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近思録 / 巻3 致知

暨乎三王迭興、三重既備、子丑寅之建正、忠質文之更尚。人道備矣、天運周矣。聖王既不復作、有天下者、隨欲倣古之跡、亦私意妄爲而已。事之繆、秦至以建亥爲正。道之悖、漢專以智力持世。豈復知先王之道也?夫子當周之末、以聖人不復作也、順天應時之治、不復有也。於是作《春秋》爲百王不易之大法。所謂「考諸三王而不謬、建諸天地而不悖、質著鬼神而無疑。百世以俟聖人而不惑」者也。先儒之傳曰:「游夏不能贊一辭。」辭不待贊也、言不能與於斯耳。斯道也、惟顔子嘗聞之矣。「行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞。」此其準的也。後世以史視春秋、謂褒善貶惡而已。至於經世之大法、則不知也。春秋大義數十。其義雖大、炳如日星、乃易見也。惟其微辭隱義、時措從宜者爲難知也。或抑或縱、或與或奪、或進或退、或微或顯。而得乎義理之安、文質之中、寬猛之宜、是非之公、乃制事之權衡、揆道之模範也。夫觀百物然後識化工之神、聚衆材然後知作室之用。於一事一義、而欲窺聖人之用心、非上智不能也。故學《春秋》者必優遊涵泳、默識心通、然後能造其微也。後王知《春秋》之義、則雖德非禹湯、尚可以法三代之治。

新字:暨乎三王迭興、三重既備、子丑寅之建正、忠質文之更尚。人道備矣、天運周矣。聖王既不復作、有天下者、随欲倣古之跡、亦私意妄為而已。事之繆、秦至以建亥為正。道之悖、漢専以智力持世。豈復知先王之道也?夫子当周之末、以聖人不復作也、順天応時之治、不復有也。於是作《春秋》為百王不易之大法。所謂「考諸三王而不謬、建諸天地而不悖、質著鬼神而無疑。百世以俟聖人而不惑」者也。先儒之伝曰:「游夏不能賛一辞。」辞不待賛也、言不能与於斯耳。斯道也、惟顔子嘗聞之矣。「行夏之時、乗殷之輅、服周之冕、楽則韶舞。」此其準的也。後世以史視春秋、謂褒善貶悪而已。至於経世之大法、則不知也。春秋大義数十。其義雖大、炳如日星、乃易見也。惟其微辞隠義、時措従宜者為難知也。或抑或縦、或与或奪、或進或退、或微或顕。而得乎義理之安、文質之中、寛猛之宜、是非之公、乃制事之権衡、揆道之模範也。夫観百物然後識化工之神、聚衆材然後知作室之用。於一事一義、而欲窺聖人之用心、非上智不能也。故学《春秋》者必優遊涵泳、黙識心通、然後能造其微也。後王知《春秋》之義、則雖徳非禹湯、尚可以法三代之治。

書き下し

三王迭ひに興るに曁(およ)びて、三重既に備はり、子丑寅の正を建て、忠質文の更々尚ぶ。人道備はり、天運周れり。聖王既に復た作らず、天下を有つ者、随ひて古の跡に倣はんと欲するも、亦た私意妄為なるのみ。事の繆れる、秦は亥を建つるを以て正と為すに至る。道の悖れる、漢は専ら智力を以て世を持す。豈に復た先王の道を知らんや。夫子周の末に当たり、聖人の復た作らざるを以て、天に順ひ時に応ずるの治、復た有らざるなり。是に於て春秋を作りて百王不易の大法と為す。所謂「諸を三王に考へて謬らず、諸を天地に建てて悖らず、鬼神に質著して疑ひ無し。百世以て聖人を俟ちて惑はず」なる者なり。先儒の伝に曰く、「游夏も一辞を賛する能はず」と。辞は賛を待たざるなり、斯に与ること能はざるを言ふのみ。斯の道や、惟だ顔子のみ嘗て之を聞けり。「夏の時を行ひ、殷の輅に乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞」。此れ其の準的なり。後世史を以て春秋を視、善を褒め悪を貶すのみと謂ふ。経世の大法に至りては、則ち知らざるなり。春秋の大義は数十。其の義大なりと雖も、炳として日星の如し、乃ち見易きなり。惟だ其の微辞隠義、時に措きて宜しきに従ふ者を知り難しと為す。或いは抑へ或いは縦ち、或いは与へ或いは奪ひ、或いは進め或いは退け、或いは微にし或いは顕かにす。而して義理の安、文質の中、寛猛の宜、是非の公を得、乃ち事を制するの権衡、道を揆るの模範なり。夫れ百物を観て然る後に化工の神を識り、衆材を聚めて然る後に室を作るの用を知る。一事一義に於て、聖人の用心を窺はんと欲するは、上智に非ざれば能はざるなり。故に春秋を学ぶ者は必ず優遊涵泳し、黙識心通して、然る後に能く其の微に造るなり。後王春秋の義を知れば、則ち徳禹湯に非ずと雖も、尚ほ以て三代の治に法るべし。

現代語訳

夏・殷・周の三王が次々と興るに及んで、三つの重要な制度がすでに備わり、子の月・丑の月・寅の月をそれぞれ正月とする暦を立て、忠・質・文をかわるがわる尊んだ。人の道は備わり、天の運行は一巡りした。聖王がもう現れなくなると、天下を保つ者は古の跡にならおうとしても、それもまた私意による勝手なふるまいにすぎなかった。事の誤りは、秦が亥の月を正月とするまでに至った。道の背きは、漢がもっぱら知恵と力で世を保ったことに現れた。どうして先王の道を知っていたと言えようか。孔子(夫子)は周の末に生まれ、聖人がもう現れず、天に順い時に応じる政治がもはやないことから、『春秋』を作って、百代の王が変えることのできない大法とした。『中庸』にいう「三王に照らし合わせて誤りがなく、天地に立てても背かず、鬼神に問いただしても疑いがない。百代の後に聖人を待っても惑わない」というものである。先儒の伝に「子游や子夏でも一言も付け加えることができなかった」とある。言葉は付け加えることを必要としないのであり、彼らがこれに関与することができなかったということを言っているだけである。この道は、ただ顔子だけがかつて聞いたことがある。「夏の暦を用い、殷の車に乗り、周の冠をかぶり、音楽は韶の舞にする」。これがその基準である。後世は『春秋』を歴史書とみなし、善をほめ悪をけなすだけだと言う。世を治める大法については知らないのである。『春秋』の大義は数十ある。その義は大きいが、日や星のように明らかで、見やすい。ただその微妙な言葉、隠された意義で、時に応じて宜しきに従ったものが分かりにくいのである。抑えることもあり放つこともあり、与えることもあり奪うこともあり、進めることもあり退けることもあり、微かにすることもあり顕わにすることもある。そして義理の安らかさ、文と質の中ほど、寛大と厳格のよろしさ、是非の公正を得ている。これこそ事を裁く秤であり、道を量る手本である。そもそも多くの物を観察してはじめて造化の神妙さが分かり、多くの材木を集めてはじめて家を建てる用が分かる。一つの事、一つの義から聖人の心の用い方をうかがおうとするのは、最上の知者でなければできない。だから『春秋』を学ぶ者は、必ずゆったりと浸り、黙って理解し心で通じて、はじめてその微妙なところに到達できる。後の王が『春秋』の義を知れば、徳が禹や湯に及ばなくても、なお三代の治にならうことができる。

解説

程頤の『春秋伝』の序の中ほどである。三代の聖王が時に応じて制度を立てたあと、秦や漢は私意や智力で世を治め、先王の道を知らなかったとし、孔子は聖王がもう現れないのを見て『春秋』を百王不易の大法として作ったと述べる。後世は『春秋』を単なる歴史書とし、善を褒め悪を貶すだけと見るが、そうではなく、抑縦・与奪・進退・微顕を時に応じて使い分け、寛猛の宜しさや是非の公正を得た事を裁く権衡だとする。一事一義から聖人の用心を窺うのは難しく、優遊涵泳してはじめて微に至れるとも言う。前例を善悪の結論として覚えるのではなく、その時々にどう判断したかという判断の物差しを学ぶという読み方は、経営判断の事例研究にもそのまま通じる。

この章句が説くこと

春秋権衡時中経世寛猛

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