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韓非子 / 五蠹第四十九

故十仞之城,樓季弗能踰者,峭也;千仞之山,跛牂易牧者,夷也。故明王峭其法而嚴其刑也。布帛尋常,庸人不釋;鑠金百溢,盜跖不掇。不必害則不釋尋常,必害手則不掇百溢,故明主必其誅也。是以賞莫如厚而信,使民利之;罰莫如重而必,使民畏之;法莫如一而固,使民知之。故主施賞不遷,行誅無赦,譽輔其賞,毁随其罰,則賢、不肖俱盡其力矣。今則不然,以其有功也爵之,而卑其士官也;以其耕作也賞之,而少其家業也;以其不收也外之,而高其輕世也;以其犯禁也罪之,而多其有勇也。毁譽、賞罰之所加者,相與悖繆也,故法禁壞而民愈亂。今兄弟被侵,必攻者,廉也;知友被辱,随仇者,貞也。廉貞之行成,而君上之法犯矣。人主尊貞廉之行,而忘犯禁之罪,故民程於勇,而吏不能勝也。不事力而衣食,則謂之能;不戰功而尊,則謂之賢。賢能之行成,而兵弱而地荒矣。人主說賢能之行,而忘兵弱地荒之禍,則私行立而公利滅矣。儒以文亂法,俠以武犯禁,而人主兼禮之,此所以亂也。夫離法者罪,而諸先生以文學取;犯禁者誅,而羣俠以私劒養。故法之所非,君之所取;吏之所誅,上之所養也。

新字:故十仞之城,楼季弗能踰者,峭也;千仞之山,跛牂易牧者,夷也。故明王峭其法而厳其刑也。布帛尋常,庸人不釈;鑠金百溢,盗跖不掇。不必害則不釈尋常,必害手則不掇百溢,故明主必其誅也。是以賞莫如厚而信,使民利之;罰莫如重而必,使民畏之;法莫如一而固,使民知之。故主施賞不遷,行誅無赦,誉輔其賞,毀随其罰,則賢、不肖倶尽其力矣。今則不然,以其有功也爵之,而卑其士官也;以其耕作也賞之,而少其家業也;以其不収也外之,而高其軽世也;以其犯禁也罪之,而多其有勇也。毀誉、賞罰之所加者,相与悖繆也,故法禁壊而民愈乱。今兄弟被侵,必攻者,廉也;知友被辱,随仇者,貞也。廉貞之行成,而君上之法犯矣。人主尊貞廉之行,而忘犯禁之罪,故民程於勇,而吏不能勝也。不事力而衣食,則謂之能;不戦功而尊,則謂之賢。賢能之行成,而兵弱而地荒矣。人主説賢能之行,而忘兵弱地荒之禍,則私行立而公利滅矣。儒以文乱法,侠以武犯禁,而人主兼礼之,此所以乱也。夫離法者罪,而諸先生以文学取;犯禁者誅,而羣侠以私劒養。故法之所非,君之所取;吏之所誅,上之所養也。

書き下し

故に十仞の城、樓季も踰ゆる能はざる者は、峭なればなり。千仞の山、跛牂も牧し易き者は、夷なればなり。故に明王は其の法を峭にして其の刑を嚴にするなり。布帛尋常なるも、庸人釋てず。鑠金百溢なるも、盜跖掇はず。必ずしも害あらざれば則ち尋常を釋てず、必ず手を害すれば則ち百溢を掇はず、故に明主は其の誅を必にす。是を以て賞は厚くして信なるに如くは莫し、民をして之を利とせしむ。罰は重くして必なるに如くは莫し、民をして之を畏れしむ。法は一にして固なるに如くは莫し、民をして之を知らしむ。故に主賞を施して遷さず、誅を行ひて赦す無く、譽其の賞を輔け、毁其の罰に随へば、則ち賢・不肖俱に其の力を盡くす。今則ち然らず、其の功有るを以て之を爵して、其の士官を卑しむ。其の耕作するを以て之を賞して、其の家業を少なしとす。其の收められざるを以て之を外にして、其の世を輕んずるを高しとす。其の禁を犯すを以て之を罪して、其の勇有るを多とす。毁譽・賞罰の加はる所の者、相與に悖繆す、故に法禁壞れて民愈々亂る。今兄弟侵さるれば、必ず攻むる者は、廉なり。知友辱めらるれば、随ひて仇する者は、貞なり。廉貞の行成りて、君上の法犯さる。人主貞廉の行を尊びて、禁を犯すの罪を忘る、故に民勇を程りて、吏勝つ能はざるなり。力を事とせずして衣食するは、則ち之を能と謂ひ、戰功あらずして尊きは、則ち之を賢と謂ふ。賢能の行成りて、兵弱く地荒る。人主賢能の行を說びて、兵弱地荒の禍を忘るれば、則ち私行立ちて公利滅ぶ。儒は文を以て法を亂し、俠は武を以て禁を犯す、而るに人主兼ねて之を禮す、此れ亂るる所以なり。夫れ法を離るる者は罪せらるるに、諸先生は文學を以て取られ、禁を犯す者は誅せらるるに、羣俠は私劒を以て養はる。故に法の非とする所は、君の取る所、吏の誅する所は、上の養ふ所なり。

現代語訳

高さ十仞の城壁を、身軽で知られた楼季でも越えられないのは、切り立っているからである。高さ千仞の山で、足の不自由な雌羊でもたやすく放牧できるのは、なだらかだからである。だから明王は法を切り立ったものにし、刑を厳しくする。わずかな布切れでも凡人は手放さないが、溶かした金百溢でも大盗賊の盗跖は拾わない。必ず害があるとは限らなければわずかな布も手放さず、必ず手を焼くとなれば百溢の金も拾わない。だから明主は処罰を必ず行う。それゆえ賞は手厚く確実であるのがよく、民に利益と感じさせる。罰は重く必ず行われるのがよく、民に畏れさせる。法は一つで揺るがないのがよく、民に知らしめる。だから君主が賞を与えて取り消さず、処罰を行って赦さず、誉れが賞を後押しし、非難が罰に伴えば、賢者も愚者もともに力を尽くす。ところが今はそうではない。功績があるから爵位を与えながら、その者が官に仕えることを卑しいとする。耕作に励むから賞を与えながら、その家業を軽んじる。召し抱えに応じないから遠ざけながら、その世を軽んじる態度を高潔だとする。禁令を犯したから罰しながら、その勇気を褒める。毀誉と賞罰の向かう先が互いに食い違っているから、法も禁令も壊れ、民はますます乱れる。今、兄弟が侵されれば必ず相手を攻めるのを「廉」と言い、友人が辱められれば後を追って仇を討つのを「貞」と言う。廉や貞の行いが成り立つと、君主の法は犯される。君主が貞廉の行いを尊んで、禁令を犯した罪を忘れるから、民は勇を競い合い、役人は取り締まれない。力を尽くさずに衣食を得る者を「能」と言い、戦功がないのに尊ばれる者を「賢」と言う。賢能の行いが成り立つと、兵は弱く土地は荒れる。君主が賢能の行いを喜んで、兵が弱く土地が荒れる禍を忘れれば、私的な行いが立って公の利益は滅びる。儒者は文によって法を乱し、遊侠は武によって禁令を犯すのに、君主は両者をともに礼遇する。これが乱れる理由である。法から外れる者は罰せられるのに、学者先生たちは学問によって取り立てられ、禁令を犯す者は処刑されるのに、遊侠の者たちは私的な剣の腕で養われる。だから法が否定するものを君主が取り立て、役人が罰するものを上が養っているのである。

解説

五蠹篇で、法は城壁のように切り立ったものにし、罰は必ず行え、と説く一段です。わずかな布は拾うが、溶けた金は盗跖でも拾わない、つまり必ず害があると分かれば人は手を出さない、という比喩は「必罰」の核心を突いています。後半は、功績に爵位を与えながら官仕えを卑しみ、禁令違反を罰しながらその勇気を褒めるという、賞罰と世評の食い違いを批判します。「儒は文を以て法を乱し、侠は武を以て禁を犯す」は五蠹篇の名句です。今の組織でも、ルール違反を処分しながら「あいつは男気がある」と称える空気があれば、ルールは守られなくなります。

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