韓非子 / 外儲說左下第三十三
少室周者,古之貞廉潔慤者也,爲趙襄主力士。與中牟徐子角力,不若也,入言之襄主以自代也。
新字:少室周者,古之貞廉潔慤者也,為趙襄主力士。与中牟徐子角力,不若也,入言之襄主以自代也。
書き下し
少室周...力を角べて、若かざるなり。入りて之を襄主に言いて以て自ら代らんとす。
現代語訳
少室周は...(徐子と)力比べをして、かなわなかった。(彼は)参内して襄主にこのことを話し、自分と彼(徐子)を交代させてほしいと申し出た。
解説
少室周は清廉潔白で知られた力自慢で、趙の襄主に仕える力士でした。あるとき中牟の徐子という人物と力比べをして、正直に負けを認めます。そして少室周は自分から進んで御殿に上がり、「徐子の方が私より力があります。私の代わりに彼を召し抱えてください」と申し出たのです。普通なら、負けたことを隠したり、相手をねたんだりしてしまうところですが、少室周は自分の面目よりも、より優れた人が正しく用いられることを選びました。これは家庭でも近所付き合いでも通じる姿勢です。例えば町内会の役目や習い事の指導役を任されている人が、自分より上手な人が現れた時に、意地を張らず「あの人に任せた方がいい」と言えるかどうかが問われます。自分の立場や誇りにしがみつくよりも、全体にとって一番良い形を選べる人こそ、本当に信頼される人なのです。
この章句が説くこと
プロフェッショナリズム適材適所嫉妬公私混同の排除謙虚さ
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