近思録 / 巻4 存養
事爲之主、尚無思慮紛擾之患。若主於敬、又焉有此患乎?所謂敬者、主一之謂敬。所謂一者、無適之謂一。且欲涵泳主一之義、不一則二三矣。至於不敢欺、不敢慢、尚不「愧於屋漏」、皆是敬之事也。「嚴威儼恪」、非敬之道。但致敬須自此入。舜孳孳爲善。若未接物、如何爲善?只是主於敬、便是爲善也。以此觀之。聖人之道、不是但嘿然無言。問:人之燕居、形體怠惰、心不慢、可否?曰:安有箕踞而心不慢者?昔呂與叔六月中來緱氏、閒居中某嘗窺之、必見其嚴然危坐、可謂敦篤矣。心志須恭敬、但不可令拘迫。拘迫則難久。思慮雖多、果出於正、亦無害否?曰:且如在宗廟則主敬、朝廷主莊、軍旅主嚴、此是也。如發不以時、紛然無度、雖正亦邪。蘇季明問喜怒哀樂未發之前求中、可否?曰:不可。既思於喜怒哀樂未發之前求之、又卻是思也。既思即是已發。纔發便謂之和、不可謂之中也。又問:呂學士言當求於喜怒哀樂未發之前、如何?曰:若言存養於喜怒哀樂未發之前則可、若言求中於喜怒哀樂未發之前則不可。又問:學者於喜怒哀樂發時、固當勉強裁抑。於未發之前當如何用功?曰:於喜怒哀樂未發之前、更怎生求?只平日涵養便是。
新字:事為之主、尚無思慮紛擾之患。若主於敬、又焉有此患乎?所謂敬者、主一之謂敬。所謂一者、無適之謂一。且欲涵泳主一之義、不一則二三矣。至於不敢欺、不敢慢、尚不「愧於屋漏」、皆是敬之事也。「厳威儼恪」、非敬之道。但致敬須自此入。舜孳孳為善。若未接物、如何為善?只是主於敬、便是為善也。以此観之。聖人之道、不是但嘿然無言。問:人之燕居、形体怠惰、心不慢、可否?曰:安有箕踞而心不慢者?昔呂与叔六月中来緱氏、閒居中某嘗窺之、必見其厳然危坐、可謂敦篤矣。心志須恭敬、但不可令拘迫。拘迫則難久。思慮雖多、果出於正、亦無害否?曰:且如在宗廟則主敬、朝廷主荘、軍旅主厳、此是也。如発不以時、紛然無度、雖正亦邪。蘇季明問喜怒哀楽未発之前求中、可否?曰:不可。既思於喜怒哀楽未発之前求之、又却是思也。既思即是已発。纔発便謂之和、不可謂之中也。又問:呂学士言当求於喜怒哀楽未発之前、如何?曰:若言存養於喜怒哀楽未発之前則可、若言求中於喜怒哀楽未発之前則不可。又問:学者於喜怒哀楽発時、固当勉強裁抑。於未発之前当如何用功?曰:於喜怒哀楽未発之前、更怎生求?只平日涵養便是。
書き下し
事之が主と為るすら、尚ほ思慮紛擾の患無し。若し敬に主たらば、又焉んぞ此の患有らんや。所謂敬とは、一を主とする之を敬と謂ふ。所謂一とは、適く無き之を一と謂ふ。且く一を主とするの義を涵泳せんと欲す、一ならざれば則ち二三なり。敢へて欺かず、敢へて慢らず、尚ほ「屋漏に愧ぢざる」に至るまで、皆是れ敬の事なり。「厳威儼恪」は、敬の道に非ず。但だ敬を致すは須らく此より入るべし。舜は孳孳として善を為す。若し未だ物に接せずんば、如何にして善を為さん。只だ是れ敬に主たる、便ち是れ善を為すなり。此を以て之を観る。聖人の道は、是れ但だ嘿然として言無きにあらず。問ふ、「人の燕居、形体怠惰なるも、心慢らざるは、可なるや否や」と。曰く、「安んぞ箕踞して心慢らざる者有らんや。昔呂与叔六月中に緱氏に来たる、閒居の中某嘗て之を窺ふに、必ず其の厳然として危坐するを見る、敦篤と謂ふべし。心志は須らく恭敬なるべし、但だ拘迫せしむべからず。拘迫すれば則ち久しくし難し」と。「思慮多しと雖も、果たして正より出づれば、亦た害無きや否や」と。曰く、「且つ宗廟に在りては則ち敬を主とし、朝廷には荘を主とし、軍旅には厳を主とするが如き、此れ是なり。如し発するに時を以てせず、紛然として度無ければ、正しと雖も亦た邪なり」と。蘇季明問ふ、「喜怒哀楽の未だ発せざる前に中を求むるは、可なるや否や」と。曰く、「不可なり。既に喜怒哀楽の未だ発せざる前に之を求めんと思へば、又却つて是れ思ふなり。既に思へば即ち是れ已に発するなり。纔かに発すれば便ち之を和と謂ひ、之を中と謂ふべからざるなり」と。又問ふ、「呂学士言ふ、当に喜怒哀楽の未だ発せざる前に求むべしと、如何」と。曰く、「若し喜怒哀楽の未だ発せざる前に存養すと言はば則ち可なり、若し喜怒哀楽の未だ発せざる前に中を求むと言はば則ち不可なり」と。又問ふ、「学者喜怒哀楽の発する時に於いては、固より当に勉強して裁抑すべし。未だ発せざる前に於いては当に如何にして功を用ふべき」と。曰く、「喜怒哀楽の未だ発せざる前に於いて、更に怎生にか求めん。只だ平日涵養する便ち是なり」と。
現代語訳
事がその主となっているだけでも、思慮が乱れる心配はない。まして敬を主とすれば、どうしてこの心配があろうか。いわゆる敬とは、一を主とすることを敬という。いわゆる一とは、よそへ行かないことを一という。しばらく一を主とする意味にひたって味わってほしい。一でなければ二にも三にもなる。あえて欺かず、あえて怠らず、さらに「人目のない部屋の奥でも恥じない」ことに至るまで、みな敬の事である。「厳めしく威儀を張り、いかめしく慎む」ことは、敬の道そのものではない。ただ敬を尽くすには、ここから入らねばならない。舜はひたすら善を行った。もしまだ物事に接していないなら、どのように善を行うのか。ただ敬を主とすること、それがそのまま善を行うことである。このことから見れば、聖人の道はただ黙って何も言わないことではない。ある人が問うた。「人がくつろいで居るとき、体は怠けていても、心が怠っていなければよいか」。答えた。「足を投げ出して座って、心が怠らない者などあろうか。昔、呂与叔(りょよしゅく、呂大臨、程子の門人)が六月に緱氏(こうし、程頤の住んだ地)に来たとき、くつろいでいる最中に私がそっとのぞいてみると、必ずきちんと端座していた。篤実というべきである。心と志は恭敬でなければならないが、窮屈に縛りつけてはならない。窮屈にすれば長続きしない」。「思慮が多くても、それが正しいところから出ていれば、やはり害はないか」。答えた。「たとえば宗廟では敬を主とし、朝廷では荘重を主とし、軍中では厳格を主とする。これが正しいあり方である。もし時をわきまえずに発し、乱れて節度がなければ、正しいことでもやはり邪である」。蘇季明(そきめい、蘇昞、程子の門人)が問うた。「喜怒哀楽がまだ発しない前に中を求めるのはよいか」。答えた。「よくない。喜怒哀楽がまだ発しない前に中を求めようと思えば、それ自体が思うことである。思えばそれはすでに発している。わずかでも発すれば、それは和というべきで、中ということはできない」。また問うた。「呂学士(呂大臨)は、喜怒哀楽がまだ発しない前に求めるべきだと言うが、どうか」。答えた。「もし喜怒哀楽がまだ発しない前に存養すると言うならよい。しかし喜怒哀楽がまだ発しない前に中を求めると言うならよくない」。また問うた。「学ぶ者は喜怒哀楽が発したときには、もとより努めて抑えるべきである。まだ発しない前には、どのように工夫すればよいのか」。答えた。「喜怒哀楽がまだ発しない前に、どうして求めることができようか。ただ平素から涵養していること、それがそのまま工夫である」。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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『呻吟語』内篇・修身・勤慎は敬の謂ひなり甚麼か此の字を降伏し得ん。曰く勤慎なり。勤慎なる者は、敬の謂ひなり。
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