囲炉夜話 / 第百七十一則・但だ須らく己を論ずべし
自己所行之是非,尚不能知,安望知人。 古人以往之得失,且不必論,但須論己。
書き下し
自己の行ふ所の是非すら、尚ほ知ること能はず、安んぞ人を知るを望まん。 古人以往の得失は、且く必ずしも論ぜず、但だ須らく己を論ずべし。
現代語訳
自分のしていることの是非さえ分からないのに、どうして他人を理解することが望めるでしょうか。昔の人の過去の成功や失敗は、ひとまず論じなくてかまいません。ただ自分のことを論じなければなりません。
解説
目を外から内へ向け直させる対句です。上の句は、自分の行いの善し悪しも分からない者が、他人を見抜けるはずがないと言います。人を見る目は、自分を見る目の延長にあるからです。下の句は、歴史上の人物の成功や失敗を論じるのは後回しでよい、まず自分を論ぜよと言います。古人の得失を語るのは学問の楽しみですが、それが自分を省みない言い訳になることを戒めています。上が今の他人、下が昔の他人を扱い、どちらからも自分へと視線を戻しています。人物評や批評に熱中しているとき、その熱意の一部を自分の点検に回しているかを問う句です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
自省是非人物評修身己
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