古事記 / 中巻・酒楽の歌と応神天皇の后妃
爾建內宿禰命。爲御子。答歌曰。許能美岐袁。迦美祁牟比登波。曾能都豆美。宇須邇多弖弖。宇多比都都。迦美祁禮加母。麻比都都。迦美祁禮加母。許能美岐能。美岐能。阿夜邇。宇多陀怒斯。佐佐。此者。酒樂之歌也。凡帶中津日子天皇之御年。伍拾貳歲。(壬戌年六月十一日崩也。)御陵在河內惠賀之長江也。(皇后御年一百歲崩。葬于狹城楯列陵也。)品陀和氣命。坐輕嶋(在大和高市郡)之明宮。治天下也。此天皇。娶品陀眞若王(品陀二字以音)之女。三柱女王。一名。高木之入日賣命。次中日賣命。次弟日賣命。(此女王等之父。品陀眞若王者。五百木之入日子命。娶尾張連之祖。建伊那陀宿禰之女。志理都紀斗賣。生子者也。)故高木之入日賣命之御子。額田大中日子命。
新字:爾建内宿祢命。為御子。答歌曰。許能美岐袁。迦美祁牟比登波。曽能都豆美。宇須邇多弖弖。宇多比都都。迦美祁礼加母。麻比都都。迦美祁礼加母。許能美岐能。美岐能。阿夜邇。宇多陀怒斯。佐佐。此者。酒楽之歌也。凡帯中津日子天皇之御年。伍拾貳歳。(壬戌年六月十一日崩也。)御陵在河内恵賀之長江也。(皇后御年一百歳崩。葬于狭城楯列陵也。)品陀和気命。坐軽嶋(在大和高市郡)之明宮。治天下也。此天皇。娶品陀真若王(品陀二字以音)之女。三柱女王。一名。高木之入日売命。次中日売命。次弟日売命。(此女王等之父。品陀真若王者。五百木之入日子命。娶尾張連之祖。建伊那陀宿祢之女。志理都紀斗売。生子者也。)故高木之入日売命之御子。額田大中日子命。
書き下し
ここに建内宿禰命、御子の為に答へて歌ひて曰く、「この御酒を 醸みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつつ 醸みけれかも 舞ひつつ 醸みけれかも この御酒の 御酒の あやに 甚楽し ささ」。これは酒楽の歌なり。凡そ帯中津日子天皇の御年は五十二歳。(壬戌の年の六月十一日に崩りましき。)御陵は河内の恵賀の長江に在り。(皇后は御年一百歳にして崩りましき。狭城の楯列陵に葬りまつる。)品陀和気命、軽島(大和の高市郡に在り)の明宮に坐して、天の下を治めたまひき。この天皇、品陀真若王(品陀の二字は音を以ゐる)の女、三柱の女王を娶りたまひき。一の名は高木之入日売命、次に中日売命、次に弟日売命。(この女王たちの父、品陀真若王は、五百木之入日子命、尾張連の祖、建伊那陀宿禰の女、志理都紀斗売を娶りて生みたまへる子なり。)故、高木之入日売命の御子は、額田大中日子命、
現代語訳
このとき建内宿禰命が、御子に代わって歌い返しました。「この御酒を醸した人は、その鼓を臼のように立てて、歌いながら醸したからだろうか、舞いながら醸したからだろうか。この御酒の、御酒の、何ともいえず楽しいことよ。さあさあ」。これは酒楽の歌です。帯中津日子天皇(仲哀天皇)の享年は五十二歳で、壬戌の年の六月十一日に亡くなりました。御陵は河内の恵賀の長江にあります。(皇后は百歳で亡くなり、狭城の楯列陵に葬られました。)さて、品陀和気命(応神天皇)は軽島の明宮にいて天下を治めました。この天皇は品陀真若王の娘、三人の姫を娶りました。一人目は高木之入日売命、次が中日売命、次が弟日売命です。(この姫たちの父である品陀真若王は、五百木之入日子命が、尾張連の祖である建伊那陀宿禰の娘、志理都紀斗売を娶って生んだ子です。)そして高木之入日売命の御子は、額田大中日子命、
解説
この章句が説くこと
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『古事記』中巻・成務天皇と仲哀天皇の御代若帯日子天皇(成務)、近淡海の志賀の高穴穂宮に坐して、天の下治らしめしき。この天皇、穂積臣等が祖、建忍山垂根の女、名は弟財郎女を娶りて、生みませる御子、和訶奴気王。(一柱。)かれ建内宿禰を大臣となし、大国小国の国造を定め賜ひ、また国々の堺、また大県小県の県主を定め賜ひき。天皇の御年、玖拾伍歳。〔乙卯の年の三月十五日に崩(かむあが)りたまひき。〕御陵は沙紀の多他那美(添下の佐紀)に在り。帯中日子天皇(仲哀)、穴門の豊浦宮、また筑紫の訶志比宮に坐して、天の下治らしめしき。この天皇、大江王の女、大中津比売命を娶りて、生みませる御子、香坂王、忍熊王。(二柱。)また息長帯比売命(神功)を娶りたまひき。この大后の生みませる御子、品夜和気命。次に大鞆和気命(応神)、またの名は品陀和気命。(二柱。)この太子の御名に、大鞆和気命と負ひませる所以は、初め生まれませる時、鞆のごとき宍、御腕に生りき。かれその御名に著けき。
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『古事記』中巻・応神天皇の后妃と御子次に大山守命、次に伊奢之真若命(伊奢の二字は音を以ゐる)、次に妹大原郎女、次に高目郎女、五柱。中日売命の御子は、木之荒田郎女、次に大雀命、次に根鳥命、三柱。弟日売命の御子は、阿倍郎女、次に阿具知能(この四字は音を以ゐる)三腹郎女、次に木之菟野郎女、次に三野郎女、五柱。また丸邇之比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売を娶りて生みませる御子は、宇遅能和紀郎子、次に妹八田若郎女、次に女鳥王、三柱。また、その矢河枝比売の弟、袁那弁郎女を娶りて生みませる御子は、宇遅之若郎女、一柱。また咋俣長日子王の女、息長真若中比売を娶りて生みませる御子は、若沼毛二俣王、一柱。また桜井田部連の祖、島垂根の女、糸井比売を娶りて生みませる御子は、速総別命、一柱。また日向の泉長比売を娶りて生みませる御子は、大羽江王、次に小羽江王、次に幡日之若郎女、三柱。
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『古事記』中巻・気比大神と酒楽の歌故、建内宿禰命、その太子を率て、禊せむと為て、淡海及び若狭の国を経歴し時、高志の前の角鹿に仮宮を造りて坐しき。ここにその地に坐す伊奢沙和気大神の命、夜の夢に見えて云りたまはく、「我が名を以ちて、御子の御名に易へまくほし」とのりたまひき。ここに言禱ぎて白さく、「恐し。命のまにまに易へ奉らむ」とまをしき。またその神詔りたまはく、「明日の旦、浜に幸でますべし。名を易へし幣を献らむ」とのりたまひき。故、その旦、浜に幸行でます時、鼻を毀れる入鹿魚、既に一浦に依れり。ここに御子、神に白さしめたまはく、「我に御食の魚を給へり」とまをさしめたまひき。故、またその御名を称へて、御食津大神と号く。故、今に気比大神と謂ふ。またその入鹿魚の鼻の血臰かりき。故、その浦を号けて血浦と謂ひき。今は都奴賀と謂ふ。ここに還り上ります時、その御祖息長帯日売命、待ち酒を醸みて献りき。ここにその御祖の御歌に曰く、「この御酒は 我が御酒ならず 酒の司 常世に坐す 石立たす 少名御神の 神寿き 寿き狂ほし 豊寿き 寿き廻し 奉り来し御酒ぞ 乾さずをせ ささ」。かく歌ひて、大御酒を献りき。
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『古事記』中巻・須須許理の酒と宇治の策また秦造の祖、漢直の祖、及び酒を醸むことを知れる人、名は仁番、またの名は須須許理ら、参り渡り来つ。故、この須須許理、大御酒を醸みて献りき。ここに天皇、この献れる大御酒に宇羅宜て(宇羅宜の三字は音を以ゐる)、御歌に曰く、「須須許理が 醸みし御酒に 我酔ひにけり 事無酒 笑酒に 我酔ひにけり」。かく歌ひて幸行でます時、御杖を以ちて大坂の道中の大石を打ちたまへば、その石走り避りき。故、諺に曰く、「堅石も酔人を避く」。故、天皇崩りましし後、大雀命は、天皇の命に従ひて、天の下を宇遅能和紀郎子に譲りたまひき。ここに大山守命は、天皇の命に違ひて、なほ天の下を獲むと欲ひて、その弟皇子を殺さむ心有りて、竊かに兵を設けて攻めむとしたまふ。ここに大雀命、その兄の兵を備ふと聞かして、すなはち使者を遣はして、宇遅能和紀郎子に告げしめたまひき。故、聞き驚きて、兵を河辺に伏せ、またその山の上に、絁垣を張り帷幕を立て、詐りて舎人を王と為て、呉床に露はに坐せ、百官の恭敬ひ往来する状、既に王子の坐す所の如くして、更にその兄王の渡らむ時の為に、具に船楫を餝り、佐那葛(この二字は音を以ゐる)の根を舂き、その汁の滑を取りて、その船の中の簀椅に塗り、蹈めば応に仆れむとするやうに設けて、
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人生を、一行の式にしてみた。
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