神皇正統記 / 巻二 第十二代 景行天皇
とをしへ給ける。駿河にいたるに、賊徒野に火をつけて害したてまつらんことをはかりけり。火のいきほひまぬかれがたかりけるに、はかせる叢雲の剣をみづからぬきて、かたはらの草をなぎてはらふ。これより名をあらためて草薙の剣と云ふ。又火うちをもて火を出て、むかひ火を付て、賊徒を焼ころされにき。これより船に乗給て上総にいたり、転じて陸奥国にいり、日高見の国にいたり、悉蝦夷を平げ給。かへりて常陸をへ甲斐にこえ、又武蔵・上野をへて、碓日坂にいたり、弟橘媛と云し妾をしのび給。東南の方をのぞみて、「吾嬬者耶。」との給しより、山東の諸国をあづまと云也。これより道をわけ、吉備の武彦をば越後国に遣して不順者を平しめ給。尊は信濃より尾張にいで給。かの国に宮簀媛と云女あり。尾張の稲種宿禰の妹也。此女をめして淹留給あひだ、五十葺の山に荒神ありときこえければ、剣をば宮簀媛の家にとゞめて、かちよりいでます。山神化して小蛇になりて、御道によこたはれり。
新字:とをしへ給ける。駿河にいたるに、賊徒野に火をつけて害したてまつらんことをはかりけり。火のいきほひまぬかれがたかりけるに、はかせる叢雲の剣をみづからぬきて、かたはらの草をなぎてはらふ。これより名をあらためて草薙の剣と云ふ。又火うちをもて火を出て、むかひ火を付て、賊徒を焼ころされにき。これより船に乗給て上総にいたり、転じて陸奥国にいり、日高見の国にいたり、悉蝦夷を平げ給。かへりて常陸をへ甲斐にこえ、又武蔵・上野をへて、碓日坂にいたり、弟橘媛と云し妾をしのび給。東南の方をのぞみて、「吾嬬者耶。」との給しより、山東の諸国をあづまと云也。これより道をわけ、吉備の武彦をば越後国に遣して不順者を平しめ給。尊は信濃より尾張にいで給。かの国に宮簀媛と云女あり。尾張の稲種宿祢の妹也。此女をめして淹留給あひだ、五十葺の山に荒神ありときこえければ、剣をば宮簀媛の家にとゞめて、かちよりいでます。山神化して小蛇になりて、御道によこたはれり。
書き下し
とをしへ給ける。駿河にいたるに、賊徒野に火をつけて害したてまつらんことをはかりけり。火のいきほひまぬかれがたかりけるに、はかせる叢雲の剣をみづからぬきて、かたはらの草をなぎてはらふ。これより名をあらためて草薙の剣と云ふ。又火うちをもて火を出て、むかひ火を付て、賊徒を焼ころされにき。これより船に乗給て上総にいたり、転じて陸奥国にいり、日高見の国にいたり、悉蝦夷を平げ給。かへりて常陸をへ甲斐にこえ、又武蔵・上野をへて、碓日坂にいたり、弟橘媛と云し妾をしのび給。東南の方をのぞみて、「吾嬬者耶。」との給しより、山東の諸国をあづまと云也。これより道をわけ、吉備の武彦をば越後国に遣して不順者を平しめ給。尊は信濃より尾張にいで給。かの国に宮簀媛と云女あり。尾張の稲種宿禰の妹也。此女をめして淹留給あひだ、五十葺の山に荒神ありときこえければ、剣をば宮簀媛の家にとゞめて、かちよりいでます。山神化して小蛇になりて、御道によこたはれり。
現代語訳
と教えられた。駿河に至ると、賊徒が野に火をつけて尊を害し申そうと企てた。火の勢いは逃れがたかったが、尊は腰に帯びた叢雲の剣を自ら抜いて、傍らの草を薙ぎ払った。これより名を改めて草薙の剣という。また火打ちで火を出して向かい火をつけ、賊徒を焼き殺された。これより船に乗られて上総に至り、転じて陸奥国に入り、日高見の国に至って、ことごとく蝦夷を平らげられた。帰りに常陸を経て甲斐に越え、また武蔵・上野を経て碓日坂に至り、弟橘媛という妃をしのばれた。東南の方を望んで、「吾嬬はや(わが妻よ)」とおっしゃったことから、山の東の諸国をあずまというのである。ここから道を分け、吉備武彦を越後国に遣わして従わない者を平らげさせられた。尊は信濃から尾張にお出になった。その国に宮簀媛という女がいた。尾張の稲種宿禰の妹である。この女を召して滞在されていた間に、五十葺(いぶき)の山に荒ぶる神がいると聞こえたので、剣を宮簀媛の家にとどめて、徒歩でお出かけになった。山の神は化して小さな蛇になり、御道に横たわっていた。
解説
関連する章句
-
『神皇正統記』巻二 第十二代 景行天皇第十二代、景行天皇は垂仁第三の子。御母日葉州媛、丹波道主の王の女也。辛未年即位。大和の纏向の日代の宮にまします。十二年秋、熊襲そむきてみつき奉らず。八月に天皇筑紫に幸して是を征し給。十三年夏ことごとく平ぐ。高屋の宮にまします。十九年の秋筑紫より還給。二十七年秋、熊襲又そむきて辺境ををかしけり。皇子小碓の尊御年十六、をさなくより雄略気まして、容貎魁偉。身の長一丈、力能かなへをあげ給ひしかば、熊襲をうたしめ給。冬十月ひそかに彼国にいたり、奇謀をもて、梟帥取石鹿父と云物を殺給。梟帥ほめ奉て、日本武となづけ申けり。悉余党を平て帰給。所々にしてあまたの悪神をころしつ。二十八年春かへりこと申給けり。天皇其の功をほめてめぐみ給こと諸子にことなり。四十年の夏、東夷おほく背て辺境さわがしかりければ、又日本武の皇子をつかはす。吉備の武彦、大伴の武日を左右の将軍としてあひそへしめ給。十月に枉道して伊勢の神宮にまうでゝ、大和姫の命にまかり申給。かの命神剣をさづけて、「つゝしめ、なおこたりそ。」
-
『神皇正統記』巻二 第一代 神武天皇此大八州は皆是王地也。神代幽昧なりしによりて西偏の国にして、おほくの年序をおくられけるにこそ。天皇舟楫をとゝのへ、甲兵をあつめて、大日本州にむかひ給。みちのついでの国々をたひらげ、大やまとにいりまさむとせしに、其国に天の神饒の速日の尊の御すゑ宇麻志間見の命と云神あり。外舅の長髄彦と云、「天神の御子両種有むや。」とて、軍をおこしてふせぎたてまつる。其軍こはくして皇軍しばしば利をうしなふ。又邪神毒気をはきしかば、士卒みなやみふせり。こゝに天照太神、健甕槌の神をめして、「葦原の中つ州にさわぐおとす。汝ゆきてたひらげよ。」とみことのりし給。健甕槌の神申給けるは、「昔国をたひらげし時の剣あり。かれをくださば、自らたひらぎなん。」と申て、紀伊国名草の村に高倉下命と云神にしめして、此剣をたてまつりければ、天皇悦給て、士卒のやみふせりけるもみなおきぬ。又神魂の命の孫、武津之身命大烏となりて軍の御さきにつかうまつる。天皇ほめて八咫烏と号し給。又金色の鴟くだりて皇弓のはずにゐたり。
-
『神皇正統記』巻二 第十二代 景行天皇尊またこえてすぎ給しに、山神毒気を吐けるに、御心みだれにけり。それより伊勢にうつり給。能褒野と云所にて御やまひはなはだしくなりにければ、武彦の命をして天皇に事のよしを奏して、つひにかくれ給ぬ。御年三十也。天皇きこしめして、悲給事限なし。群卿百寮に仰て、伊勢国能褒野にをさめたてまつる。白鳥と成て、大和国をさして琴弾原にとゞまれり。其所に又陵をつくらしめられければ、又飛て河内古市にとゞまる。その所に陵を定られしかば、白鳥又飛て天にのぼりぬ。仍三の陵あり。彼草薙の剣は宮簀媛あがめたてまつりて、尾張にとゞまり給。今の熱田神にまします。五十一年秋八月、武内の宿禰を棟梁の臣とす。五十三年秋、小碓の命の平し国をめぐりみざらんやとて、東国に幸し給。十二月あづまよりかへりて、伊勢の綺の宮にまします。五十四年秋、伊勢より大和にうつり、纏向の宮にかへり給。天下を治給こと六十年。百四十歳おましましき。
-
『神皇正統記』巻一 地神第一代 天照太神頭おのおの一槽に入てのみゑひてねぶりけるを、尊はかせる十握の剣をぬきてつだつだにきりつ。尾にいたりて剣の刃すこしかけぬ。さきてみ給へば一の剣あり。その上に雲気ありければ、天の叢雲の剣と名く。「これあやしき剣なり。われ、なぞ、あへて私におけらんや。」との給て、天照太神にたてまつり上られにけり。其のち出雲の清の地にいたり、宮をたてゝ、稲田姫とすみ給。大己貴の神をうましめて、素戔烏尊はつひに根の国にいでましぬ。大汝の神、此国にとゞまりて天下を経営し、葦原の地を領給けり。よりてこれを大国主の神とも大物主とも申。その幸魂奇魂は大和の三輪の神にます。
-
『古語拾遺』慎みて怠ること莫かれ日本武命をして東夷を征討せしむ。仍りて道を枉げて伊勢神宮に詣り、倭姫命に辞見す。草薙剣を以て日本武命に授けて、教えて曰く、慎みて怠ること莫かれ、と。日本武命既に東虜を平らげ、還りて尾張国に至り、宮簀媛を納れて淹留すること月を踰ゆ。剣を解きて宅に置き、徒行して膽吹山に登り、毒に中りて薨ず。
-
『古語拾遺』八岐大蛇と天叢雲素戔鳴神、天より降りて出雲国の簸の川上に到り、天の十握剣を以て八岐大蛇を斬る。其の尾の中に一つの霊剣を得たり。其の名を天叢雲と曰う。乃ち天神に献上するなり。然る後に素戔鳴神、国神の女を娶りて大己貴神を生み、遂に根国に就く。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る