古事記 / 中巻・小碓命と熊曾の館
又定東之淡水門。又定膳之大伴部。又定倭屯家。又作坂手池。(城下郡坂手村)即竹植其堤也。天皇詔小碓命。何汝兄於朝夕之大御食不參出來。專汝泥疑敎覺。(泥疑二字以音。下效此)如此詔以後。至于五日。猶不參出。爾天皇問賜小碓命。何汝兄久不參出。若有未誨乎。答白。既爲泥疑也。又詔。如何泥疑之。答白。朝署入厠之時。持捕搤批而。引闕其枝。裹薦投棄。於是天皇惶其御子之建荒之情而。詔之。西方有熊曾建二人。是不伏無禮人等。故取其人等而遣。當此之時。其御髮結額也。爾小碓命給其姨倭比賣命之御衣御裳。以劒納于御懷而幸行。故到熊曾建之家見者。於其家邊軍圍三重。作室以居。於是言動爲御室樂。設備食物。故遊行其傍。待其樂日。
新字:又定東之淡水門。又定膳之大伴部。又定倭屯家。又作坂手池。(城下郡坂手村)即竹植其堤也。天皇詔小碓命。何汝兄於朝夕之大御食不参出来。専汝泥疑教覚。(泥疑二字以音。下効此)如此詔以後。至于五日。猶不参出。爾天皇問賜小碓命。何汝兄久不参出。若有未誨乎。答白。既為泥疑也。又詔。如何泥疑之。答白。朝署入厠之時。持捕搤批而。引闕其枝。裹薦投棄。於是天皇惶其御子之建荒之情而。詔之。西方有熊曽建二人。是不伏無礼人等。故取其人等而遣。当此之時。其御髪結額也。爾小碓命給其姨倭比売命之御衣御裳。以劒納于御懐而幸行。故到熊曽建之家見者。於其家辺軍囲三重。作室以居。於是言動為御室楽。設備食物。故遊行其傍。待其楽日。
書き下し
また東の淡水門を定めたまひ、また膳の大伴部を定め、また倭の屯家を定め、また坂手池を作りて、(城下郡坂手村)即ちその堤に竹を植ゑたまひき。天皇、小碓命に詔りたまはく、「何ぞ汝の兄、朝夕の大御食に参ゐ出で来ざる。専ら汝ねぎ教へ覚せ」とのりたまひき。(泥疑の二字は音をもちてす。下もこれに効(なら)へ。)かく詔りたまひて以後、五日に至るまで、なほ参ゐ出でず。爾して天皇、小碓命に問ひたまはく、「何ぞ汝の兄、久しく参ゐ出でざる。もし未だ誨へざるか」とのりたまひき。答へ白さく、「既にねぎしつ」とまをしたまひき。また詔りたまはく、「如何にかねぎしつる」とのりたまひき。答へ白さく、「朝署(あした)、厠に入りし時に、待ち捕へて、搤(つか)み批(ひし)ぎて、その枝を引き闕(か)き、薦に裹みて投げ棄てつ」とまをしたまひき。ここに天皇、その御子の建(たけ)く荒き情(こころ)を惶(おそ)れて、詔りたまはく、「西の方に熊曾建二人あり。これ伏ろはず礼なき人等なり。かれその人等を取りに遣はす」とのりたまひき。この時に当たりて、その御髪を額に結ひたまへり。爾して小碓命、その姨倭比売命の御衣御裳を給はり、剣をその御懐に納れて幸行(い)でましき。かれ熊曾建の家に到りて見れば、その家の辺に軍三重に囲み、室を作りて居りき。ここに言ひ動かして、御室楽(むろほかひ)せむとして、食物を設け備へき。かれその傍りに遊び行きて、その楽の日を待ちたまひき。
現代語訳
また、東の淡水門を定め、膳の大伴部を定め、大和の屯倉を定め、坂手池を作ってその堤に竹を植えました。(坂手池は城下郡坂手村にあります)。ある日、天皇が小碓命に言いました。「なぜおまえの兄は、朝夕の食事に出てこないのか。おまえがよく教え諭しなさい」。そう言ってから五日たっても、まだ兄は出てきません。天皇は小碓命に尋ねました。「どうして兄は長く出てこないのか。まだ教えていないのか」。小碓命は答えました。「もう教えました」。天皇が「どのように教えたのか」と尋ねると、答えました。「朝、兄が厠に入った時に、待ち伏せてつかまえ、押しつぶして手足をもぎ取り、薦に包んで投げ捨てました」。天皇は御子の荒々しい心を恐れて言いました。「西の方に熊曾建という二人がいる。従わず無礼な者たちだ。その者たちを討ちに行きなさい」。このとき小碓命は、髪を額の上に結う少年の姿でした。小碓命は叔母の倭比売命から衣と裳をいただき、剣を懐に隠して出かけました。熊曾建の家に着いて見ると、家の周りは軍が三重に囲み、新しい室を作ってそこに居ました。熊曾建は新築の宴の準備をして、食べ物を整えていました。小碓命はその周りを歩きながら、宴の日を待ちました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』中巻・女装して熊曾建を討つ爾してその楽の日に臨みて、童女の髪のごとくその結ひたまへる御髪を梳(けづ)り垂れ、その姨の御衣御裳を服(き)て、既に童女の姿と成りて、女人の中に交り立ちて、その室の内に入り坐しき。爾して熊曾建兄弟二人、その嬢子を見感(めでて)て、己(おの)が中に坐せて盛りに楽(うたげ)す。かれその酣(たけなは)なる時に臨みて、懐より剣を出し、熊曾の衣の衿を取り、剣をもちてその胸より刺し通したまふ時に、その弟建、見て畏み逃げ出づ。乃ち追ひてその室の椅(はし)の本に至り、その背の皮を取りて、剣を尻より刺し通したまふ。爾してその熊曾建白して言はく、「その刀を動かしたまふこと莫(な)かれ。僕、白すべき言あり」とまをしき。爾して暫し許して押し伏せたまひき。ここに白して言はく、「汝が命は誰ぞ」とまをしき。爾して詔りたまはく、「吾は纒向の日代宮に坐して、大八島国知らしめす、大帯日子淤斯呂和気天皇(景行)の御子、名は倭男具那王なり。意礼熊曾建二人、伏ろはず礼なしと聞こし看して、意礼を取り殺せと詔りて遣はせり」とのりたまひき。爾してその熊曾建白さく、「信(まこと)にしかなり。西の方に吾ら二人を除きては、建く強き人なし。然れども大倭国に、吾ら二人に益(ま)して建き男は坐しけり。ここをもちて吾、御名を献らむ。(今より以後、倭建御子と称ふべし。)」とまをし、この事白し訖はりて、即ち熟瓜のごと振り折ちて殺したまひき。
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『神皇正統記』巻二 第十二代 景行天皇第十二代、景行天皇は垂仁第三の子。御母日葉州媛、丹波道主の王の女也。辛未年即位。大和の纏向の日代の宮にまします。十二年秋、熊襲そむきてみつき奉らず。八月に天皇筑紫に幸して是を征し給。十三年夏ことごとく平ぐ。高屋の宮にまします。十九年の秋筑紫より還給。二十七年秋、熊襲又そむきて辺境ををかしけり。皇子小碓の尊御年十六、をさなくより雄略気まして、容貎魁偉。身の長一丈、力能かなへをあげ給ひしかば、熊襲をうたしめ給。冬十月ひそかに彼国にいたり、奇謀をもて、梟帥取石鹿父と云物を殺給。梟帥ほめ奉て、日本武となづけ申けり。悉余党を平て帰給。所々にしてあまたの悪神をころしつ。二十八年春かへりこと申給けり。天皇其の功をほめてめぐみ給こと諸子にことなり。四十年の夏、東夷おほく背て辺境さわがしかりければ、又日本武の皇子をつかはす。吉備の武彦、大伴の武日を左右の将軍としてあひそへしめ給。十月に枉道して伊勢の神宮にまうでゝ、大和姫の命にまかり申給。かの命神剣をさづけて、「つゝしめ、なおこたりそ。」
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『古事記』中巻・宇迦斯兄弟と宇陀の歌故、その鳴鏑の落ちし地を、訶夫羅前と謂ふ。将に待ち撃たむと云ひて、軍を聚めき。然れども、軍を聚むること得ざれば、欺陽り仕へ奉らむとして、大殿を作り、その殿の内に押機を作りて待ちし時、弟宇迦斯、先づ参向へて拝みて曰ひしく、「僕が兄兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚む。聚むること得ざれば、殿を作り、その内に押機を張りて、待ち取らむとす。故、参向へて顕はし白す」といひき。ここに大伴連らの祖、道臣命、久米直らの祖、大久米命の二人、兄宇迦斯を召びて、罵詈りて云ひしく、「いが(この二字は音を以ちてす)作り仕へ奉れる大殿の内には、おれ(この二字は音を以ちてす)先づ入りて、その仕へ奉らむとする状を明かし白せ」といひて、即ち横刀の手上を握り、矛ゆけ(この二字は音を以ちてす)矢刺して、追ひ入るる時に、乃ち己が作れる押機に打たえて死にき。ここに即ち控き出だして斬り散りき。故、その地を宇陀の血原と謂ふ。然して、その弟宇迦斯が献れる大饗は、悉にその御軍に賜ひき。この時に歌ひて曰ひしく、 うだの たかきに しぎわなはる わがまつや しぎはさやらず いすくはし くぢらさやる こなみが なこはさば たちそばの みのなけくを こきしひゑね うはなりが なこはさば いちさかき みのおほけくを こきだひゑね ええ しやごしや(これは伊碁能布曾ぞ。五字は音を以ちてす)ああ しやごしや(これは嘲笑ふ者なり)
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『古事記』中巻・建波邇安王の謀反と鎮圧ここに少女、答へて曰く、「吾は言はず。ただ歌ひしのみ」と。すなはちその行く所を見ずして、忽ちに失せぬ。かれ大毘古命、更に還り参上りて、天皇に請ひし時に、天皇答へ詔りたまひしく、「これは、山代国にいます我が庶兄建波邇安王の、邪き心を起こせる表ならくのみ(波邇の二字は音を以ゐよ)。伯父、軍を興して行くべし」とのりたまひて、すなはち丸邇臣の祖、日子国夫玖命を副へて遣はす時に、すなはち丸邇坂に忌瓮を居ゑて罷り往きき。ここに山代の和訶羅河に到りし時に、その建波邇安王、軍を興して待ち遏へ、各河を中に挟みて、対ひ立ちて相挑みき。かれその地を号けて伊杼美と謂ふ。今は伊豆美(山城相楽郡)と謂ふ。ここに日子国夫玖命、「その廂の人、先づ忌矢を弾て」と乞ひて云ひき。ここにその建波邇安王射れども、中つることを得ず。ここに国夫玖命の弾てる矢は、すなはち建波邇安王を射て死にき。かれその軍悉に破れて逃げ散りき。ここにその逃ぐる軍を追ひ迫めて、久須婆の度(河内交野郡)に到りし時に、皆迫め窘しめられて、屎出でて褌に懸かりき。かれその地を号けて屎褌と謂ふ。今は久須婆と謂ふ。またその逃ぐる軍を遮りて斬れば、鵜の如く河に浮きき。
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