古事記 / 中巻・神祇の社と三輪山伝説
又仰伊迦賀色許男命。作天之八十毘羅訶。(此三字以音也)定奉天神地祇之社。又於宇陀墨坂神。祭赤色楯矛。又於大坂神。祭黑色楯矛。又於坂之御尾神。及河瀨神。悉無遺忘。以奉幣帛也。因此而役氣悉息。國家安平也。此謂意富多多泥古人。所以知神子者。上所云活玉依毘賣。其容姿端正。於是有神壯夫。(阿【七/夜】詞)其形姿威儀。於時無比。夜半之時。倏忽到來。故相感。共婚供住之間。未經幾時。其美人姙身。爾父母怪其姙身之事。問其女曰。汝者自姙。無夫。何由姙身乎。答曰。有麗美壯夫。不知其姓名。每夕到來。供住之間。自然懷姙。是以其父母欲知其人。誨其女曰。以赤土散床前。以閇蘇(此二字以音)紡麻貫針。則其衣襴。故如敎而。旦時見者。所著針麻者。自戶之鉤穴控通而出。唯遺麻者。三勾耳。
新字:又仰伊迦賀色許男命。作天之八十毘羅訶。(此三字以音也)定奉天神地祇之社。又於宇陀墨坂神。祭赤色楯矛。又於大坂神。祭黒色楯矛。又於坂之御尾神。及河瀨神。悉無遺忘。以奉幣帛也。因此而役気悉息。国家安平也。此謂意富多多泥古人。所以知神子者。上所云活玉依毘売。其容姿端正。於是有神壮夫。(阿【七/夜】詞)其形姿威儀。於時無比。夜半之時。倏忽到来。故相感。共婚供住之間。未経幾時。其美人姙身。爾父母怪其姙身之事。問其女曰。汝者自姙。無夫。何由姙身乎。答曰。有麗美壮夫。不知其姓名。毎夕到来。供住之間。自然懐姙。是以其父母欲知其人。誨其女曰。以赤土散床前。以閇蘇(此二字以音)紡麻貫針。則其衣襴。故如教而。旦時見者。所著針麻者。自戸之鉤穴控通而出。唯遺麻者。三勾耳。
書き下し
また伊迦賀色許男命に仰せて、天の八十毘羅訶(此の三字は音を以ゐよ)を作り、天つ神・国つ神の社を定め奉りたまひき。また宇陀の墨坂神に、赤色の楯矛を祭り、また大坂神に、黒色の楯矛を祭り、また坂の御尾の神及び河の瀬の神に、悉に遺し忘るること無く、幣帛を奉りたまひき。これに因りて役気悉に息み、国家安らかに平らぎき。この意富多多泥古と謂ふ人を、神の子と知れる所以は、上に云へる活玉依毘売、その容姿端正し。ここに神壮夫あり。(阿【七/夜】詞)その形姿威儀、時に比無し。夜半の時に、倏忽ちに到り来たり。かれ相感でて、共に婚ひ共住める間に、未だ幾時も経ぬに、その美人姙身みぬ。ここに父母、その姙身みし事を怪しみて、その女に問ひて曰く、「汝は自ら姙めり。夫無きに、何の由にか姙身める」と。答へて曰く、「麗美しき壮夫あり。その姓名を知らず。夕毎に到り来て、共住める間に、自然に懐姙みぬ」と。ここを以てその父母、その人を知らむと欲ひて、その女に誨へて曰く、「赤土を床の前に散らし、閇蘇(此の二字は音を以ゐよ)紡麻を針に貫きて、すなはちその衣の襴に(刺せ)」と。かれ教の如くして、旦時に見れば、着けし針の麻は、戸の鉤穴より控き通りて出で、唯遺れる麻は三勾のみなりき。
現代語訳
また、天皇は伊迦賀色許男命に命じて、祭りのための平たい土器を多数作らせ、天つ神と国つ神の社を定めてお祭りしました。また宇陀の墨坂神には赤い色の楯と矛を祭り、大坂神には黒い色の楯と矛を祭り、坂の御尾の神や河の瀬の神にも、残らず忘れることなく供え物を捧げました。これによって疫病はすっかり止み、国は安らかに平和になりました。この意富多多泥古という人が神の子だと分かったわけは、先に述べた活玉依毘売が容姿端正で、そこに神のような立派な男がいたからです。その姿や威厳は比べるものがありませんでした。夜中に突然やって来て、二人は互いに惹かれて結婚して暮らすうち、まもなく美しい娘が身ごもりました。父母はその妊娠を不思議に思い、娘に尋ねました。「お前は一人で身ごもった。夫もいないのに、どうして身ごもったのか」。答えました。「立派な男がいます。名前は知りません。毎夕やって来て、共に暮らすうちに自然に身ごもりました」。そこで父母はその男を知ろうとして、娘に教えました。「赤土を寝床の前に撒き、糸巻きに巻いた麻糸を針に通して、男の着物の裾に刺しなさい」。言われたとおりにして、朝に見ると、針をつけた麻糸は戸の鉤穴を通って外へ出ており、残った麻糸はわずか三輪だけでした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』中巻・疫病と大物主大神の祭りかれ伊久米伊理毘古伊佐知命は天の下を治らしめしき。次に豊木入日子命は、上毛野君、下毛野君らの祖なり。妹豊鉏比売命は、伊勢の大神の宮を拝き祭りたまひき。次に大入杵命は、能登臣の祖なり。次に倭日子命、この王の時に、始めて陵に人垣を立てき。この天皇の御世に、役病多に起こりて、人民死にて尽きむとしき。ここに天皇愁へ歎きて、神牀に坐しし夜に、大物主大神、御夢に顕れて曰く、「これは我が御心ぞ。かれ意富多多泥古を以ちて、我が御前を祭らしめたまはば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と。ここを以て駅使を四方に班ちて、意富多多泥古と謂ふ人を求むる時に、河内の美努村にその人を見得て貢進りき。ここに天皇、問ひ賜ひしく、「汝は誰が子ぞ」と。答へて曰く、「僕は大物主大神、陶津耳命の女、活玉依毘売を娶して生める子、名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子ぞ、僕意富多多泥古」と白しき。ここに天皇大きに歓びて詔りたまひしく、「天の下平らぎ、人民栄えなむ」と。すなはち意富多多泥古命を以ちて神主と為て、御諸山に意富美和の大神の前を拝き祭りたまひき。
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『古事記』中巻・三輪の由来と諸国派遣ここにすなはち鉤穴より出でし状を知りて、糸に従ひて尋ね行けば、美和山に至りて、神の社に留まりき。かれその神の子と知りぬ。かれその麻の三勾遺れるに因りて、その地を名づけて美和と謂ふなり。この意富多多泥古命は、神君、鴨君の祖なり。またこの御世に、大毘古命をば高志道に遣はし、その子建沼河別命をば東の方十二道に遣はして、その麻都漏波奴(麻より下の五字は音を以ゐよ)人どもを和平さしめたまひき。また日子坐王をば旦波国に遣はして、玖賀耳之御笠(これは人の名なり。玖賀の二字は音を以ゐよ)を殺さしめたまひき。かれ大毘古命、高志国に罷り往く時に、腰裳を服たる少女、山代の幣羅坂に立ちて歌ひて曰く、「こはや 御真木 入日子はや 御真木 入日子はや おのが緒を 盗み殺せむと 後つ戸よ い行き違ひ 前つ戸よ い行き違ひ 窺はく 知らにと 御真木 入日子はや」と。ここに大毘古命、怪しと思ひて、馬を返して、その少女に問ひて曰く、「汝が謂へる言は何の言ぞ」と。
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