韓非子 / 定法第四十三
此臣之所師也。君無術則弊於上,臣無法則亂於下,此不可一無,皆帝王之具也。
新字:此臣之所師也。君無術則弊於上,臣無法則乱於下,此不可一無,皆帝王之具也。
書き下し
君術無ければ則ち上に弊われ、臣法無ければ則ち下に亂る。此れ一も無かる可からず、皆な帝王の具なり。
現代語訳
君主に術がなければ上で遮られ、臣下に法がなければ下で乱れる。この二つはどちらも欠かすことができず、どちらも帝王の道具である。
解説
上に立つ者に人を見抜き使いこなす工夫がなければ、いつの間にか下の者に取り囲まれて実情が見えなくなってしまう。一方で、働く者たちに従うべき明確な決まりがなければ、下の方でばらばらに好き勝手が起きてしまう。この二つはどちらも欠かすことができない、上に立つ者にとっての大切な道具である、と韓非は言います。家庭でも同じで、親が子どもの様子や気持ちをよく見て工夫して接する力と、家族みんなが守るべきはっきりした約束事の両方が要ります。約束事だけでは息苦しくなり、その場その場の工夫だけではえこひいきに見えてしまいます。決まりごとと、人を見る細やかな目配り、その両方を併せ持つことが、家庭でも組織でもうまく回る秘訣なのです。
この章句が説くこと
ルールと裁量仕組みマネジメント技術客観性属人性ガバナンス
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