近思録 / 巻6 家道
先公太中諱珦、字伯溫。前後五得任子、以均諸父子孫。嫁遣孤女、必盡其力。所得俸錢、分贍親戚之貧者。伯母劉氏寡居、公奉養甚至。其女之夫死、公迎從女兄以歸。教養其子、均於子侄。既而女兄之女又寡。公懼女兄之悲思、又取甥女以歸嫁之。時小官祿薄、克己爲義、人以爲難。公慈恕而剛斷。平居與幼賤處、惟恐有傷其意。至於犯義理、則不假也。左右使令之人、無日不察其饑飽寒燠。娶侯氏。侯夫人事舅姑、以孝謹稱。與先公相待如賓客。先公賴其內助、禮敬尤至。而夫人謙順自牧、雖小事未嘗專、必稟而後行。仁恕寬厚、撫愛諸庶、不異己出。從叔幼孤、夫人存視、常均己子。治家有法、不嚴而整、不喜笞撲奴婢。視小臧獲如兒女。諸子或加呵責、必戒之曰:「貴賤雖殊、人則一也。汝如是大時、能爲此事否?」先公凡有所怒、必爲之寬解。唯諸兒有過、則不掩也。常曰:「子之所以不肖者、由母蔽其過、而父不知也。」夫人男子六人、所存惟二、其愛慈可謂至矣。然於教之之道、不少假也。纔數歲、行而或踣。家人走前扶抱、恐其驚啼、夫人未嘗不呵責、曰:「汝若安徐寧至踣乎?」飲食常置之坐側。嘗食絮羹、即叱止之曰:「幼求稱欲、長當如何?」
新字:先公太中諱珦、字伯温。前後五得任子、以均諸父子孫。嫁遣孤女、必尽其力。所得俸銭、分贍親戚之貧者。伯母劉氏寡居、公奉養甚至。其女之夫死、公迎従女兄以帰。教養其子、均於子侄。既而女兄之女又寡。公懼女兄之悲思、又取甥女以帰嫁之。時小官禄薄、克己為義、人以為難。公慈恕而剛断。平居与幼賤処、惟恐有傷其意。至於犯義理、則不仮也。左右使令之人、無日不察其饑飽寒燠。娶侯氏。侯夫人事舅姑、以孝謹称。与先公相待如賓客。先公頼其内助、礼敬尤至。而夫人謙順自牧、雖小事未嘗専、必稟而後行。仁恕寛厚、撫愛諸庶、不異己出。従叔幼孤、夫人存視、常均己子。治家有法、不厳而整、不喜笞撲奴婢。視小臧獲如児女。諸子或加呵責、必戒之曰:「貴賤雖殊、人則一也。汝如是大時、能為此事否?」先公凡有所怒、必為之寛解。唯諸児有過、則不掩也。常曰:「子之所以不肖者、由母蔽其過、而父不知也。」夫人男子六人、所存惟二、其愛慈可謂至矣。然於教之之道、不少仮也。纔数歳、行而或踣。家人走前扶抱、恐其驚啼、夫人未嘗不呵責、曰:「汝若安徐寧至踣乎?」飲食常置之坐側。嘗食絮羹、即叱止之曰:「幼求称欲、長当如何?」
書き下し
先公太中諱は珦、字は伯温。前後五たび任子を得て、以て諸父の子孫に均しくす。孤女を嫁遣するに、必ず其の力を尽くす。得る所の俸銭は、分かちて親戚の貧しき者を贍す。伯母劉氏寡居す、公奉養すること甚だ至れり。其の女の夫死す、公従女兄を迎へて以て帰る。其の子を教養すること、子侄に均し。既にして女兄の女又寡となる。公女兄の悲思を懼れ、又甥女を取りて以て帰りて之を嫁す。時に小官にして禄薄し、己に克ちて義を為す、人以て難しと為す。公は慈恕にして剛断なり。平居幼賤と処るに、惟だ其の意を傷ふこと有るを恐る。義理を犯すに至りては、則ち仮さず。左右使令の人、日として其の饑飽寒燠を察せざるは無し。侯氏を娶る。侯夫人舅姑に事へて、孝謹を以て称せらる。先公と相待すること賓客の如し。先公其の内助に頼り、礼敬尤も至る。而して夫人謙順にして自ら牧し、小事と雖も未だ嘗て専らにせず、必ず稟して後に行ふ。仁恕寛厚にして、諸庶を撫愛し、己出に異ならず。従叔幼くして孤なり、夫人存視し、常に己が子に均しくす。家を治むるに法有り、厳ならずして整ひ、奴婢を笞撲するを喜ばず。小臧獲を視ること児女の如し。諸子或いは呵責を加ふれば、必ず之を戒めて曰く、「貴賤殊なりと雖も、人は則ち一なり。汝是くの如く大なる時、能く此の事を為すや否や」と。先公凡そ怒る所有れば、必ず之が為に寛解す。唯だ諸児に過ち有れば、則ち掩はざるなり。常に曰く、「子の不肖なる所以の者は、母其の過ちを蔽ひて、父知らざるに由るなり」と。夫人の男子六人、存する所惟だ二、其の愛慈至れりと謂ふべし。然れども之を教ふるの道に於いては、少しも仮さざるなり。纔かに数歳、行きて或いは踣る。家人走り前みて扶け抱き、其の驚き啼かんことを恐る、夫人未だ嘗て呵責せずんばあらず、曰く、「汝若し安徐ならば寧ぞ踣るるに至らんや」と。飲食常に之を坐側に置く。嘗て絮羹を食すれば、即ち之を叱止して曰く、「幼にして欲に称はんことを求む、長じて当に如何なるべき」と。
現代語訳
亡き父の太中大夫(程珦、ていきょう)は、諱(いみな)を珦、字を伯温という。前後五回、子を官に就ける恩典(任子)を得たが、それを叔父たちの子孫に均等に分け与えた。身寄りのない娘を嫁がせるときは、必ず力を尽くした。得た俸給は、親戚の貧しい者に分け与えて助けた。伯母の劉氏が寡婦として暮らしていたが、父はきわめて手厚く養った。その伯母の娘の夫が死ぬと、父はその従姉を迎えて家に連れ帰った。その子を教え養うことは、自分の子や甥と同じにした。やがてその従姉の娘もまた寡婦となった。父は従姉が悲しむことを案じ、またその姪を引き取って家に連れ帰り、再び嫁がせた。当時、父は小役人で俸給は少なかったが、自分を抑えて義を行った。人々はそれを難しいことだと思った。父は慈しみ深く思いやりがありながら、剛毅で決断力があった。ふだん幼い者や身分の低い者と接するときは、ただその気持ちを傷つけないかと気づかった。しかし義理に背くことがあれば、容赦しなかった。身の回りで使う者たちについて、その飢えや満腹、寒さや暑さを察しない日はなかった。父は侯氏を娶った。侯夫人は舅姑によく仕え、孝行で慎み深いと称えられた。父とは互いに賓客のように敬い合った。父は夫人の内助に頼り、礼と敬意はとりわけ厚かった。夫人は謙虚で従順、自らを律し、小さなことでも決して独断せず、必ず父に申し上げてから行った。思いやり深く寛大で、妾の子たちを慈しみ、自分の産んだ子と変わらなかった。父の従弟が幼くして父を亡くしたとき、夫人は面倒を見て、常に自分の子と同じに扱った。家を治めるのに法度があり、厳しくしないのに整っていた。奴婢を鞭打つことを好まなかった。幼い召使いを自分の子どものように見た。子どもたちが召使いを叱りつけることがあれば、必ず戒めて言った。「身分の貴賤は違っても、人であることは同じである。お前がこのくらいの年のとき、この仕事ができたか」。父が怒ることがあれば、必ずとりなして和らげた。ただ子どもたちに過ちがあるときは、隠さなかった。常に言った。「子が不肖になるのは、母がその過ちを覆い隠して、父が知らないからである」。夫人は男子を六人産んだが、生き残ったのは二人だけであった。その慈愛はこの上ないものであったと言える。しかし教育の道については、少しも甘くしなかった。まだ数歳のころ、歩いていて転ぶことがあった。家の者が駆け寄って助け起こし、驚いて泣くのではないかと心配すると、夫人は必ず叱って言った。「お前がゆっくり落ち着いて歩いていれば、どうして転ぶことがあろうか」。食事のときはいつも子を自分の座のそばに置いた。子が羹(あつもの)に味を足したがると、すぐに叱ってやめさせ、言った。「幼いうちから欲を満たそうとしていては、大人になったらどうなるのか」。
解説
この章句が説くこと
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『近思録』巻6 家道使令の輩と雖も、悪言を以て之を罵るを得ず。故に頤の兄弟平生、飲食衣服に於いて択ぶ所無く、悪言もて人を罵る能はざるは、性然るに非ざるなり、之に教へて然らしむるなり。人と争忿すれば、直しと雖も右けず、曰く、「其の屈する能はざるを患ふ、其の伸ぶる能はざるを患へず」と。稍や長ずるに及びて、常に善き師友に従ひて游ばしむ。貧に居ると雖も、或いは客を延かんと欲すれば、則ち喜びて之が為に具ふ。夫人七八歳の時、古詩を誦して曰く、「女子は夜出でず、夜出づれば明燭を秉る」と。是より日暮るれば則ち復た房閣を出でず。既に長じて文を好み、而も辞章を為らず。世の婦女の文章筆札を以て人に伝ふる者を見れば、則ち深く以て非と為す。横渠先生嘗て曰く、親に事へ祭を奉ずるは、豈に人をして之を為さしむべけんや。舜の親に事へて悦ばざる者有るは、父頑に母囂にして、人情に近からざるが為なり。若し中人の性ならば、其の愛悪若し理を害する無くんば、姑く必ず之に順へ。親の故旧、喜ぶ所の者は、当に力を極めて招致し、以て其の親を悦ばしむべし。凡そ父母賓客の奉に於いては、必ず力を極めて営辦し、亦た家の有無を計らず。然れども養を為すには又須らく其の勉強労苦を知らざらしむべし。苟くも其の為すこと易からざるを見しむれば、則ち亦た安からず。『斯干』の詩に、「兄と弟と、式て相好し、相猶ること無かれ」と言ふ。兄弟は宜しく相好くすべく、相学ぶを要せざるを言ふ。「猶」は、似るなり。人情大抵患ひは之を施して報いらるるを見ざれば則ち輟むるに在り。故に恩終はる能はず。相学ぶを要せず、己之を施すのみ。人「周南召南を為めずんば、其れ猶ほ正しく牆に面して立つがごとし」。常に深く此の言を思ふに誠に是なり。此より行はずんば、甚だ事に隔著す。前に向かひて推し去らず。蓋し至親至近、此より甚だしきは莫し。故に須らく此より始むべし。婢僕の始めて至る者は、本勉勉たる敬心を懐く、若し提掇する所に到りて更に謹めば、則ち謹みを加ふ。慢なれば則ち其の本心を棄て、便ち習ひて以て性と成る。故に仕ふる者治朝に入れば則ち徳日に進み、乱朝に入れば則ち徳日に退く。只だ上に在る者に学ぶべき有ると学ぶべき無きとを観るのみ。
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『近思録』巻6 家道己の子と兄の子と争ふ所幾何ぞ。是れ同じく父より出づる者なり。只だ兄弟形を異にするが為に、故に兄弟を以て手足と為す。人多く形を異にするの故を以て、己の子に親しむこと、兄弟の子に異なる、甚だ是ならざるなり。又問ふ、「孔子公冶長の南容に及ばざるを以て、故に兄の子を以て南容に妻せ、己の子を以て公冶長に妻す。何ぞや」と。曰く、「此れも亦た己の私心を以て聖人を看るなり。凡そ人の嫌を避くる者は、皆内足らざるなり。聖人は自ら至公なり、何ぞ更に嫌を避けん。凡そ女を嫁するには各おの其の才を量りて配を求む。或いは兄の子甚だしくは美ならざれば、必ず其の相称ふ者を択びて之が配と為す。己の子美なれば、必ず其の才美なる者を択びて之が配と為す。豈に更に嫌を避けんや。孔子の事の若きは、或いは是れ年相若かず、或いは時に先後有り、皆知るべからず。孔子を以て嫌を避くと為すは、則ち大いに是ならず。嫌を避くるの事の如きは、賢者すら且つ為さず、況んや聖人をや」と。問ふ、「孀婦は理に於いて取るべからざるに似たり、如何」と。曰く、「然り。凡そ取るは以て身に配するなり。若し節を失ふ者を取りて以て身に配すれば、是れ己節を失ふなり」と。又問ふ、「或いは孤孀貧窮にして託する無き者有らば、再嫁すべきや否や」と。曰く、「只だ是れ後世寒餓して死するを怕る、故に是の説有り。然れども餓死の事は極めて小さく、節を失ふの事は極めて大なり」と。病みて床に臥し、之を庸医に委ぬるは、之を不慈不孝に比す。親に事ふる者も亦た医を知らざるべからず。程子父を葬るに、周恭叔をして客を主らしむ。客酒を飲まんとす、恭叔以て先生に告ぐ。曰く、「人を悪に陥るること勿かれ」と。乳婢を買ふは多く已むを得ず。或いは自ら乳する能はざれば、必ず人を使ふ。然れども己の子を食はしめて人の子を殺すは、道に非ず。必ず已むを得ずんば、二子の乳を用ひて三子を食はしめ、他虞に備ふるに足る。或いは乳母病みて且に死せんとするも、則ち害を為さず、又己の子の為に人の子を殺さず。但だ費す所有るのみ。若し不幸にして其の子を誤るを致さば、害孰れか大ならん。
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