韓非子 / 人主第五十二
何以明之?主有術士,則大臣不得制斷,近習不敢賣重;大臣、左右權勢息,則人主之道明矣。
新字:何以明之?主有術士,則大臣不得制断,近習不敢売重;大臣、左右権勢息,則人主之道明矣。
書き下し
何を以て之を明らかにするや。主に術士有れば、則ち大臣制斷するを得ず、近習敢へて重を賣らず。大臣・左右の權勢息めば、則ち人主の道明らかなり。
現代語訳
(法術の士と権力者は相容れない。)それはどうして分かるのか。君主のもとに術を心得た士がいれば、大臣は勝手に裁断できず、側近はあえて権勢を売り物にしない。大臣や側近の権勢がやめば、君主の道は明らかになるからである。
解説
人主篇で、法術の士と当塗の臣(権力を握る重臣)は相容れないという前の論を受け、その理由を述べる短い一段です。術を心得た士が君主のそばにいれば、大臣は勝手に物事を決められず、側近は君主への取り次ぎを売り物にして影響力を誇ることができなくなる。だからこそ重臣や側近は法術の士を嫌い、排除しようとするのだ、というのが孤憤篇以来の韓非の主張です。韓非自身が韓の国で用いられなかった境遇とも重なります。今の組織でも、仕組みや監査を担う人が煙たがられるのは、既得権を持つ人の裁量を狭めるからだ、という構図を理解する手がかりになります。
関連する章句
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『韓非子』人主第五十二且つ法術の士と當途の臣とは、相容れざるなり。
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『韓非子』人主第五十二今は則ち然らず。其の當途の臣は勢を得て事を擅(ほしいまま)にし、以て其の私を環(めぐ)らし、左右近習は朋黨比周して以て䟽遠を制す、則ち法術の士は奚(いず)れの時にか進用せらるるを得ん、人主は奚れの時にか論裁するを得ん。故に術有るも必ずしも用ひられず、而して勢は兩立せず、法術の士焉(いずく)んぞ危ふきこと無きを得んや。故に人に君たる者、能く大臣の議を退けて左右の訟に背き、獨り道言に合ふに非ざれば、則ち法術の士安んぞ能く死亡の危を蒙りて說を進めんや。此れ世の治まらざる所以なり。明主は、功を推して爵禄し、能を稱(はか)りて官事し、舉ぐる所の者は必ず賢有り、用ふる所の者は必ず能有り。賢能の士進めば、則ち私門の請止む。
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『韓非子』孤憤第十一法術の士は五不勝の勢を操り、歳数を以てして又見ゆることを得ず。当塗の人は五勝の資に乗じて、旦暮独り前に説く。故に法術の士は奚れの道にか進むことを得ん、而して人主は奚れの時にか悟ることを得んや。故に資必ず勝たずして勢両存せず、法術の士焉んぞ危からざることを得んや。
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『韓非子』孤憤第十一此の四助は、邪臣の自ら飾る所以なり。重人は主に忠にして其の仇を進むること能はず、人主は四助を越えて其の臣を燭察すること能はず。故に人主愈弊れて大臣愈重し。凡そ当塗者の人主に於けるや、信愛せられざるは希なり、又且つ習故なり。夫の主の心に即き、好悪を同じくするが若きは、固より其の自ら進む所なり。官爵貴重にして、朋党又衆く、而して一国之が為に訟ふ。則ち法術の士の上に干めんと欲する者は、信愛の親、習故の沢有る所に非ざるなり。又将に法術の言を以て人主阿辟の心を矯めんとす。是れ人主と相反するなり。勢の卑賤に処り、党無くして孤特なり。
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『韓非子』孤憤第十一智術の士は、必ず遠く見て明らかに察す。明らかに察せざれば、私を燭らすこと能はず。能法の士は、必ず強毅にして勁直なり。勁直ならざれば、姦を矯むること能はず。人臣の令に循ひて事に従ひ、法を案じて官を治むるは、重人と謂ふに非ざるなり。
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『韓非子』和氏第十三主、術を用うれば則ち大臣、斷を擅にするを得ず、近習、敢て重を賣らざらん。…則ち法術なる者は乃ち群臣士民の禍とする所なり。