韓非子 / 定法第四十三
惠王死,武王即位,甘茂以秦殉周。武王死,昭襄王即位,穰侯越韓、魏而東攻齊,五年而秦不益尺土之地,乃城其陶邑之封。應侯攻韓八年,成其汝南之封。自是以来,諸用秦者,皆應、穰之類也。故戰勝則大臣尊,益地則私封立,主無術以知姦也。商君雖十飾其法,人臣反用其資。故乘強秦之資數十年而不至於帝王者,法雖勤飾於官,主無術於上之患也。問者曰:「主用申子之術,而官行商君之法,可乎?」對曰:「申子未盡於術,商君未盡於法也。申子言:『治不踰官,雖知弗言。』法不踰官,謂之守職也可;知而弗言,是不謂過也。人主以一國目視,故視莫明焉;
新字:恵王死,武王即位,甘茂以秦殉周。武王死,昭襄王即位,穰侯越韓、魏而東攻斉,五年而秦不益尺土之地,乃城其陶邑之封。応侯攻韓八年,成其汝南之封。自是以来,諸用秦者,皆応、穰之類也。故戦勝則大臣尊,益地則私封立,主無術以知姦也。商君雖十飾其法,人臣反用其資。故乗強秦之資数十年而不至於帝王者,法雖勤飾於官,主無術於上之患也。問者曰:「主用申子之術,而官行商君之法,可乎?」対曰:「申子未尽於術,商君未尽於法也。申子言:『治不踰官,雖知弗言。』法不踰官,謂之守職也可;知而弗言,是不謂過也。人主以一国目視,故視莫明焉;
書き下し
恵王死し、武王位に即き、甘茂秦を以て周に殉ふ。武王死し、昭襄王位に即き、穣侯韓・魏を越えて東のかた斉を攻め、五年にして秦尺土の地を益さず、乃ち其の陶邑の封を城く。応侯韓を攻むること八年、其の汝南の封を成す。是れより以来、諸々の秦に用ひらるる者は、皆応・穣の類なり。故に戦勝てば則ち大臣尊く、地を益せば則ち私封立つ、主術以て姦を知る無ければなり。商君十たび其の法を飾ふと雖も、人臣反りて其の資を用ふ。故に強秦の資に乗ずること数十年にして帝王に至らざる者は、法勤めて官に飾ふと雖も、主上に術無きの患なり。問ふ者曰く、「主申子の術を用ひて、官商君の法を行はば、可ならんか。」対へて曰く、「申子は未だ術を尽くさず、商君は未だ法を尽くさざるなり。申子言ふ、『治は官を踰えず、知ると雖も言はず』と。法官を踰えざるは、之を職を守ると謂ふも可なり。知りて言はざるは、是れ過を謂はざるなり。人主は一国の目を以て視る、故に視ること焉より明らかなるは莫し。
現代語訳
(秦の孝公の後の)恵王が死んで武王が即位すると、甘茂は秦の力を使って周のために尽くした。武王が死んで昭襄王が即位すると、穣侯(魏冄)は韓・魏を越えて東の斉を攻めたが、五年たっても秦は一尺の土地も増やさず、かえって自分の領地である陶邑に城を築いた。応侯(范雎)は八年にわたって韓を攻め、自分の領地である汝南を固めた。それ以来、秦に用いられた者は、みな応侯・穣侯の類であった。だから戦いに勝てば大臣が尊くなり、領土を増やせば私的な封地が立つ。君主に姦を見抜く術がなかったからである。商君が何度その法を整えても、臣下はかえってその力を自分のために使った。だから強い秦の力に乗りながら数十年たっても帝王の業に至らなかったのは、官で法を整えることに努めても、上の君主に術がなかった患いである。問う者が言った。「君主が申子の術を用い、官が商君の法を行えば、よいのか。」答えて言う。「申子はまだ術を尽くしておらず、商君はまだ法を尽くしていない。申子は『治める者は自分の官職の範囲を越えず、知っていても口にしない』と言った。自分の官職を越えないのは、職分を守るといってよい。だが知っていて言わないのは、過ちを告げないことである。君主は一国全体の目で見るのだから、これほど明らかに見えるものはない。
解説
関連する章句
-
『韓非子』定法第四十三問ふ者曰く、「徒だ術のみにして法無く、徒だ法のみにして術無きは、其の不可なるは何ぞや。」対へて曰く、「申不害は、韓の昭侯の佐なり。韓は、晋の別国なり。晋の故法未だ息まずして、韓の新法又生じ、先君の令未だ収めずして、後君の令又下る。申不害其の法を擅にせず、其の憲令を一にせざれば、則ち姦多し。故に利故法前令に在れば則ち之に道り、利新法後令に在れば則ち之に道る。利故新相反し、前後相勃るに在れば、則ち申不害十たび昭侯をして術を用ひしむと雖も、而も姦臣猶ほ其の辞を譎る所有り。故に万乗の勁韓に託して、十七年にして霸王に至らざる者は、術を上に用ふと雖も、法勤めて官に飾へざるの患なり。公孫鞅の秦を治むるや、告相坐を設けて其の実を責め、什伍を連ねて其の罪を同じくし、賞厚くして信、刑重くして必なり。是を以て其の民力を用ひて労して休まず、敵を逐ひて危ふくして却かず、故に其の国富みて兵強し。
-
『韓非子』定法第四十三然れども術の以て姦を知る無ければ、則ち其の富強を以てして、人臣に資するのみ。...主、術の以て姦を知る無ければなり。
-
『韓非子』姦劫弒臣第十四故に身は深宮の中に在りて、明四海の内を照らし、而して天下蔽ふこと能はず欺くこと能はざる者は、何ぞや。闇乱の道廃れて聡明の勢興ればなり。故に善く勢に任ずる者は国安く、其の勢に因ることを知らざる者は国危し。古秦の俗、君臣法を廃して私に服す。是を以て国乱れ兵弱くして主卑し。商君秦の孝公に説くに、法を変じ俗を易へて公道を明らかにし、姦を告ぐるを賞し、末作を困しめて本事を利するを以てす。此の時に当たりて、秦民は故俗の罪有りて以て免るることを得べく、功無くして以て尊顕を得べきに習ふ。故に軽く新法を犯す。是に於て之を犯す者は其の誅重くして必なり、之を告ぐる者は其の賞厚くして信なり。故に姦得られざるは莫くして、刑せらるる者衆く、民疾怨して衆過日に聞こゆ。孝公聴かず、遂に商君の法を行ふ。民後に罪有るの必ず誅せられて、私姦を告ぐる者の衆きを知るなり。故に民犯すこと莫く、其の刑加ふる所無し。是を以て国治まりて兵強く、地広くして主尊し。此れ其の然る所以の者は、罪を匿すの罰重くして、姦を告ぐるの賞厚ければなり。此れ亦天下をして必ず己の為に視聴せしむるの道なり。至治の法術已に明らかなり。而して世の学者は知らざるなり。且つ夫れ世の愚学は、皆治乱の情を知らず、讘䛟として多く先古の書を誦して、以て当世の治を乱す。智慮は以て穽井の陥を避くるに足らず、又妄りに有術の士を非とす。其の言を聴く者は危く、其の計を用ゐる者は乱る。此れ亦愚の至大にして患ひの至甚なる者なり。倶に有術の士と談説の名有れども、実は相去ること千万なり。此れ夫の名同じくして実異なること有る者なり。夫れ世の愚学の人の有術の士に比するや、猶螘垤の大陵に比するがごとし。其の相去ること遠し。而して聖人は、是非の実に審らかにして、治乱の情を察するなり。
-
戦国策・秦一・衞鞅亡魏入秦衞鞅、魏を亡げて秦に入る。孝公以て相と為し、之を商に封じ、號して商君と曰う。商君秦を治むるや、法令至って行われ、公平にして私無く、罰は強大を諱まず、賞は親近を私せず、法太子に及び、其の傅を黥劓す。期年の後、道に遺を拾わず、民妄りに取らず、兵革大いに強く、諸侯畏懼す。然れども刻深にして恩寡なく、特だ強を以て之を服せしむるのみ。孝公之を行うこと八年、疾みて且に起きざらんとし、商君に傳えんと欲するも、辭して受けず。孝公已に死し、惠王代りて後たり。政に蒞むこと頃有りて、商君歸ることを告ぐ。人惠王に説きて曰わく、「大臣太だ重き者は國危うく、左右太だ親しき者は身危うし。今秦の婦人嬰兒皆商君の法を言い、大王の法を言う莫し。是れ商君反りて主と為り、大王更に臣と為るなり。且つ夫れ商君は、固より大王の仇讎なり、願わくは大王之を圖れ。」商君歸還するや、惠王之を車裂きにし、而して秦人憐れまず。
-
『韓非子』定法第四十三問ふ者曰く、「申不害・公孫鞅、此の二家の言孰れか国に急なる。」之に応へて曰く、「是れ程るべからざるなり。人食はざれば、十日にして則ち死す。大寒の隆んなる、衣ざるも亦死す。之を衣食孰れか人に急なると謂へば、則ち是れ一も無かるべからざるなり、皆生を養ふの具なり。今申不害は術を言ひ、而して公孫鞅は法を為す。術とは、任に因りて官を授け、名に循ひて実を責め、殺生の柄を操り、群臣の能を課する者なり。此れ人主の執る所なり。法とは、憲令官府に著し、刑罰民心に必し、賞は法を慎むに存し、而して罰は令を姦すに加ふる者なり。
-
『韓非子』問田第四十二是に由りて之を観れば、夫れ屯伯の試、州部の関無きは、豈に明主の備へならんや。」堂谿公、韓子に謂ひて曰く、「臣聞く、礼に服し辞譲するは、全うするの術なり。行を修め智を退くるは、遂ぐるの道なりと。今先生は法術を立て、度数を設く、臣竊かに以て身に危ふく軀に殆ふしと為す。何を以て之を效さん。先生の術を聞く所に曰く、『楚は呉起を用ひずして削乱し、秦は商君を行ひて富彊なり。二子の言已に当たれり、然り而して呉起は支解せられ商君は車裂せらるる者は、世に逢ひ主に遇はざるの患なり』と。逢遇は必すべからざるなり、患禍は斥くべからざるなり。夫れ全遂の道を舎てて危殆の行を肆にするは、竊かに先生の為に取る無し。」韓子曰く、「臣先生の言を明らかにせり。夫れ天下を治むるの柄、民萌を斉ふるの度は、甚だ未だ処り易からざるなり。然れども先王の教へを廃して、賤臣の取る所を行ふ所以の者は、竊かに以為へらく、法術を立て、度数を設くるは、民萌を利し、衆庶を便にするの道なればなり。