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韓非子 / 安危第二十五

故安國之法,若饑而食、寒而衣,不令而自然也。先王寄理於竹帛,其道順,故後世服。今使人去饑寒,雖賁、育不能行;廢自然,雖順道而不立。強勇之所不能行,則上不能安。上以無厭責已盡,則下對「無有」,無有則輕法。法所以爲國也而輕之,則功不立、名不成。聞古扁鵲之治其病也,以刀刺骨;聖人之救危國也,以忠拂耳。刺骨,故小痛在體而長利在身;拂耳,故小逆在心而久福在國。

新字:故安国之法,若饑而食、寒而衣,不令而自然也。先王寄理於竹帛,其道順,故後世服。今使人去饑寒,雖賁、育不能行;廃自然,雖順道而不立。強勇之所不能行,則上不能安。上以無厭責已尽,則下対「無有」,無有則軽法。法所以為国也而軽之,則功不立、名不成。聞古扁鵲之治其病也,以刀刺骨;聖人之救危国也,以忠払耳。刺骨,故小痛在体而長利在身;払耳,故小逆在心而久福在国。

書き下し

故に安国の法は、饑ゑて食し、寒くして衣るが若く、令せずして自然なり。先王は理を竹帛に寄す、其の道順なり、故に後世服す。今人をして饑寒を去らしめば、賁・育と雖も行ふこと能はず。自然を廃すれば、道に順ふと雖も立たず。強勇の行ふこと能はざる所なれば、則ち上安んずること能はず。上、厭くこと無きを以て已に尽くせるを責むれば、則ち下「有る無し」と対ふ。有る無ければ則ち法を軽んず。法は国を為むる所以なり、而るに之を軽んずれば、則ち功立たず、名成らず。聞く、古の扁鵲の其の病を治するや、刀を以て骨を刺す。聖人の危国を救ふや、忠を以て耳に払ふ。骨を刺す、故に小痛体に在りて長利身に在り。耳に払ふ、故に小逆心に在りて久福国に在り。

現代語訳

だから、国を安らかにする法は、飢えれば食べ、寒ければ着るように、命じなくても自然に行われるものである。昔の聖王は道理を竹簡や帛に記したが、その道が自然に順っていたので、後の世の人々も従ったのである。いま人々に飢えや寒さ(を満たすこと)を捨てさせようとしても、孟賁や夏育のような勇者でさえできはしない。自然を無視すれば、いくら道に順っているつもりでも成り立たない。強く勇ましい者にもできないことを求めれば、君主は安らかではいられない。君主が飽くことなく、すでに出し尽くした者にさらに求めれば、下の者は「もうありません」と答えるしかない。何もないとなれば、法を軽んずるようになる。法は国を治めるためのものなのに、それを軽んじられれば、功は立たず名も成らない。聞くところでは、昔の扁鵲が病を治すときには、刃物で骨まで刺したという。聖人が危うい国を救うときには、忠言で耳に逆らう。骨を刺すから、小さな痛みは体にあっても、長い利益は身にある。耳に逆らうから、小さな反発は心にあっても、久しい福は国にある。

解説

安危篇の中心となる段です。国を安らかにする法は、飢えれば食べ寒ければ着るように自然に従うもので、人の本性に逆らう要求は勇者でも実行できないと韓非は言います。取り尽くした者にさらに求めれば、下は「もう無い」と答えて法を軽んじるようになる、という指摘は、過重な要求が規律そのものを壊すことを示しています。後半の扁鵲の話は「良薬は口に苦し」と同じ趣旨で、骨を刺す治療の小さな痛みが長い利益を生むように、耳に痛い忠言が国に福をもたらすと説きます。無理なノルマを課し続ければ、現場は数字をごまかすようになりますし、耳の痛い報告を嫌う上司のもとでは、組織は病を深めていきます。

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