囲炉夜話 / 第十一則・自己を太だ高く看る
把自己太看高了,便不能長進。把自己太看低了,便不能振興。
書き下し
自己を把りて太だ高く看了れば、便ち長進する能はず。自己を把りて太だ低く看了れば、便ち振興する能はず。
現代語訳
自分をあまりに高く見てしまえば、それ以上伸びることはできません。自分をあまりに低く見てしまえば、奮い立つことはできません。
解説
自己評価の高すぎも低すぎも成長を止めるという一則です。原文は「把」「了」を使った口語的な言い回しで、炉端で家族に語る調子がそのまま残っています。自分を高く見すぎる人は、もう学ぶことはないと思い、人の意見を聞かなくなります。反対に低く見すぎる人は、どうせ無理だと思い、挑戦をやめてしまいます。長進は学問や人柄が伸びること、振興は奮い立って盛り返すことです。謙虚と自信は対立するものではなく、両方をほどよく持つことが大切だと、対句の形で示しています。自分への評価は、事実に即して等身大に置くのがよいのです。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
謙虚自信成長自省修身
関連する章句
-
『文武訓』文訓上之末一人は只、わが身をかへりみて、わが身のさかしおろかなると、才あるとつたなきとのほどを知りて、つねに人にへりくだり、わが身にほこるべからず。才智ありてもなくしても、わが身にほこりたかぶり、人をこのんで見くだし、又そしるは罪ふかし。いとおろかなりといふべし。
-
説苑・雜言昔者、南瑕子、程太子に過る、太子鯢魚を烹る。南瑕子曰く、「吾聞く、君子は鯢魚を食らわずと」と。程太子曰く、「乃ち君子か否か、子何ぞ焉を事とせん」と。南瑕子曰く、「吾聞く、君子上に比するは徳を広むる所以なり、下に比するは行いを狭むる所以なり、悪に於いて自ら退くの原なりと。詩に云う、『高山之を仰ぎ止み、景行之を行き止む』と。吾豈に敢えて自ら以て君子と為さんや、志して之に向かうのみ。孔子曰く、『賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる』と」と。
-
『酔古堂剣掃』集醒・病を諱む者は病に死す貧を諱む者は、貧に死す、勝心之を使むればなり。病を諱む者は、病に死す、畏心之を蔽へばなり。愚を諱む者は、愚に死す、癡心之を覆へばなり。
-
『囲炉夜話』第百十四則・他日那樣の下場を想到すれば發憤すべし自家は是れ何等の身分なるかを知道すれば、則ち敢へて虛驕せず。 他日是れ那樣の下場なるかを想到すれば、則ち以て發憤すべし。
-
『文武訓』文訓下一常人は、わが身を知るにくらし。是、私の一字まぬかれがたければなり。わが身に才智なけれどありとし、少しあるは大にありとす。学問芸能つたなけれど、すぐれたりと思ひて、人に対してほこるは、我身を知らざるなり。是、愚なるなり。又わが詩歌文章のつたなきをよしとおもひて、人にしめすこと世に多し。殊に詩文は、わが国のこと葉にあらず、作りがたし。其上文学ひろく文字を多く知らざれば作りがたく、作ればひがごと多し。文学つたなくてこのんで詩文を作れば、意も詞もふつつかに、法に合はざることのみ多きを知らず、わが身に私して、かへつてよしとおもひてみづからほこり、わが美をあらはさんとて人にしめす。是亦わが身をしらざればなり。不智なること甚し。詩も歌も、古人の作わが心にかなへるもの多し。其境地の風景と、其時節の情懐に合へる詩歌、亦多し。是を吟ぜば、労せずしてわが悪しき詩歌を作るにまさりなん。是を吟詠して興をやるべし。
-
『幽夢影』巻下・鏡は自ら照らす能はず鏡は自ら照らす能はず、衡は自ら權る能はず、劍は自ら擊つ能はず。