひ迫められ、船に乗りて海に浮かび、歌ひて曰く、「いざ吾君 振熊が 痛手負はずは 鳰鳥の 淡海の海に 潜きせなわ」といひて、すなはち海に入りて、共に死にき。

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