古事記 / 上巻・兄の服従と隼人の起こり
其兄作下田者。汝命營高田。爲然者。吾掌水故。三年之間。必其兄貧窮。若恨怨其爲然之事而。攻戰者。出鹽盈珠而溺。若其愁請者。出鹽乾珠而活。如此令惚苦云。授鹽盈珠鹽乾珠并兩箇。即悉召集和邇魚。問曰。今天津日高之御子。虛空津日高。爲將出幸上國。誰者幾日送奉而覆奏。故各隨己身之尋長。限日而白之中。一尋和邇白。僕者一日送即還來。故爾告其一尋和邇。然者汝送奉。若渡海中時。無令惶畏。即載其和邇之頸送出。故如期一日之內送奉也。其和邇將返之時。解所佩之紐小刀。著其頸而返。故其一尋和邇者。於今謂佐比持神也。是以備如海神之敎言。與其鉤。故自爾以後。稍兪貧。更起荒心迫來。將攻之時。出鹽盈珠而令溺。其愁請者。出鹽乾珠而救。如此令惚苦之時。稽首白。僕者自今以後。爲汝命之晝夜守護人而仕奉。
新字:其兄作下田者。汝命営高田。為然者。吾掌水故。三年之間。必其兄貧窮。若恨怨其為然之事而。攻戦者。出塩盈珠而溺。若其愁請者。出塩乾珠而活。如此令惚苦云。授塩盈珠塩乾珠并両箇。即悉召集和邇魚。問曰。今天津日高之御子。虚空津日高。為将出幸上国。誰者幾日送奉而覆奏。故各随己身之尋長。限日而白之中。一尋和邇白。僕者一日送即還来。故爾告其一尋和邇。然者汝送奉。若渡海中時。無令惶畏。即載其和邇之頸送出。故如期一日之内送奉也。其和邇将返之時。解所佩之紐小刀。著其頸而返。故其一尋和邇者。於今謂佐比持神也。是以備如海神之教言。与其鉤。故自爾以後。稍兪貧。更起荒心迫来。将攻之時。出塩盈珠而令溺。其愁請者。出塩乾珠而救。如此令惚苦之時。稽首白。僕者自今以後。為汝命之昼夜守護人而仕奉。
書き下し
その兄下田を作らば、汝命は高田を営りたまへ。然したまはば、吾水を掌れる故に、三年の間、必ずその兄貧窮しくなりなむ。もしその然したまふ事を恨み怨みて、攻め戦はば、塩盈珠を出だして溺らし、もしそれ愁へ請さば、塩乾珠を出だして活かし、かく惚まし苦しめたまへ」と云ひて、塩盈珠・塩乾珠并せて両箇を授けき。即ち悉に和邇魚を召し集へて、問ひて曰ひしく、「今、天津日高の御子、虚空津日高、上つ国に出幸でまさむとす。誰は幾日に送り奉りて覆奏さむ」といひき。故、各己が身の尋長の随に、日を限りて白す中に、一尋和邇白ししく、「僕は一日に送りて、即ち還り来なむ」とまをしき。故、ここにその一尋和邇に告げしく、「然らば汝送り奉れ。もし海中を渡る時、惶畏ましむること無かれ」といひて、即ちその和邇の頸に載せて送り出しき。故、期りしが如く、一日の内に送り奉りき。その和邇を返さむとする時に、佩かせる紐小刀を解きて、その頸に著けて返したまひき。故、その一尋和邇は、今に佐比持神と謂ふなり。ここを以ちて備さに海神の教へ言の如くして、その鉤を与へき。故、それより以後、稍く愈よ貧しくなりて、更に荒き心を起こして迫め来。攻めむとする時は、塩盈珠を出だして溺らし、それ愁へ請さば、塩乾珠を出だして救ひ、かく惚まし苦しめたまふ時に、稽首白ししく、「僕は今より以後、汝命の昼夜の守護人となりて仕へ奉らむ」とまをしき。
現代語訳
兄が低い田を作ったら、あなたは高い田を作りなさい。そうすれば、私が水を司っているので、三年の間に必ず兄は貧しくなるでしょう。もし兄がそうされたことを恨み、攻めて戦いを仕掛けてきたら、塩盈珠を出して溺れさせ、もし兄が嘆いて許しを請うたら、塩乾珠を出して助け、このように悩ませ苦しめなさい」。こう言って、塩盈珠と塩乾珠の二つを授けました。さらにすべての鰐を召し集めて尋ねました。「今、天津日高の御子の虚空津日高が、地上の国に出向こうとしている。誰が何日で送り届けて報告できるか」。それぞれの鰐は自分の身の丈に応じて日数を区切って申し上げる中で、一尋の鰐が、「私は一日で送り届けて、すぐに戻って参ります」と答えました。そこで一尋の鰐に、「それならばお前が送れ。海の中を渡るとき、恐ろしい思いをさせてはならない」と告げ、その鰐の首に乗せて送り出しました。約束どおり、一日のうちに送り届けました。その鰐を返すとき、腰につけていた紐つきの小刀を解いてその首につけて返しました。そのため、この一尋の鰐は今でも佐比持神と呼ばれています。こうして、海神の教えどおりにして、その釣針を兄に返しました。それ以降、兄はしだいにいよいよ貧しくなり、荒々しい心を起こして攻めて来ました。攻めてこようとするときは塩盈珠を出して溺れさせ、嘆いて許しを請えば塩乾珠を出して救い、このように悩ませ苦しめていると、兄は頭を下げて言いました。「私は今から後、あなたの昼夜の守護人となってお仕えします」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』上巻・海佐知と山佐知の交換ここに火遠理命、その兄火照命に謂ひしく、「各さちを相易へて用ゐむと欲ふ」といひて、三度乞ひしかども許さざりき。然れども遂に纔かに相易ふること得たり。ここに火遠理命、海佐知を以ちて魚を釣るに、都て一つの魚だに得ず。またその鉤を海に失ひき。ここにその兄火照命、その鉤を乞ひて曰ひしく、「山佐知も己が佐知佐知、海佐知も己が佐知佐知。今は各さちを返さむと謂ふ」(佐知の二字は音を以ちてす)といひし時、その弟火遠理命答へて曰ひしく、「汝の鉤は、魚を釣るに一つの魚も得ずて、遂に海に失ひつ」といひき。然るにその兄、強ひて乞ひ徴りき。故、その弟、御佩の十拳剣を破りて、五百鉤を作りて償ひしかども取らず、また一千鉤を作りて償ひしかども受けずして、「猶その正本の鉤を得む」と云ひき。ここにその弟、泣き患へて海辺に居りし時、塩椎神来て問ひて曰ひしく、「何ぞ虚空津日高の泣き患ふる所由は」といひき。答へて言ひしく、「我、兄と鉤を易へて、その鉤を失ひつ。ここにその鉤を乞ふ。故、多くの鉤を償へども受けずして、猶その本の鉤を得むと云ふ。故、泣き患ふ」といひき。ここに塩椎神云ひしく、「我、汝命の為に善き議を作さむ」といひて、即ち無間勝間の小船を造り、その船に載せて教へて曰ひしく、「我、その船を押し流さば、差暫し往でませ。味し御路有らむ。乃ちその道に乗りて往でまさば、魚鱗の如く造れる宮室、
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『古事記』上巻・海神の宮の三年と鉤の返還ここに海神、自ら出で見て云ひしく、「この人は、天津日高の御子、虚空津日高ぞ」といひて、即ち内に率て入りて、みちの皮の畳を八重に敷き、また絁畳八重をその上に敷き、その上に坐せて、百取の机代の物を具へて御饗為て、即ちその女豊玉毘売を婚はしめき。故、三年に至るまでその国に住みたまひき。ここに火遠理命、その初めの事を思ほして、大きなる一つの歎きを為き。故、豊玉毘売命、その歎きを聞きて、その父に白して言ひしく、「三年住みたまへども、恒は歎くこと無かりしに、今夜大きなる一つの歎きを為したまへり。もし何の由有らむ」といひき。その父の大神、その聟の夫に問ひて曰ひしく、「今旦、我が女の語るを聞くに云はく、『三年坐せども、恒は歎くこと無かりしに、今夜大きなる歎きを為す』と云ふ。もし由有りや。またここに到れる由はいかに」といひき。ここにその大神に語りて、備さにその兄の失ひし鉤を罰へし状の如くせり。ここを以ちて海神、悉に海の大小の魚を召し集へて、問ひて曰ひしく、「もしこの鉤を取れる魚ありや」といひき。故、諸の魚白ししく、「この頃、赤海鯛魚、喉に鯁ありて、物え食はずと愁へ言ふ。故、必ずこれ取りつらむ」とまをしき。ここに赤海鯛魚の喉を探れば、鉤有り。即ち取り出だして清洗ひ、火遠理命に奉る時に、その綿津見大神誨へて曰ひしく、「この鉤をその兄に給はむ時に、言はむ状は、『この鉤は、おぼ鉤、すす鉤、貧鉤、うる鉤』と云ひて、後手に賜へ。(於煩及び須須、また宇流の六字は音を以ちてす)然して、その兄高田を作らば、汝命は下田を営りたまへ。
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『神皇正統記』巻一 地神第四代 彦火々出見尊第四代、彦火々出見の尊と申。御兄火の闌降の命、海の幸ます。此尊は山の幸ましけり。こゝろみに相かへ給しに、各其幸なかりき。弟の尊の、弓箭に魚の釣鉤をかえ給へりしを、弓箭をば返つ。おとゝの尊鉤を魚にくはれて失ひ給けるを、あながちにせめ給しに、せんすべなくて海辺にさまよひ給き。塩土の翁まゐりあひて、あはれみ申て、はかりことをめぐらして、海神綿積命の所におくりつ。其女を豊玉姫と云ふ。天神の御孫にめでたてまつりて、父の神につげてとゞめ申つ。つひに其女とあひすみ給。みとせばかりありて故郷をおぼす御気色ありければ、其女父にいひあはせてかへしたてまつる。大小いろくづをつどへてとひけるに、口女と云魚、やまひありとてみえず。しひてめしいづれば、その口はれたり。是をさぐりしに、うせにし鉤をさぐりいづ。海神いましめて、「口女いまよりつりくふな。又天孫の饌にまゐるな。」となん云ふくめける。又海神ひる珠みつ珠をたてまつりて、兄をしたがへ給べきかたちををしへ申けり。さて故郷にかへりまして鉤を返つ。
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『古事記』上巻・綿津見神の宮と豊玉毘売その綿津見神の宮なり。その神の御門に到りたまはば、傍の井の上に、湯津香木有らむ。故、その木の上に坐さば、その海神の女、見て相議らむものぞ」といひき。(香木を訓みて加都良と云ふ)故、教への随に少し行きしに、備さに言の如くなりき。即ちその香木に登りて坐しき。ここに海神の女豊玉毘売の従婢、玉器を持ちて水を酌まむとする時に、井に光有りき。仰ぎ見れば麗しき壮夫有り。(壮夫を訓みて遠登古と云ふ。下もこれに効へ)いと異しと奇びき。ここに火遠理命、その婢を見て、水を得まく欲しと乞ひたまひき。婢乃ち水を酌みて、玉器に入れて貢進りき。ここに水を飲まさずて、御頸の璵を解き、口に含みて、その玉器に唾き入れたまひき。ここにその璵、器に著きて、婢、璵を離つこと得ず。故、璵を著けながらに、豊玉毘売命に進りき。ここにその璵を見て、婢に問ひて曰ひしく、「もし人、門の外に有りや」といひき。答へて曰ひしく、「人有り、我が井の上の香木の上に坐す。いと麗しき壮夫なり。我が王に益して甚だ貴し。故、その人水を乞ひしかば、水を奉りしに、水を飲まずて、この璵を唾き入れつ。これ離つこと得ず。故、入れながらに将ち来て献る」といひき。ここに豊玉毘売命、奇しと思ひて、出で見て、乃ち見感でて、目合して、その父に白して曰ひしく、「吾が門に麗しき人有り」といひき。
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『古事記』上巻・豊玉毘売の出産と別れ故、今に至るまで、その溺れし時の種種の態、絶えず仕へ奉るなり。ここに海神の女豊玉毘売命、自ら参出て白ししく、「妾、已に妊身めり。今産む時に臨みて、此を念ふ。天つ神の御子は、海原に生むべからず。故、参出到れり」とまをしき。ここに即ちその海辺の波限に、鵜の羽を葺草にして、産殿を造りき。ここにその産殿、未だ葺き合へぬに、御腹の急しきに忍へず、故、産殿に入り坐しき。ここに産まむとする時に、その日子に白して言ひしく、「凡そ佗し国の人は、産む時に臨みて、本つ国の形を以ちて産生むなり。故、妾今、本の身を以ちて産まむとす。願はくは、妾を見ること勿かれ」といひき。ここにその言を奇しと思ひて、窃かにその方に産むを伺へば、八尋和邇に化りて、匍匐ひ委蛇ひき。即ち見驚き畏みて遁げ退きたまひき。ここに豊玉毘売命、その伺ひ見たまひし事を知りて、心恥しと以為ひ、乃ちその御子を生み置きて、白ししく、「妾は恒に海つ道を通りて往来はむと欲ひき。然れども吾が形を伺ひ見たまひし、これいと怍し」とまをして、即ち海坂を塞ぎて返り入りき。ここを以ちてその産みし御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂ふ。(波限を訓みて那芸佐と云ひ、葺草を訓みて加夜と云ふ)然れども後は、その伺ひたまひし情を恨みつつも、恋ふる心に忍へずて、その御子を治め養ふ縁に因りて、その弟玉依毘売に附けて歌を献りき。
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『古事記』上巻・少名毘古那神と久延毘古右の件、八島士奴美神より以下、遠津山岬帯神より以前を、十七世の神と称ふ。故、大国主神、出雲の御大(みほ)の御前に坐す時、波の穂より天の羅摩船(かがみぶね)に乗りて、鵝(ひむし)の皮を内剥ぎに剥ぎて衣服(きもの)に為て、帰り来る神あり。ここにその名を問へども答へず、また従へる諸の神に問へども、皆「知らず」と白しき。ここに多邇具久(たにぐく)白言(まを)ししく、「こは久延毘古(くえびこ)必ず知りたらむ」とまをしき。すなはち久延毘古を召して問ひたまふ時、答へ白ししく、「こは神産巣日神の御子、少名毘古那神ぞ」とまをしき。故ここに神産巣日御祖命に白し上げしかば、答へ告りたまひしく、「こは実に我が子ぞ。子の中に、我が手俣(たなまた)より漏(く)きし子ぞ。故、汝葦原色許男命と兄弟(はらから)と為りて、その国を作り堅めよ」とのりたまひき。故、それより、大穴牟遅と少名毘古那と、二柱の神相並ばして、この国を作り堅めたまひき。然て後は、その少名毘古那神は、常世国に度りましき。故、その少名毘古那神を顕はし白しし、いはゆる久延毘古は、今には山田の曾富騰(そほど)といふ者なり。この神は、足は行かねども、尽く天の下の事を知れる神なり。

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