啓発録 / 去稚心
稚心トハヲサナ心ト云事ニテ俗ニイフワラベシキコト也菓菜ノ類ノイマダ熟セザルヲモ稚トイフ稚トハスベテ水クサキ處アリテ物ノ熟シテ旨キ味ノナキヲ申也何ニヨラズ稚トイフコトヲ離レヌ間ハ物ノ成リ揚ル事ナキナリ
新字:稚心トハヲサナ心ト云事ニテ俗ニイフワラベシキコト也菓菜ノ類ノイマダ熟セザルヲモ稚トイフ稚トハスベテ水クサキ処アリテ物ノ熟シテ旨キ味ノナキヲ申也何ニヨラズ稚トイフコトヲ離レヌ間ハ物ノ成リ揚ル事ナキナリ
書き下し
稚心とはをさな心と云事にて、俗にいふわらべしきこと也。菓菜の類のいまだ熟せざるをも稚といふ。稚とはすべて水くさき処ありて、物の熟して旨き味のなきを申也。何によらず稚といふことを離れぬ間は、物の成り揚る事なきなり。
現代語訳
稚心とは幼い心ということで、世間でいう子どもじみたことです。果物や野菜の類でまだ熟していないものも「稚」といいます。稚とは、すべて青臭いところがあって、物が熟したときのうまい味がないことを言います。何事によらず、稚ということから離れないうちは、物事が出来上がることはないのです。
解説
左内はここで、稚心を幼さというだけでなく、果物が熟していない状態にたとえています。青臭くて旨みがない、という言い方は具体的で、自分の欠点を食べ物の味で捉えているところが印象的です。この文章は嘉永元年(1848)、十五歳のときに書かれた五項目の最初にあたり、以後の四項目の出発点になっています。年齢のわりに自分を外から眺める目が早熟で、そこに本書の凄みがあります。職場でも、経験年数は積んでいるのに判断だけが青いままの人はいます。熟し方は年次や役職とは別の物差しだと考えると、若手の見方も育て方も変わってきます。
この章句が説くこと
稚心幼さ熟す自省成長啓発録
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