韓非子 / 難二第三十七
固其所以桎梏、囚於羑里也。鄭長者有言:「體道,無爲無見也。」此最宜於文王矣,不使人疑之也。仲尼以文王爲智,未及此論也。晉平公問叔向曰:「昔者齊桓公九合諸侯,一匡天下,不識臣之力也,君之力也?」叔向對曰:「管仲善制割,賔胥無善削縫,隰朋善純緣,衣成,君舉而服之。亦臣之力也,君何力之有?」師曠伏琴而笑之。公曰:「太師奚笑也?」師曠對曰:「臣笑叔向之對君也。凡爲人臣者,猶炮宰和五味而進之君。君弗食,孰敢强之也?臣請譬之:君者壤地也,臣者草木也。必壤地美,然後草木碩大。亦君之力也,臣何力之有?」或曰:叔向、師曠之對,皆偏辭也。夫一匡天下,九合諸侯,美之大者也,非專君之力也,又非專臣之力也。昔者宫之奇在虞,僖負羈在曹,二臣之智,言中事,發中功,虞、曹俱亡者,何也?此有其臣而無其君者也。且蹇叔處干而干亡,處秦而秦霸,非蹇叔愚於干而智於秦也,此有君與無君也。向曰「臣之力也」,不然矣。昔者桓公宫中二市,婦閭二百,披髪而御婦人。得管仲,爲五伯長;失管仲、得竪刁而身死,蟲流出户不葬。以爲非臣之力也,且不以管仲爲霸;以爲君之力屯,且不以竪刁爲亂。昔者晉文公慕於齊女而亡歸,咎犯極諫,故使反晉國。故桓公以管仲合,文公以舅犯霸,而師曠曰「君之力也」,又不然矣。
新字:固其所以桎梏、囚於羑里也。鄭長者有言:「体道,無為無見也。」此最宜於文王矣,不使人疑之也。仲尼以文王為智,未及此論也。晋平公問叔向曰:「昔者斉桓公九合諸侯,一匡天下,不識臣之力也,君之力也?」叔向対曰:「管仲善制割,賓胥無善削縫,隰朋善純縁,衣成,君舉而服之。亦臣之力也,君何力之有?」師曠伏琴而笑之。公曰:「太師奚笑也?」師曠対曰:「臣笑叔向之対君也。凡為人臣者,猶炮宰和五味而進之君。君弗食,孰敢強之也?臣請譬之:君者壤地也,臣者草木也。必壤地美,然後草木碩大。亦君之力也,臣何力之有?」或曰:叔向、師曠之対,皆偏辞也。夫一匡天下,九合諸侯,美之大者也,非専君之力也,又非専臣之力也。昔者宮之奇在虞,僖負羈在曹,二臣之智,言中事,発中功,虞、曹倶亡者,何也?此有其臣而無其君者也。且蹇叔処干而干亡,処秦而秦覇,非蹇叔愚於干而智於秦也,此有君与無君也。向曰「臣之力也」,不然矣。昔者桓公宮中二市,婦閭二百,披髪而御婦人。得管仲,為五伯長;失管仲、得竪刁而身死,虫流出戸不葬。以為非臣之力也,且不以管仲為覇;以為君之力屯,且不以竪刁為乱。昔者晋文公慕於斉女而亡帰,咎犯極諫,故使反晋国。故桓公以管仲合,文公以舅犯覇,而師曠曰「君之力也」,又不然矣。
書き下し
固より其の桎梏せられ、羑里に囚はるる所以なり。鄭の長者に言有り、「道を体すれば、無為にして見はるる無きなり」と。此れ最も文王に宜し、人をして之を疑はしめざるなり。仲尼文王を以て智と為すは、未だ此の論に及ばざるなり。晋の平公叔向に問ひて曰く、「昔者斉の桓公諸侯を九合し、天下を一匡す、識らず臣の力か、君の力か」と。叔向対へて曰く、「管仲善く制割し、賔胥無善く削縫し、隰朋善く純縁す、衣成りて、君挙げて之を服す。亦臣の力なり、君何の力か之れ有らん」と。師曠琴に伏して之を笑ふ。公曰く、「太師奚ぞ笑ふや」と。師曠対へて曰く、「臣叔向の君に対ふるを笑ふ。凡そ人臣為る者は、猶ほ炮宰の五味を和して之を君に進むるがごとし。君食はざれば、孰か敢て之を強ひん。臣請ふ之を譬へん、君なる者は壌地なり、臣なる者は草木なり。必ず壌地美にして、然る後に草木碩大なり。亦君の力なり、臣何の力か之れ有らん」と。或ひと曰く、叔向・師曠の対は、皆偏辞なり。夫れ天下を一匡し、諸侯を九合するは、美の大なる者なり、専ら君の力に非ざるなり、又専ら臣の力に非ざるなり。昔者宮之奇虞に在り、僖負羈曹に在り、二臣の智、言は事に中り、発すれば功に中る、虞・曹俱に亡ぶる者は、何ぞや。此れ其の臣有りて其の君無き者なり。且つ蹇叔干に処りて干亡び、秦に処りて秦霸たり、蹇叔干に愚にして秦に智なるに非ざるなり、此れ君有ると君無きとなり。向の「臣の力なり」と曰ふは、然らず。昔者桓公宮中に二市あり、婦閭二百あり、髪を被りて婦人を御す。管仲を得て、五伯の長と為り、管仲を失ひ竪刁を得て身死し、蟲流れて戸を出づるも葬られず。以て臣の力に非ずと為さば、且つ管仲を以て霸たらず。以て君の力屯と為さば、且つ竪刁を以て乱れず。昔者晋の文公斉女を慕ひて帰るを亡る、咎犯極諫す、故に晋国に反らしむ。故に桓公は管仲を以て合し、文公は舅犯を以て霸たり、而るに師曠「君の力なり」と曰ふは、又然らず。
現代語訳
(重ねて疑われたことが)そもそも文王が手かせ足かせをはめられ、羑里に囚われた原因なのである。鄭の長老の言葉に「道を身につければ、無為であって何も表に出さない」とある。これこそ文王に最もふさわしい。人に疑いを抱かせないからである。仲尼が文王を知恵ある者としたのは、まだこの議論にまで至っていないのである。晋の平公が叔向に問うた。「昔、斉の桓公は諸侯を何度も会盟させ、天下を正したが、それは臣下の力なのか、君主の力なのか」。叔向は答えた。「管仲は布の裁断が巧みで、賓胥無は縫い合わせが巧みで、隰朋は縁取りが巧みでした。衣ができあがると、君はそれを手に取って着ただけです。やはり臣下の力であり、君に何の力がありましょう」。師曠は琴に伏して笑った。平公が「太師はなぜ笑うのか」と言うと、師曠は答えた。「私は叔向の君へのお答えを笑ったのです。およそ臣下というものは、料理人が五味を調えて君に差し上げるようなものです。君が食べなければ、誰が無理に食べさせられましょう。たとえて申し上げますと、君は土地であり、臣下は草木です。土地が肥えていてこそ、草木は大きく育ちます。やはり君の力であり、臣下に何の力がありましょう」。ある人が言う。叔向と師曠の答えは、どちらも偏った言葉である。天下を正し、諸侯を何度も会盟させたのは、この上なく大きな功業であり、君主だけの力でもなく、臣下だけの力でもない。昔、宮之奇は虞にいて、僖負羈は曹にいた。この二人の臣下の知恵は、言えば事に当たり、行えば功に当たったのに、虞も曹も滅んだのはなぜか。これは臣下がいても君主がいなかったからである。また蹇叔は干にいたときは干が滅び、秦にいたときは秦が覇者となった。蹇叔が干では愚かで秦では賢かったわけではない。これは君主がいるかいないかの違いである。叔向が「臣下の力だ」と言ったのは正しくない。昔、桓公は宮中に二つの市を設け、後宮の門は二百もあり、髪も結わずに婦人たちの相手をしていた。管仲を得て五覇の筆頭となったが、管仲を失って竪刁を得ると身は死に、遺体から湧いた蛆が戸口から流れ出ても葬られなかった。もし臣下の力ではないというなら、管仲によって覇者となることもなかったはずである。もし君主の力だというなら、竪刁によって乱れることもなかったはずである。昔、晋の文公は斉の女性を慕って帰国することを忘れていたが、咎犯(舅犯)が激しく諫めて、晋の国に帰らせた。だから桓公は管仲によって諸侯を会盟させ、文公は舅犯によって覇者となったのである。師曠が「君の力だ」と言ったのも、また正しくない。
解説
関連する章句
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『韓非子』難二第三十七凡そ五霸の能く功名を天下に成す所以の者は、必ず君臣俱に力有り。故に曰く、叔向・師曠の対は、皆偏辞なり、と。
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『新序』雜事第四晉の平公叔向に問いて曰く、昔者齊の桓公九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡す。識らず、其の君の力か、其の臣の力か、と。叔向對えて曰く、管仲は善く制割し、隰朋は善く削縫し、賓胥無は善く純縁す。桓公は衣を知るのみ。亦た其の臣の力なり、と。師曠侍して曰く、臣請う、之を譬うるに五味を以てせん。管仲は善く之を斷割し、隰朋は善く之を煎熬し、賓胥無は善く之を齊和す。羹以て熟せり。奉じて之を進むるも、而も君食らわずんば、誰か能く之を強いん。亦た君の力なり、と。
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『韓非子』難二第三十七且つ桓公の管仲を得るも又難からず。管仲其の君に死せずして桓公に帰し、鮑叔官を軽んじ能に譲りて之に任ず、桓公の管仲を得ること又難からざること、明らかなり。已に管仲を得たる後、奚ぞ遽かに易からんや。管仲は周公旦に非ず。周公旦は仮りに天子為ること七年、成王壮なれば、之に授くるに政を以てす、天下の為に計るに非ざるなり、其の職の為なり。夫れ子を奪はずして天下を行ふ者は、必ず死君に背きて其の讎に事へず。死君に背きて其の讎に事ふる者は、必ず子を奪ひて天下を行ふを難しとせず。子を奪ひて天下を行ふを難しとせざる者は、必ず其の君の国を奪ふを難しとせず。管仲は、公子糾の臣なり、桓公を殺さんと謀りて能はず、其の君死して桓公に臣たり、管仲の取舎の周公旦に非ざること、知る可きなり。若し管仲をして大賢ならしめば、且に湯・武と為らんとす。湯・武は、桀・紂の臣なり。桀・紂乱を作し、湯・武之を奪ふ。今桓公易きを以て其の上に居る、是れ桀・紂の行を以て湯・武の上に居るなり、桓公危ふし。若し管仲をして不肖の人ならしめば、且に田常と為らんとす。田常は、簡公の臣なり、而して其の君を弑す。今桓公易きを以て其の上に居る、是れ簡公の易きを以て田常の上に居るなり、桓公又危ふし。管仲の周公旦に非ざること以て明らかなり、然れども湯・武と田常とに為ること、未だ知る可からざるなり。湯・武と為らば、桀・紂の危ふき有り。田常と為らば、簡公の乱有るなり。已に仲父を得たる後、桓公奚ぞ遽かに易からんや。若し桓公の管仲に任ずるをして、必ず己を欺かざるを知らしめば、是れ主を欺かざるの臣を知るなり。然れども主を欺かざるの臣を知ると雖も、今桓公管仲に任ずるの専らなるを以て竪刁・易牙に借し、蟲流れて戸を出でて葬られず、桓公は臣の主を欺くと主を欺かざるとを知らざること已に明らかなり、而るに臣に任ずること彼の如く其れ専らなり、故に曰く、桓公は闇主なり、と。
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『韓非子』難一第三十六霄略曰く、「管仲賤を以て貴を治む可からずと為す、故に高・国の上を請ふ。貧を以て富を治む可からずと為す、故に三帰を請ふ。䟽を以て親を治む可からずと為す、故に仲父に処る。管仲は貪るに非ず、以て治に便するなり」と。或ひと曰く、今臧獲をして君令を奉じて卿相に詔げしむれば、敢て聴かざる莫し、卿相卑しくして臧獲尊きに非ざるなり、主令の加はる所、敢て従はざる莫きなり。今管仲の治をして桓公に縁らざらしめば、是れ君無きなり、国君無ければ以て治を為す可からず。若し桓公の威を負ひ、桓公の令を下さば、是れ臧獲の信ぜらるる所以なり、奚ぞ高・国・仲父の尊きを待ちて後に行はれんや。当世の事を行ひ、都丞の徴令を下す者は、尊貴を辟けず、卑賤に就かず。故に之を行ひて法ならば、巷伯と雖も卿相に信ぜらる。之を行ひて法に非ざれば、大吏と雖も民萌に詘す。今管仲尊主明法を務めずして、寵を増し爵を益すを事とす、是れ管仲富貴を貪欲するに非ざれば、必ず闇くして術を知らざるなり。故に曰く、管仲に失行有り、霄略に過誉有り、と。韓の宣王樛留に問ふ、「吾公仲・公叔を両用せんと欲す、其れ可ならんか」と。樛留対へて曰く、「昔魏は楼・翟を両用して西河を亡ひ、楚は昭・景を両用して鄢・郢を亡ふ。今君公仲・公叔を両用せば、此れ必ず将に事を争ひて外に市せんとす、則ち国必ず憂へん」と。或ひと曰く、昔者斉の桓公管仲・鮑叔を両用し、成湯伊尹・仲虺を両用す。夫れ臣を両用するは国の憂ひならば、則ち是れ桓公は霸たらず、成湯は王たらざるなり。湣王一たび淖歯を用ひて、身東廟に死し、主父一たび李兌を用ひて、食を減ぜられて死す。
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『韓非子』難一第三十六今襄子驕侮の臣を誅せずして、功無きの赫を賞す、安くにか襄子の善く賞するに在らん。故に曰く、仲尼は善く賞することを知らず、と。晋の平公羣臣と飲む、飲酣にして、乃ち喟然として歎じて曰く、「人君為るより楽しきは莫し、惟だ其の言ひて之に違ふ莫し」と。師曠前に侍坐す、琴を援きて之に撞く。公衽を披きて避く、琴壁に壊る。公曰く、「太師誰にか撞く」と。師曠曰く、「今者小人の側に言ふ者有り、故に之に撞く」と。公曰く、「寡人なり」と。師曠曰く、「啞。是れ君人たる者の言に非ざるなり」と。左右之を除かんことを請ふ、公曰く、「之を釈せ、以て寡人の戒と為さん」と。或ひと曰く、平公は君道を失ひ、師曠は臣礼を失ふ。夫れ其の行を非として其の身を誅するは、君の臣に於けるなり。其の行を非とすれば則ち其の言を陳べ、善く諫めて聴かれざれば則ち其の身を遠ざくるは、臣の君に於けるなり。今師曠平公の行を非とし、人臣の諫を陳べずして、人主の誅を行ふ、琴を挙げて其の体に親しむ、是れ上下の位に逆らひて、人臣の礼を失ふなり。夫れ人臣為る者は、君過有れば則ち諫め、諫めて聴かれざれば則ち爵禄を軽んじて以て之を待つ、此れ人臣の礼なり。今師曠平公の過を非とし、琴を挙げて其の体に親しむ、厳父と雖も子に加へず、而るに師曠之を君に行ふ、此れ大逆の術なり。
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『韓非子』難四第三十九衛の孫文子、魯に聘す。公登れば亦登る。叔孫穆子趨り進みて曰く、「諸侯の会に、寡君未だ嘗て衛君に後れず。今子は寡君に後るること一等ならず。寡君未だ過つ所を知らざるなり。子其れ少しく安んぜよ。」孫子辞無く、亦悛むる容無し。穆子退きて人に告げて曰く、「孫子必ず亡びん。亡臣にして君に後れず、過ちて悛めざるは、亡の本なり。」或ひと曰く、天子道を失へば、諸侯之を伐つ、故に湯・武有り。諸侯道を失へば、大夫之を伐つ、故に斉・晋有り。臣にして君を伐つ者必ず亡びば、則ち是れ湯・武は王たらず、晋・斉は立たざるなり。孫子は衛に君たり、而して後に魯に臣たらず、臣の君なり。君に失有り、故に臣に得有り。亡を失有るの君に命ぜずして、亡を得有るの臣に命ずるは、察せず。魯は衛の大夫を誅するを得ず、而して衛君の明は悛めざるの臣を知らず。孫子是の二つ有りと雖も、巨ぞ以て亡びん。其の亡ぶる所以を其れ失ふは、君を得る所以なり。或ひと曰く、臣主の施は、分なり。臣能く君を奪ふ者は、得を以て相踦すればなり。故に其の分に非ずして取る者は、衆の奪ふ所なり。其の分を辞して取る者は、民の予ふる所なり。是を以て桀は㟭山の女を索め、紂は比干の心を求めて、天下離る。湯は身名を易へ、武は身詈を受けて、海内服す。趙咺は山に走り、田氏は外に僕して、斉・晋従ふ。則ち湯・武の王たる所以、斉・晋の立つ所以は、必ずしも其の君を以てするに非ざるなり、彼之を得て而る後に君を以て之に処るなり。