啓発録 / 立志
志ナキ者ハ魂ナキ蟲ニ同ジ何時迄立チ候テモ丈ケノノブル事ナシ志一度相立候ヘバ其以後ハ日夜逐々成長致シ行キ候者ニテ萠芽ノ草ニ膏壤ヲアタヘタルガゴトシ古ヨリ俊傑ノ士ト申候人トテ目四ツ口二ツ有之ニテハナシ皆其志大ナルト逞シキトニヨリ遂ニハ天下ニ大名ヲ揚候ナリ世上ノ人多ク碌碌ニテ相果候ハ他ニ非ズ其志太ク逞シカラヌ故ナリ
新字:志ナキ者ハ魂ナキ虫ニ同ジ何時迄立チ候テモ丈ケノノブル事ナシ志一度相立候ヘバ其以後ハ日夜逐々成長致シ行キ候者ニテ萠芽ノ草ニ膏壤ヲアタヘタルガゴトシ古ヨリ俊傑ノ士ト申候人トテ目四ツ口二ツ有之ニテハナシ皆其志大ナルト逞シキトニヨリ遂ニハ天下ニ大名ヲ揚候ナリ世上ノ人多ク碌碌ニテ相果候ハ他ニ非ズ其志太ク逞シカラヌ故ナリ
書き下し
志なき者は魂なき虫に同じ。何時迄立ち候ても、丈けののぶる事なし。志一度相立候へば、其以後は日夜逐々成長致し行き候者にて、萠芽の草に膏壌をあたへたるがごとし。古より俊傑の士と申候人とて、目四つ口二つ有之にてはなし。皆其志大なると逞しきとにより、遂には天下に大名を揚候なり。世上の人多く碌碌にて相果候は、他に非ず、其志太く逞しからぬ故なり。
現代語訳
志のない者は、魂のない虫と同じです。いつまで経っても背丈が伸びることはありません。志が一度立てば、それ以後は日夜しだいに成長していくもので、芽生えた草に肥えた土を与えたようなものです。昔から俊傑の士と言われる人も、目が四つ口が二つあるわけではありません。みな志が大きくたくましかったから、ついには天下に大きな名を揚げたのです。世の中の人の多くが平凡なまま終わるのは、他でもなく、その志が太くたくましくないからです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』下卷之末体充曰、子曰く、与に共に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず、与に道に適くべし、未だ与に立つべからず、与に立つべし、未だ与に権るべからず、此聖謨を以て見れば、権は初学の取さたすべきことにあらずと存候はいかゞ。師の曰、此聖謨は学者の面々のいたる所の位をよしと画して上達の志あつからざるをいましめ引たてたまふ主意なり、初学の者権を取さたすべからずとのたまふにはあらず、可与共の学は、即ち此権の道をまなぶ学なり、可与適の道も、即ち此権の道なり、可与立の道も即ち此権の道なり権の外に道なし、道の外に権なし、権の外に学なく学の外に権なし、但その受用に生熟、大小、精粗の差別あるのみ、しかる故に此聖謨の主意は、工夫成就の次第をあかして至極無上の神道を指出して、学者の準的を示たまふものなり、孟子性善を道ひ、言へば必ず堯舜を称す、公明儀曰く、文王は我が師なり、周公豈我を欺かんや、かくの如きの賢範をよく体験して明に弁知べし、若この準的をしらざるときは心学の徒なりとも、欣真落法の地に執滞して、非礼の礼多あるべし。
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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