近思録 / 巻6 家道
雖使令輩、不得以惡言罵之。故頤兄弟平生、於飲食衣服無所擇、不能惡言罵人、非性然也、教之使然也。與人爭忿、雖直不右、曰:「患其不能屈、不患其不能伸。」及稍長、常使從善師友游。雖居貧、或欲延客、則喜而爲之具。夫人七八歲時、誦古詩曰:「女子不夜出、夜出秉明燭。」自是日暮則不復出房閣。既長好文、而不爲辭章。見世之婦女以文章筆札傳於人者、則深以爲非。橫渠先生嘗曰:事親奉祭、豈可使人爲之。舜之事親有不悅者、爲父頑母囂、不近人情。若中人之性、其愛惡若無害理、姑必順之。親之故舊、所喜者、當極力招致、以悅其親。凡於父母賓客之奉、必極力營辦、亦不計家之有無。然爲養又須使不知其勉強勞苦。苟使見其爲而不易、則亦不安矣。《斯干》詩、言「兄及弟矣、式相好矣、無相猶矣」。言兄弟宜相好、不要相學。「猶」、似也。人情大抵患在施之不見報則輟。故恩不能終。不要相學、己施之而已。人「不爲周南召南、其猶正牆面而立」。常深思此言誠是。不從此行、甚隔著事。向前推不去。蓋至親至近、莫甚於此。故須從此始。婢僕始至者、本懷勉勉敬心、若到所提掇更謹、則加謹。慢則棄其本心、便習以性成。故仕者入治朝則德日進、入亂朝則德日退。只觀在上者有可學無可學爾。
新字:雖使令輩、不得以悪言罵之。故頤兄弟平生、於飲食衣服無所択、不能悪言罵人、非性然也、教之使然也。与人争忿、雖直不右、曰:「患其不能屈、不患其不能伸。」及稍長、常使従善師友游。雖居貧、或欲延客、則喜而為之具。夫人七八歳時、誦古詩曰:「女子不夜出、夜出秉明燭。」自是日暮則不復出房閣。既長好文、而不為辞章。見世之婦女以文章筆札伝於人者、則深以為非。横渠先生嘗曰:事親奉祭、豈可使人為之。舜之事親有不悦者、為父頑母囂、不近人情。若中人之性、其愛悪若無害理、姑必順之。親之故旧、所喜者、当極力招致、以悦其親。凡於父母賓客之奉、必極力営辦、亦不計家之有無。然為養又須使不知其勉強労苦。苟使見其為而不易、則亦不安矣。《斯干》詩、言「兄及弟矣、式相好矣、無相猶矣」。言兄弟宜相好、不要相学。「猶」、似也。人情大抵患在施之不見報則輟。故恩不能終。不要相学、己施之而已。人「不為周南召南、其猶正牆面而立」。常深思此言誠是。不従此行、甚隔著事。向前推不去。蓋至親至近、莫甚於此。故須従此始。婢僕始至者、本懐勉勉敬心、若到所提掇更謹、則加謹。慢則棄其本心、便習以性成。故仕者入治朝則徳日進、入乱朝則徳日退。只観在上者有可学無可学爾。
書き下し
使令の輩と雖も、悪言を以て之を罵るを得ず。故に頤の兄弟平生、飲食衣服に於いて択ぶ所無く、悪言もて人を罵る能はざるは、性然るに非ざるなり、之に教へて然らしむるなり。人と争忿すれば、直しと雖も右けず、曰く、「其の屈する能はざるを患ふ、其の伸ぶる能はざるを患へず」と。稍や長ずるに及びて、常に善き師友に従ひて游ばしむ。貧に居ると雖も、或いは客を延かんと欲すれば、則ち喜びて之が為に具ふ。夫人七八歳の時、古詩を誦して曰く、「女子は夜出でず、夜出づれば明燭を秉る」と。是より日暮るれば則ち復た房閣を出でず。既に長じて文を好み、而も辞章を為らず。世の婦女の文章筆札を以て人に伝ふる者を見れば、則ち深く以て非と為す。横渠先生嘗て曰く、親に事へ祭を奉ずるは、豈に人をして之を為さしむべけんや。舜の親に事へて悦ばざる者有るは、父頑に母囂にして、人情に近からざるが為なり。若し中人の性ならば、其の愛悪若し理を害する無くんば、姑く必ず之に順へ。親の故旧、喜ぶ所の者は、当に力を極めて招致し、以て其の親を悦ばしむべし。凡そ父母賓客の奉に於いては、必ず力を極めて営辦し、亦た家の有無を計らず。然れども養を為すには又須らく其の勉強労苦を知らざらしむべし。苟くも其の為すこと易からざるを見しむれば、則ち亦た安からず。『斯干』の詩に、「兄と弟と、式て相好し、相猶ること無かれ」と言ふ。兄弟は宜しく相好くすべく、相学ぶを要せざるを言ふ。「猶」は、似るなり。人情大抵患ひは之を施して報いらるるを見ざれば則ち輟むるに在り。故に恩終はる能はず。相学ぶを要せず、己之を施すのみ。人「周南召南を為めずんば、其れ猶ほ正しく牆に面して立つがごとし」。常に深く此の言を思ふに誠に是なり。此より行はずんば、甚だ事に隔著す。前に向かひて推し去らず。蓋し至親至近、此より甚だしきは莫し。故に須らく此より始むべし。婢僕の始めて至る者は、本勉勉たる敬心を懐く、若し提掇する所に到りて更に謹めば、則ち謹みを加ふ。慢なれば則ち其の本心を棄て、便ち習ひて以て性と成る。故に仕ふる者治朝に入れば則ち徳日に進み、乱朝に入れば則ち徳日に退く。只だ上に在る者に学ぶべき有ると学ぶべき無きとを観るのみ。
現代語訳
召使いであっても、悪い言葉で罵ることは許さなかった。だから私(程頤)たち兄弟が、ふだん飲食や衣服について好き嫌いを言わず、悪い言葉で人を罵ることができないのは、生まれつきそうなのではなく、そう教えられたからである。子が人と争って怒ったときは、たとえこちらが正しくても味方しなかった。そして言った。「心配なのは、お前が身を屈することができないことであって、自分の主張を通せないことではない」。少し成長すると、常に善い師や友について学ばせた。貧しい暮らしであっても、子が客を招きたいと言えば、喜んでそのために支度をした。夫人は七、八歳のとき、古い詩を暗誦した。「女子は夜に出歩かない。夜に出るなら明かりを手に持つ」。それ以来、日が暮れると部屋から出なかった。成長すると学問を好んだが、詩文は作らなかった。世の婦人で文章や手紙を人に広めている者を見ると、深くよくないことだと考えた。横渠先生はかつて言った。親に仕え祭祀を行うことを、どうして人に代わりにさせてよかろうか。舜が親に仕えても喜ばれなかったことがあるのは、父が頑迷で母がやかましく、人情に近くなかったからである。もし普通の人の性であれば、その好き嫌いが道理を損なわない限り、ひとまず必ずそれに従え。親の古い知人で親が好む人は、力を尽くして招き、親を喜ばせるべきである。およそ父母や賓客へのもてなしは、必ず力を尽くして整え、家の財の有無を計算しない。しかし養うにあたっては、自分が無理をして苦労していることを親に知られないようにしなければならない。もし親が、子が容易でない思いをしているのを見れば、親もまた安らかでいられない。『詩経』の「斯干」の詩に「兄と弟とは、互いに仲良くし、互いに猶(に)ることのないように」とある。兄弟は互いに仲良くすべきで、互いに相手のまねをする必要はないということである。「猶」とは似ることである。人の情はおおむね、施しても報いが見えなければやめてしまうところに患いがある。だから恩が最後まで続かない。相手のまねをする必要はない。自分が施せばそれでよい。孔子は「人が周南・召南(詩経の家庭を歌った篇)を学ばなければ、塀に面して立っているようなものだ」と言った。常にこの言葉を深く考えてみると、まことにそのとおりである。ここから行わなければ、事とひどく隔たってしまい、前へ推し進めることができない。思うに、最も親しく最も近いものとして、これ以上のものはない。だからここから始めなければならない。召使いが初めて来たときは、本来まじめに敬う心を抱いている。もし使う側がいっそう慎んで引き立てれば、召使いもますます慎む。使う側が怠慢であれば、召使いはその本心を捨て、それが習い性となってしまう。だから仕える者は、治まった朝廷に入れば徳が日々進み、乱れた朝廷に入れば徳が日々退く。ただ上に立つ者に学ぶべきところがあるかないかを見るだけである。
解説
この章句が説くこと
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『近思録』巻6 家道先公太中諱は珦、字は伯温。前後五たび任子を得て、以て諸父の子孫に均しくす。孤女を嫁遣するに、必ず其の力を尽くす。得る所の俸銭は、分かちて親戚の貧しき者を贍す。伯母劉氏寡居す、公奉養すること甚だ至れり。其の女の夫死す、公従女兄を迎へて以て帰る。其の子を教養すること、子侄に均し。既にして女兄の女又寡となる。公女兄の悲思を懼れ、又甥女を取りて以て帰りて之を嫁す。時に小官にして禄薄し、己に克ちて義を為す、人以て難しと為す。公は慈恕にして剛断なり。平居幼賤と処るに、惟だ其の意を傷ふこと有るを恐る。義理を犯すに至りては、則ち仮さず。左右使令の人、日として其の饑飽寒燠を察せざるは無し。侯氏を娶る。侯夫人舅姑に事へて、孝謹を以て称せらる。先公と相待すること賓客の如し。先公其の内助に頼り、礼敬尤も至る。而して夫人謙順にして自ら牧し、小事と雖も未だ嘗て専らにせず、必ず稟して後に行ふ。仁恕寛厚にして、諸庶を撫愛し、己出に異ならず。従叔幼くして孤なり、夫人存視し、常に己が子に均しくす。家を治むるに法有り、厳ならずして整ひ、奴婢を笞撲するを喜ばず。小臧獲を視ること児女の如し。諸子或いは呵責を加ふれば、必ず之を戒めて曰く、「貴賤殊なりと雖も、人は則ち一なり。汝是くの如く大なる時、能く此の事を為すや否や」と。先公凡そ怒る所有れば、必ず之が為に寛解す。唯だ諸児に過ち有れば、則ち掩はざるなり。常に曰く、「子の不肖なる所以の者は、母其の過ちを蔽ひて、父知らざるに由るなり」と。夫人の男子六人、存する所惟だ二、其の愛慈至れりと謂ふべし。然れども之を教ふるの道に於いては、少しも仮さざるなり。纔かに数歳、行きて或いは踣る。家人走り前みて扶け抱き、其の驚き啼かんことを恐る、夫人未だ嘗て呵責せずんばあらず、曰く、「汝若し安徐ならば寧ぞ踣るるに至らんや」と。飲食常に之を坐側に置く。嘗て絮羹を食すれば、即ち之を叱止して曰く、「幼にして欲に称はんことを求む、長じて当に如何なるべき」と。
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『近思録』巻6 家道己の子と兄の子と争ふ所幾何ぞ。是れ同じく父より出づる者なり。只だ兄弟形を異にするが為に、故に兄弟を以て手足と為す。人多く形を異にするの故を以て、己の子に親しむこと、兄弟の子に異なる、甚だ是ならざるなり。又問ふ、「孔子公冶長の南容に及ばざるを以て、故に兄の子を以て南容に妻せ、己の子を以て公冶長に妻す。何ぞや」と。曰く、「此れも亦た己の私心を以て聖人を看るなり。凡そ人の嫌を避くる者は、皆内足らざるなり。聖人は自ら至公なり、何ぞ更に嫌を避けん。凡そ女を嫁するには各おの其の才を量りて配を求む。或いは兄の子甚だしくは美ならざれば、必ず其の相称ふ者を択びて之が配と為す。己の子美なれば、必ず其の才美なる者を択びて之が配と為す。豈に更に嫌を避けんや。孔子の事の若きは、或いは是れ年相若かず、或いは時に先後有り、皆知るべからず。孔子を以て嫌を避くと為すは、則ち大いに是ならず。嫌を避くるの事の如きは、賢者すら且つ為さず、況んや聖人をや」と。問ふ、「孀婦は理に於いて取るべからざるに似たり、如何」と。曰く、「然り。凡そ取るは以て身に配するなり。若し節を失ふ者を取りて以て身に配すれば、是れ己節を失ふなり」と。又問ふ、「或いは孤孀貧窮にして託する無き者有らば、再嫁すべきや否や」と。曰く、「只だ是れ後世寒餓して死するを怕る、故に是の説有り。然れども餓死の事は極めて小さく、節を失ふの事は極めて大なり」と。病みて床に臥し、之を庸医に委ぬるは、之を不慈不孝に比す。親に事ふる者も亦た医を知らざるべからず。程子父を葬るに、周恭叔をして客を主らしむ。客酒を飲まんとす、恭叔以て先生に告ぐ。曰く、「人を悪に陥るること勿かれ」と。乳婢を買ふは多く已むを得ず。或いは自ら乳する能はざれば、必ず人を使ふ。然れども己の子を食はしめて人の子を殺すは、道に非ず。必ず已むを得ずんば、二子の乳を用ひて三子を食はしめ、他虞に備ふるに足る。或いは乳母病みて且に死せんとするも、則ち害を為さず、又己の子の為に人の子を殺さず。但だ費す所有るのみ。若し不幸にして其の子を誤るを致さば、害孰れか大ならん。
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『近思録』巻6 家道帰妹の九二、其の幽貞を守り、未だ夫婦常正の道を失はず。世人媟狎を以て常と為す、故に貞静を以て変常と為す。乃ち常久の道なるを知らざるなり。世人多く壻を択ぶに慎みて、婦を択ぶに忽せにす。其の実壻は見易く、婦は知り難し。繋る所甚だ重し。豈に忽せにすべけんや。人父母無ければ、生日は当に倍悲痛すべし。更に安んぞ酒を置き楽を張りて以て楽しみと為すに忍びんや。若し具慶なる者は可なり。問ふ、「行状に云ふ、『性を尽くし命に至るは、必ず孝弟に本づく』と。識らず孝弟何を以て能く性を尽くし命に至るや」と。曰く、「後人便ち性命を将て別に一般の事と作して説き了る。性命孝弟は、只だ是れ一統底の事なり。孝弟の中に就きて便ち性を尽くし命に至るべし。灑掃応対と性を尽くし命に至るとの如きも、亦た是れ一統底の事なり。本末有る無く、精粗有る無し、却つて後来の人の性命を言ふ者に、別に一般の高遠の説を作さる。故に孝弟を挙ぐるは、是れ人に於いて切近なる者に於いて之を言ふなり。然れども今時孝弟の人無きに非ず、而も性を尽くし命に至る能はざる者は、之に由りて知らざればなり」と。問ふ、「第五倫其の子の疾と兄の子の疾とを視ること同じからず。自ら之を私と謂ふ。如何」と。曰く、「安寝すると安寝せざるとを待たず。只だ起きざると十たび起くると、便ち是れ私なり。父子の愛は本是れ公なり。才かに些の心を著けて做せば、便ち是れ私なり」と。又問ふ、「己が子と兄の子とを視るに間有りや否や」と。曰く、「聖人法を立てて、曰く、『兄弟の子は猶ほ子のごとし』と。是れ之を視ること猶ほ子のごとくせしめんと欲するなり」と。又問ふ、「天性自ら軽重有り。疑ふらくは間有るが若く然り」と。曰く、「只だ今人私心を以て看了するが為なり。孔子曰く、『父子の道は、天性なり』と。此れ只だ孝の上に就きて説く、故に父子は天性と言ふ。君臣兄弟賓主朋友の類の若きも、亦た豈に是れ天性ならざらんや。只だ今人小さく看却して、其の本の由りて来たる所を推さざるが為の故のみ」と。
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