古事記 / 中巻・神の託宣と仲哀天皇の崩御
是以知坐腹中〔定〕國也。此之御世。定淡道之屯家也。其大后息長帶日賣命者。當時歸神。故天皇坐筑紫之訶志比宮。將擊熊曾國之時。天皇控御琴而。建內宿禰大臣居於沙庭。請神之命。於是大后歸神。言敎覺詔者。西方有國。金銀爲本。目之炎耀種種珍寶。多在其國。吾今歸賜其國。爾天皇答白。登高地見西方者。不見國土。唯有大海。謂爲詐神而。押退御琴。不控默坐。爾其神大忿詔。凡茲天下者。汝非應知國。汝者向一道。於是建內宿禰大臣白。恐我天皇。猶阿蘇婆勢其大御琴。(自阿至勢以音)爾稍取依其御琴而。那麻那麻邇(此五字以音)控坐。故未幾久而。不聞御琴之音。即【暴/擧】火見者。既崩訖。爾驚懼而坐殯宮。更取國之大奴佐而。(奴佐二字以音)種種求生剝。逆剝。阿離。溝埋。屎戶。上通下通婚。馬婚。牛婚。雞婚。犬婚之罪類。爲國之大祓而。
新字:是以知坐腹中〔定〕国也。此之御世。定淡道之屯家也。其大后息長帯日売命者。当時帰神。故天皇坐筑紫之訶志比宮。将撃熊曽国之時。天皇控御琴而。建内宿祢大臣居於沙庭。請神之命。於是大后帰神。言教覚詔者。西方有国。金銀為本。目之炎耀種種珍宝。多在其国。吾今帰賜其国。爾天皇答白。登高地見西方者。不見国土。唯有大海。謂為詐神而。押退御琴。不控黙坐。爾其神大忿詔。凡茲天下者。汝非応知国。汝者向一道。於是建内宿祢大臣白。恐我天皇。猶阿蘇婆勢其大御琴。(自阿至勢以音)爾稍取依其御琴而。那麻那麻邇(此五字以音)控坐。故未幾久而。不聞御琴之音。即【暴/挙】火見者。既崩訖。爾驚懼而坐殯宮。更取国之大奴佐而。(奴佐二字以音)種種求生剥。逆剥。阿離。溝埋。屎戸。上通下通婚。馬婚。牛婚。鶏婚。犬婚之罪類。為国之大祓而。
書き下し
ここをもちて腹の中に坐しながら国を〔定め〕たまふを知りぬ。この御世に、淡道の屯家を定めたまひき。その大后息長帯日売命は、当時(そのかみ)神を帰(よ)せたまひき。かれ天皇、筑紫の訶志比宮に坐して、熊曾国を撃たむとせし時に、天皇御琴を控(ひ)きて、建内宿禰大臣沙庭(さには)に居て、神の命を請ひき。ここに大后神を帰せて、言教へ覚し詔りたまはく、「西の方に国あり。金銀を本として、目の炎耀く種々の珍宝、多くその国に在り。吾今その国を帰せ賜はむ」とのりたまひき。爾して天皇答へ白さく、「高き地に登りて西の方を見れば、国土は見えず、ただ大海のみあり」とまをして、詐りの神と謂ひて、御琴を押し退けて控かず、默して坐しき。爾してその神大く忿りて詔りたまはく、「およそこの天の下は、汝の知るべき国にあらず。汝は一道に向へ」とのりたまひき。ここに建内宿禰大臣白さく、「恐し、我が天皇、なほその大御琴を阿蘇婆勢(あそばせ)」とまをしき。(阿より勢に至るまで音をもちてす。)爾して稍々その御琴を取り依せて、那麻那麻邇(なまなまに)(この五字は音をもちてす)控き坐しき。かれ幾ばくも久しからずして、御琴の音聞こえず。即ち火を挙げて見れば、既に崩りたまひ訖(をは)りき。爾して驚き懼(おそ)りて殯宮に坐せまつり、更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて、(奴佐の二字は音をもちてす。)種々の罪の類(たぐひ)を求めて、生剥ぎ、逆剥ぎ、阿離ち、溝埋み、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚の罪の類を、国の大祓として行ひたまひき。
現代語訳
こうして、応神天皇は母の胎内にいる時から、国を定める運命にあることが分かりました。この御代に、淡路の屯倉を定めました。その大后の息長帯日売命は、当時、神を依りつかせる巫女でした。そこで、天皇が筑紫の訶志比宮にいて、熊曾国を討とうとした時、天皇が琴を弾き、建内宿禰大臣が祭祀の庭に控えて、神の命を求めました。すると大后に神が降り、教え諭して言いました。「西の方に国がある。金銀をはじめとして、目もくらむほど輝く種々の珍しい宝が、その国に多くある。私は今、その国をおまえに授けよう」。天皇は答えました。「高い所に登って西の方を見ても、国土は見えません。ただ大海があるだけです」。そして偽りの神だと言い、琴を押しのけて弾かず、黙って座っていました。すると神は大いに怒って言いました。「おおよそこの天下は、おまえが治める国ではない。おまえは一本道(黄泉への道)に向かえ」。建内宿禰大臣は申し上げました。「恐れ多いことです、我が天皇、やはりその琴をお弾きください」。天皇は少しずつ琴を引き寄せて、いやいやながら弾いていました。ところが、しばらくすると琴の音が聞こえなくなりました。火を灯して見ると、すでに亡くなっていました。人々は驚き恐れ、殯宮にお納めし、さらに国を挙げて大幣を取り、さまざまな罪の種類を探して、生剥ぎ、逆剥ぎ、畦の破壊、溝埋め、糞をまき散らす行為、親子や近親の交わり、馬・牛・鶏・犬との交わりなどの罪を挙げ、国の大祓として行いました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』中巻・成務天皇と仲哀天皇の御代若帯日子天皇(成務)、近淡海の志賀の高穴穂宮に坐して、天の下治らしめしき。この天皇、穂積臣等が祖、建忍山垂根の女、名は弟財郎女を娶りて、生みませる御子、和訶奴気王。(一柱。)かれ建内宿禰を大臣となし、大国小国の国造を定め賜ひ、また国々の堺、また大県小県の県主を定め賜ひき。天皇の御年、玖拾伍歳。〔乙卯の年の三月十五日に崩(かむあが)りたまひき。〕御陵は沙紀の多他那美(添下の佐紀)に在り。帯中日子天皇(仲哀)、穴門の豊浦宮、また筑紫の訶志比宮に坐して、天の下治らしめしき。この天皇、大江王の女、大中津比売命を娶りて、生みませる御子、香坂王、忍熊王。(二柱。)また息長帯比売命(神功)を娶りたまひき。この大后の生みませる御子、品夜和気命。次に大鞆和気命(応神)、またの名は品陀和気命。(二柱。)この太子の御名に、大鞆和気命と負ひませる所以は、初め生まれませる時、鞆のごとき宍、御腕に生りき。かれその御名に著けき。
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『古事記』中巻・神託と新羅への渡海また建内宿禰、沙庭に居て、神の命を請ひき。ここに教へ覚したまふ状、具さに先の日の如し。「凡そこの国は、汝命の御腹に坐す御子の知らさむ国なり」とのりたまひき。ここに建内宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の腹に坐す御子は、何れの子ぞや」とまをししかば、答へて詔りたまはく、「男子ぞ」とのりたまひき。ここに具さに請ひまをさく、「今かく言ひ教へたまふ大神は、その御名を知らまくほし」とまをししかば、すなはち答へて詔りたまはく、「これは天照大神の御心ぞ。また底筒男・中筒男・上筒男の三柱の大神ぞ。(この時、その三柱の大神の御名は顕れき。)今まことにその国を求めむと思ほさば、天つ神・地つ祇、また山の神及び河海の諸の神に、悉に幣帛を奉り、我が御魂を船の上に坐せて、真木の灰を瓠に納れ、また箸及び比羅伝(この三字は音を以ゐる)を多に作りて、皆々大海に散らし浮けて渡るべし」とのりたまひき。故、教へ覚したまひし如く、軍を整へ船を雙べて渡り幸でましし時、海原の魚、大小を問はず、悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風大きに起こり、御船、浪のまにまに行きぬ。故、その御船の波瀾、新羅の国に押し騰りて、既に国の半ばに到りき。ここにその国主、畏れ惶みて奏言さく、「今より以後、天皇の命のまにまに、御馬甘と為りて、年ごとに船を雙べて、船腹を乾さず、柂檝を乾さず、天地のむた、退くことなく仕へ奉らむ」とまをしき。
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『神皇正統記』巻二 第十四代 仲哀天皇第十四代、第十四世、仲哀天皇は日本武尊第二の子、景行御孫也。御母両道入姫、垂仁天皇の女也。大祖神武より第十二代景行までは代のまゝに継体し給。日本武尊世をはやくし給しによりて、成務是をつぎ給。此天皇を太子としてゆづりましまししより、代と世とかはれる初也。これよりは世を本としるし奉べき也。此天皇御かたちいときらきらしく、御たけ一丈ましましける。壬申の年即位。此御時熊襲又反乱して朝貢せず。天皇軍をめしてみづから征伐をいたし、筑紫にむかひ給。皇后息長足姫尊は越前の国笥飯の神にまうでゝ、それより北海をめぐりて行あひ給ぬ。こゝに神ありて皇后にかたり奉る。「これより西に宝の国あり。うちてしたがへ給へ。熊襲は小国也。又伊弉諾・伊弉冊のうみ給へりし国なれば、うたずともつひにしたがひたてまつりなん。」とありしを、天皇うけがひ給はず。事ならずして橿日の行宮にしてかくれ給。長門にをさめ奉る。是を穴戸豊浦の宮と申す。天下を治給こと九年。五十二歳おましましき。
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『神皇正統記』巻二 第十五代 神功皇后第十五代、神功皇后は息長の宿禰の女、開化天皇四世の御孫也。息長足姫の尊と申す。仲哀たてゝ皇后とす。仲哀神のをしへによらず、世を早くし給しかば、皇后いきどほりまして、七日あつて別殿を作り、いもほりこもらせ給。此時応神天皇はらまれましましけり。神がゝりてさまざま道ををしへ給ふ。此神は「表筒男・中筒男・底筒男なり。」となんなのり給けり。是は伊弉諾尊日向の小戸の川檍が原にてみそぎし給し時、化生しましける神也。後には摂津国住吉にいつかれ給神これなり。かくて新羅・百済・高麗をうちしたがへ給き。海神かたちをあらはし、御船をはさみまぼり申しかば、思の如く彼国を平げ給。神代より年序久くつもれりしに、かく神威をあらはし給ける、不測御ことなるべし。海中にして如意の珠を得給へりき。さてつくしにかへりて皇子を誕生す。応神天皇にまします。神の申給しによりて、是を胎中の天皇とも申。皇后摂政して辛巳年より天下をしらせ給。
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『古事記』中巻・酒楽の歌と応神天皇の后妃ここに建内宿禰命、御子の為に答へて歌ひて曰く、「この御酒を 醸みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつつ 醸みけれかも 舞ひつつ 醸みけれかも この御酒の 御酒の あやに 甚楽し ささ」。これは酒楽の歌なり。凡そ帯中津日子天皇の御年は五十二歳。(壬戌の年の六月十一日に崩りましき。)御陵は河内の恵賀の長江に在り。(皇后は御年一百歳にして崩りましき。狭城の楯列陵に葬りまつる。)品陀和気命、軽島(大和の高市郡に在り)の明宮に坐して、天の下を治めたまひき。この天皇、品陀真若王(品陀の二字は音を以ゐる)の女、三柱の女王を娶りたまひき。一の名は高木之入日売命、次に中日売命、次に弟日売命。(この女王たちの父、品陀真若王は、五百木之入日子命、尾張連の祖、建伊那陀宿禰の女、志理都紀斗売を娶りて生みたまへる子なり。)故、高木之入日売命の御子は、額田大中日子命、
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『古事記』中巻・筑紫での出産と釣り故、ここを以ちて、新羅の国は御馬甘と定め、百済の国は渡の屯家と定めたまひき。ここにその御杖を以ちて、新羅の国主の門に衝き立てき。すなはち墨江大神の荒御魂を、国守ります神と為して、祭り鎮めて還り渡りたまひき。故、その政未だ竟へざる間に、その懐妊みたまへるが産み月に臨みき。すなはち御腹を鎮めむと為て、石を取りて御裳の腰に纏きて、筑紫の国に渡りたまひき。その御子は阿礼坐しき。(阿礼の二字は音を以ゐる)故、その御子の生れませる地を号けて宇美と謂ふ。また、その御裳に纏きたまへりし石は、筑紫の国の伊斗村に在り。また筑紫の末羅県の玉島の里に到り坐して、御食したまふ時、四月の上旬に当たれり。ここにその河中の礒に坐して、御裳の糸を抜き取り、飯粒を以ちて餌と為て、その河の年魚を釣りたまひき。(その河の名は小河と謂ふ。またその礒の名は勝門比売と謂ふ。)故、四月の上旬の時、女人、裳の糸を抜き、粒を餌として年魚を釣ること、今に至るまで絶えず。ここに息長帯日売命、倭に還り上ります時、人の心を疑ひて、喪船を具へ、御子をその喪船に載せて、まづ「御子既に崩りましぬ」と言ひ漏さしめたまひき。かく上り幸でます時、香坂王・忍熊王、聞きて、待ち取らむと思ひて、斗賀野に進み出でて、宇気比猟をしたまひき。

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