古事記 / 下巻・仁徳崩御と墨江中王の乱
其音響七里。爾歌曰。加良怒袁。志本爾夜岐。斯賀阿麻理。許登爾都久理。加岐比久夜。由良能尋能。尋那加能。伊久理爾。布禮多都。那豆能紀能。佐夜佐夜。此者志都歌之返歌也。此天皇。御年捌拾參歲。(丁卯年八月十五日崩。)御陵在毛受之耳原也。伊邪本和氣命。坐伊波禮(在大和十市郡)之若櫻宮。治天下也。此天皇娶葛城之曾都毘古之子。葦田宿禰之女。名黑比賣命。生御子。市邊之忍齒王。次御馬王。次妹青海郎女。亦名飯豐郎女。三柱。本坐難波宮之時。坐大嘗而。爲豐明之時。於大御酒。宇羅宜而。大御寢也。爾其弟墨江中王。欲取天皇。以火著大殿。於是。倭漢直之祖。阿知直。盜出而。乘御馬。令幸於倭。故到于多遲比野而寤。詔此間者何處。
新字:其音響七里。爾歌曰。加良怒袁。志本爾夜岐。斯賀阿麻理。許登爾都久理。加岐比久夜。由良能尋能。尋那加能。伊久理爾。布礼多都。那豆能紀能。佐夜佐夜。此者志都歌之返歌也。此天皇。御年捌拾参歳。(丁卯年八月十五日崩。)御陵在毛受之耳原也。伊邪本和気命。坐伊波礼(在大和十市郡)之若桜宮。治天下也。此天皇娶葛城之曽都毘古之子。葦田宿祢之女。名黒比売命。生御子。市辺之忍歯王。次御馬王。次妹青海郎女。亦名飯豊郎女。三柱。本坐難波宮之時。坐大嘗而。為豊明之時。於大御酒。宇羅宜而。大御寝也。爾其弟墨江中王。欲取天皇。以火著大殿。於是。倭漢直之祖。阿知直。盗出而。乗御馬。令幸於倭。故到于多遅比野而寤。詔此間者何処。
書き下し
その音、七里に響みき。ここに歌ひて曰く、「枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り 掻き弾くや 由良の門の 門中の 海石に 触れ立つ 浸漬の木の さやさや」。これは志都歌の返歌なり。この天皇、御年八十三歳。(丁卯の年の八月十五日に崩りましき。)御陵は毛受の耳原に在り。伊邪本和気命、伊波礼(大和の十市郡に在り)の若桜宮に坐して、天下を治らしめしき。この天皇、葛城の曽都毘古の子、葦田宿禰の女、名は黒比売命を娶して、生みませる御子、市辺之忍歯王、次に御馬王、次に妹青海郎女、またの名は飯豊郎女、三柱。本、難波宮に坐しし時、大嘗に坐して、豊明を為す時、大御酒に浮かれて、大御寝したまひき。ここにその弟墨江中王、天皇を取らむと欲ひて、火を大殿に著けき。ここに倭漢直の祖、阿知直、盗み出して、御馬に乗せて倭に幸ししめき。故、多遅比野に到りて寤めて、詔りたまひしく、「ここは何処ぞ」とのりたまひき。
現代語訳
その琴の音は七里先まで響きました。そこで歌われました。「枯野の木を塩に焼き、その余りで琴を作り、かき鳴らすと、由良の瀬戸の海中の岩に触れて立つ海藻のように、さやさやと鳴る」。これは志都歌の返歌です。この天皇は八十三歳で崩御されました(丁卯の年の八月十五日)。御陵は毛受の耳原にあります。伊邪本和気命(履中天皇)は、伊波礼(大和の十市郡)の若桜宮にいて天下を治めました。この天皇は、葛城の曽都毘古の子の葦田宿禰の娘、黒比売命を娶り、市辺之忍歯王、次に御馬王、次に妹の青海郎女(またの名は飯豊郎女)の三柱を生みました。以前、難波宮にいた時、大嘗祭を行い、宴で酒に酔って寝込まれました。その弟の墨江中王が天皇を殺そうとして、大殿に火をつけました。倭漢直の祖である阿知直が天皇を盗み出して馬に乗せ、倭へ向かわせました。多遅比野に着いて目を覚まし、「ここはどこだ」と仰せになりました。
解説
この章句が説くこと
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