弘道館記述義 / 大道之不明・大道は消えず、ただ見えにくくなる
大道之不明於世也。蓋亦久矣。臣彪謹案。不明者湮晦之謂。夫彛倫名分旣頹敗錯亂。則謂大道滅絕可也。豈特湮晦不明而已哉。曰不然。道之在世猶太陽之懸於天。保平已降。彛倫雖敗名分雖亂。而太陽未墜於地。則斯道存於人者。亦猶自若也。故當其喪亂荐臻禍變百出。天又必生英偉絕特之人於其間。以扶植天常民彛。使斯道有所寓。而不至於滅絕蕩盡矣。是以藤原信賴之作亂也。獨有藤原光賴之剛毅不屈。平淸盛之肆毒也。內有其子重盛之諫諍。外有藤原長方之讜議。佐藤憲淸遁跡於佛。非中行。而義不肯阿覇府。源義經失懼於兄。非無憾。而忠克效節於皇家。北條閥門之罪。固不容天誅。雖然微泰時時宗之撫民攘夷。則蠢蠢赤子何由息肩。而赫赫神州。或不免於忽必烈之蹂躪矣。後醍醐帝以英武之姿。攘除姦兇。復恢鴻業。海內之民再見天日。蓋自天智帝殪逆賊以來數百年間。未有此痛快也。天未悔禍。帝亦不能有終。然其所以慷慨按劍。遺詔勉恢復者。長使志士仁人。一毛髮竦然感動不已。
新字:大道之不明於世也。蓋亦久矣。臣彪謹案。不明者湮晦之謂。夫彛倫名分既頽敗錯乱。則謂大道滅絶可也。豈特湮晦不明而已哉。曰不然。道之在世猶太陽之懸於天。保平已降。彛倫雖敗名分雖乱。而太陽未墜於地。則斯道存於人者。亦猶自若也。故当其喪乱荐臻禍変百出。天又必生英偉絶特之人於其間。以扶植天常民彛。使斯道有所寓。而不至於滅絶蕩尽矣。是以藤原信頼之作乱也。独有藤原光頼之剛毅不屈。平清盛之肆毒也。内有其子重盛之諫諍。外有藤原長方之讜議。佐藤憲清遁跡於仏。非中行。而義不肯阿覇府。源義経失懼於兄。非無憾。而忠克効節於皇家。北条閥門之罪。固不容天誅。雖然微泰時時宗之撫民攘夷。則蠢蠢赤子何由息肩。而赫赫神州。或不免於忽必烈之蹂躪矣。後醍醐帝以英武之姿。攘除姦兇。復恢鴻業。海内之民再見天日。蓋自天智帝殪逆賊以来数百年間。未有此痛快也。天未悔禍。帝亦不能有終。然其所以慷慨按剣。遺詔勉恢復者。長使志士仁人。一毛髪竦然感動不已。
書き下し
大道の世に明らかならざるや、蓋し亦久し。臣彪謹んで案ずるに、明らかならずとは湮晦の謂なり。夫れ彝倫名分既に頽敗錯乱すれば、則ち大道滅絶すと謂ふも可なり。豈に特だ湮晦して明らかならざるのみならんや。曰く、然らず。道の世に在るは猶ほ太陽の天に懸かるがごとし。保平已降、彝倫敗れ名分乱ると雖も、太陽未だ地に墜ちざれば、則ち斯の道の人に存する者も亦猶ほ自若たり。故に其の喪乱荐りに臻り禍変百出するに当たりては、天又必ず英偉絶特の人を其の間に生じ、以て天常民彝を扶植し、斯の道をして寓する所有らしめ、滅絶蕩尽に至らざらしむ。是を以て藤原信頼の乱を作すや、独り藤原光頼の剛毅不屈有り。平清盛の毒を肆にするや、内には其の子重盛の諫諍有り、外には藤原長方の讜議有り。佐藤憲清は跡を仏に遁る。中行に非ざるも、義として覇府に阿らず。源義経は懼れを兄に失ふ。憾み無きに非ざるも、忠克く節を皇家に効す。北条閥門の罪は、固より天誅を容れず。然りと雖も泰時・時宗の民を撫し夷を攘ふこと微かりせば、則ち蠢蠢たる赤子何に由りてか肩を息めん。而して赫赫たる神州も、或いは忽必烈の蹂躙を免れざらん。後醍醐帝は英武の姿を以て、姦兇を攘除し、復た鴻業を恢く。海内の民再び天日を見る。蓋し天智帝の逆賊を殪してより以来数百年の間、未だ此の痛快有らず。天未だ禍を悔いず、帝も亦終り有ること能はず。然れども其の慷慨して剣を按じ、遺詔して恢復を勉むる所以の者は、長く志士仁人をして、一毛髪も竦然として感動して已まざらしむ。
現代語訳
「大道が世に明らかでなくなって、もう久しい。」臣の彪が謹んで考えますに、明らかでないとは、隠れて暗くなるという意味です。人倫と名分がすでに崩れ乱れたのなら、大道が滅び絶えたといってもよいはずです。ただ隠れて暗くなっただけでしょうか。答えます。そうではありません。道が世にあるのは、太陽が天にかかっているようなものです。保元・平治以降、人倫が破れ名分が乱れたとしても、太陽がまだ地に落ちていない以上、この道が人の中に存在することもまた変わりません。だから、乱れが続けざまに至り、禍と変事が百出するときには、天は必ず卓越した傑出した人をその間に生み出し、天の常道と民の人倫を支え立て、この道が宿る場所を持たせて、滅び尽きるには至らせません。そのため、藤原信頼が乱を起こしたときには、ただ一人、藤原光頼が剛毅で屈しませんでした。平清盛が毒をほしいままにしたときには、内には子の重盛の諫言があり、外には藤原長方の正しい議論がありました。佐藤憲清(西行)は仏門に身を隠しました。中庸の行いとはいえないものの、義として幕府に媚びませんでした。源義経は兄に恐れられ見捨てられました。恨みがなかったわけではありませんが、忠はよく皇室に節を尽くしました。北条氏の一門の罪は、もとより天の誅罰も許さないほどです。しかし泰時や時宗が民を撫で夷を払うことがなかったら、うごめく民はどうして肩を休められたでしょうか。そしてかがやく神州も、あるいは忽必烈(フビライ)の蹂躙を免れなかったでしょう。後醍醐帝は英武の資質をもって、よこしまな凶徒を取り除き、再び大きな業を開きました。国内の民は再び天日を見ました。思うに、天智帝が逆賊を討って以来、数百年の間、これほど痛快なことはありませんでした。天はまだ災いを悔いず、帝もまた最後まで全うできませんでした。しかし、その慷慨して剣に手をかけ、遺詔で回復に努めるよう勧めたことは、長く志士仁人に、一本の毛までも逆立つほどの感動を与えつづけています。
解説
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