韓非子 / 內儲說下六微第三十一
荆王欲宦諸公子於四隣,戴歇曰:「不可。」「宦公子於四隣,四隣必重之。」曰:「子出者重,重則必爲所重之國黨,則是教子於外市也,不便。」魯孟孫、叔孫、季孫相戮力劫昭公,遂奪其國而擅其制。魯三桓偪公,昭公攻季孫氏,而孟孫氏、叔孫氏相與謀曰:「救之乎?」叔孫氏之御者曰:「我,家臣也,安知公家?凡有季孫與無季孫於我孰利?」皆曰:「無季孫必無叔孫。」「然則救之。」於是撞西北隅而入。孟孫見叔孫之旗入,亦救之。三桓爲一,昭公不勝。逐之,死於乾侯。公叔相韓而有攻齊,公仲甚重於王,公叔恐王之相公仲也,使齊、韓約而攻魏。公叔因内齊軍於鄭,以劫其君,以固其位,而信兩國之約。翟璜,魏王之臣也,而善於韓。乃召韓兵令之攻魏,因請爲魏王搆之以自重也。越王攻吳王,吳王謝而告服,越王欲許之。范蠡、大夫種曰:「不可。
新字:荆王欲宦諸公子於四隣,戴歇曰:「不可。」「宦公子於四隣,四隣必重之。」曰:「子出者重,重則必為所重之国党,則是教子於外市也,不便。」魯孟孫、叔孫、季孫相戮力劫昭公,遂奪其国而擅其制。魯三桓偪公,昭公攻季孫氏,而孟孫氏、叔孫氏相与謀曰:「救之乎?」叔孫氏之御者曰:「我,家臣也,安知公家?凡有季孫与無季孫於我孰利?」皆曰:「無季孫必無叔孫。」「然則救之。」於是撞西北隅而入。孟孫見叔孫之旗入,亦救之。三桓為一,昭公不勝。逐之,死於乾侯。公叔相韓而有攻斉,公仲甚重於王,公叔恐王之相公仲也,使斉、韓約而攻魏。公叔因内斉軍於鄭,以劫其君,以固其位,而信両国之約。翟璜,魏王之臣也,而善於韓。乃召韓兵令之攻魏,因請為魏王搆之以自重也。越王攻呉王,呉王謝而告服,越王欲許之。范蠡、大夫種曰:「不可。
書き下し
荊王諸公子を四隣に宦せしめんと欲す、戴歇曰く、「不可なり。」「公子を四隣に宦せしむれば、四隣必ず之を重んぜん。」曰く、「子の出づる者は重し、重ければ則ち必ず重んずる所の国の党と為る、則ち是れ子に外市を教ふるなり、便ならず。」魯の孟孫・叔孫・季孫相戮力して昭公を劫かし、遂に其の国を奪ひて其の制を擅にす。魯の三桓公に偪る、昭公季孫氏を攻む、而して孟孫氏・叔孫氏相与に謀りて曰く、「之を救はんか。」叔孫氏の御者曰く、「我は、家臣なり、安んぞ公家を知らん。凡そ季孫有ると季孫無きと我に於て孰れか利ある。」皆曰く、「季孫無ければ必ず叔孫無し。」「然らば則ち之を救へ。」是に於て西北の隅を撞きて入る。孟孫叔孫の旗の入るを見て、亦之を救ふ。三桓一と為り、昭公勝たず。之を逐ふ、乾侯に死す。公叔韓に相として斉を攻むる有り、公仲甚だ王に重んぜらる、公叔王の公仲を相とせんことを恐れ、斉・韓をして約して魏を攻めしむ。公叔因りて斉軍を鄭に内れ、以て其の君を劫かし、以て其の位を固め、而して両国の約を信にす。翟璜は、魏王の臣なり、而して韓に善し。乃ち韓兵を召きて之をして魏を攻めしめ、因りて魏王の為に之を搆はんことを請ひて以て自ら重くす。越王呉王を攻む、呉王謝して服を告ぐ、越王之を許さんと欲す。范蠡・大夫種曰く、「不可なり。
現代語訳
楚王が王子たちを近隣の国々に仕官させようとした。戴歇は「いけません」と言った。(王が)「王子を近隣に仕官させれば、近隣の国は必ず彼らを重んじるだろう」と言うと、戴歇は答えた。「国外に出た王子が重んじられれば、必ず自分を重んじてくれる国の味方になります。それは王子に外国との取引を教えることであり、よろしくありません。」魯の孟孫・叔孫・季孫の三家(三桓)は力を合わせて昭公を脅かし、ついに国を奪って政治を思いのままにした。魯の三桓が公室に迫ったので、昭公は季孫氏を攻めた。孟孫氏と叔孫氏は相談して「救おうか」と言った。叔孫氏の御者が言った。「私は家臣であって、公室のことなど知りません。そもそも季孫氏がいるのといないのと、我々にとってどちらが得でしょうか。」皆が「季孫氏がいなくなれば、必ず叔孫氏もいなくなる」と言うと、「それならば救いましょう」と言った。そこで西北の隅を突き破って攻め込んだ。孟孫氏も叔孫氏の旗が入るのを見て、やはり季孫氏を救った。三桓が一つになったので、昭公は勝てなかった。三桓は昭公を追放し、昭公は乾侯の地で死んだ。韓の宰相の公叔には斉との件があり、また公仲が韓王にひどく重んじられていた。公叔は王が公仲を宰相にすることを恐れ、斉と韓に盟約を結ばせて魏を攻めさせた。公叔はそれを機に斉の軍を韓の都の鄭に引き入れ、自分の君主を脅して地位を固め、さらに両国の盟約を確かなものにした。翟璜は魏王の臣であったが、韓と親しかった。そこで韓の兵を招いて魏を攻めさせ、そのうえで魏王のために和平を取りまとめたいと申し出て、自分の重みを増した。越王が呉王を攻めると、呉王は謝って降伏を申し出た。越王はこれを許そうとした。范蠡と大夫種は言った。「なりません。
解説
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『韓非子』內儲說下六微第三十一大夫何ぞ呉を釈きて越を患へしめざる。」大夫種書を受けて之を読み、太息して歎じて曰く、「之を殺せ、越と呉と命を同じくす。」大成牛趙より申不害に韓に謂ひて曰く、「韓を以て我を趙に重くせよ、請ふ趙を以て子を韓に重くせん、是れ子に両韓有り、我に両趙有るなり。」司馬喜は、中山君の臣なり、而して趙に善し、嘗て中山の謀を以て微かに趙王に告ぐ。呂倉は、魏王の臣なり、而して秦・荊に善し。微かに秦・荊に諷して之をして魏を攻めしめ、因りて行きて和せんことを請ひて以て自ら重くす。宋石は、魏の将なり。衛君は、荊の将なり。両国難を搆へ、二子皆将たり。宋石衛君に書を遺りて曰く、「二軍相当り、両旗相望む、唯だ一戦すること毋かれ、戦へば必ず両存せず。此れ乃ち両主の事なり、子と私怨有ること無し、善き者は相避くるなり。」白圭魏に相たり、暴譴韓に相たり。白圭暴譴に謂ひて曰く、「子韓を以て我を魏に輔けよ、我魏を以て子を韓に待たん、臣長く魏に用ひられ、子長く韓に用ひられん。」三。斉の中大夫に夷射なる者有り、王に御飲し、酔ふこと甚しくして出で、郎門に倚る。門者の刖跪請ひて曰く、「足下之に余瀝を賜ふに意無きか。」夷射叱して曰く、「去れ。刑余の人、何事ぞ乃ち敢て長者に飲を乞ふ。」刖跪走り退く。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一「能く大事を挙げんか。」曰く、「能くす。」是に於て乃ち宿営の甲を起して成王を攻む。成王熊膰を食ひて死せんことを請ふ、許さず、遂に自殺す。韓廆韓の哀侯に相たり、厳遂君に重し、二人甚だ相害す。厳遂乃ち人をして韓廆を朝に刺さしむ、韓廆走りて君を抱く、遂に韓廆を刺して哀侯を兼ぬ。田恒斉に相たり、闞止簡公に重し、二人相憎みて相賊せんと欲す。田恒因りて私恵を行ひて以て其の国を取り、遂に簡公を殺して之が政を奪ふ。戴驩宋の太宰と為り、皇喜君に重し、二人事を争ひて相害す、皇喜遂に宋君を殺して其の政を奪ふ。狐突曰く、「国君内を好めば則ち太子危く、外を好めば則ち相室危し。」鄭君鄭昭に問ひて曰く、「太子亦何如。」対へて曰く、「太子未だ生れざるなり。」君曰く、「太子已に置きて未だ生れずと曰ふは、何ぞや。」対へて曰く、「太子置かると雖も、然れども君の色を好むこと已まず、愛する所子有らば、君必ず之を愛せん、之を愛すれば則ち必ず以て後と為さんと欲せん、臣故に太子未だ生れずと曰ふなり。」六。文王費仲に資して紂の旁に遊ばしめ、之をして紂を諫めて其の心を乱さしむ。荊王人をして秦に之かしむ、秦王甚だ之を礼す。王曰く、「敵国に賢者有るは、国の憂ひなり。今荊王の使者甚だ賢なり、寡人之を患ふ。」群臣諫めて曰く、「王の賢聖と国の資厚きとを以てすれば、荊王の賢人を願ふ、王何ぞ深く之に知られて陰かに之を有せざる。荊以て外用と為さば、則ち必ず之を誅せん。」仲尼魯に政を為し、道に遺ちたるを拾はず、斉の景公之を患ふ。黎且景公に謂ひて曰く、「仲尼を去ること猶ほ毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を迎ふるに重禄高位を以てし、哀公に女楽を遺りて以て其の意を驕栄せしめざる。哀公新たに之を楽しまば、必ず政を怠らん、仲尼必ず諫めん、諫むれば必ず軽く魯に絶たん。」景公曰く、「善し。」
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『韓非子』內儲說下六微第三十一左右に私かに善からざる者有り、乃ち之が為に王に請ひて曰く、「公子甚だ貧しく、馬甚だ痩す、王何ぞ之に馬食を益さざる。」王許さず。左右因りて微かに夜芻廐を焼かしむ。王以て賤公子と為すや、乃ち之を誅す。魏に老儒有りて済陽君に善からず。客に老儒と私怨有る者有り、因りて老儒を攻めて之を殺し、以て済陽君に徳として曰く、「臣其の君に善からざるが為なり、故に君の為に之を殺せり。」済陽君因りて察せずして之を賞す。一に曰く、済陽君に少庶子有り、知られずして君に愛を入れんと欲する者有り。斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、済陽の少庶子以て功と為さんと欲し、入りて君に見えて曰く、「斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、名は薬を掘るなるも、実は君の国を間するなり。君之を殺さずんば、是れ将に済陽君を以て罪を斉に抵さんとす。臣請ふ之を刺さん。」君曰く、「可なり。」是に於て明日之を城陰に得て之を刺す、済陽君還りて益ます之を親しむ。四。陳需は、魏王の臣なり、荊王に善し、而して荊をして魏を攻めしむ。荊魏を攻む、陳需因りて魏王の為に行きて之を解かんことを請ひ、因りて荊の勢を以て魏に相たり。韓の昭侯の時、黍種嘗て貴きこと甚し。昭侯人をして廩を覆さしむ、吏果して黍種を竊みて之を糶ること甚だ多し。昭奚恤の荊に用ひらるるや、倉廥窌を焼く者有りて其の人を知らず。昭奚恤吏をして茅を販ぐ者を執へて之を問はしむ、果して焼けり。昭僖侯の時、宰人食を上るに羹中に生肝有り、昭侯宰人の次を召して之を誚めて曰く、「若何為れぞ生肝を寡人の羹中に置く。」宰人頓首して死罪に服して曰く、「竊かに尚宰人を去らんと欲するなり。」一に曰く、僖侯浴す、湯中に礫有り。僖侯曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち当に代るべき者有るか。」左右対へて曰く、「有り。」僖侯曰く、「召して来れ。」之を譙めて曰く、「何為れぞ礫を湯中に置く。」対へて曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち臣之に代るを得ん、是を以て礫を湯中に置く。」
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『韓非子』外儲說左上第三十二故に人の事を行ひ施予するに、之を利するを以て心と為せば、則ち越人も和し易し。之を害するを以て心と為せば、則ち父子も離れて且つ怨む。文公宋を伐つ、乃ち先づ宣言して曰く、「吾聞く宋君無道にして、長老を蔑侮し、財を分つこと中らず、教令信ならずと、余来りて民の為に之を誅す。」越呉を伐つ、乃ち先づ宣言して曰く、「我聞く呉王如皇の台を築き、深池を掘り、百姓を罷苦せしめ、財貨を煎靡し、以て民力を尽くすと、余来りて民の為に之を誅す。」蔡女桓公の妻と為る、桓公之と舟に乗る、夫人舟を蕩かす、桓公大いに懼れ、之を禁ずるも止まず、怒りて之を出す。乃ち且に復た之を召さんとするに、因りて復た更に之を嫁がしむ。桓公大いに怒り、将に蔡を伐たんとす。仲父諫めて曰く、「夫れ寝席の戯れを以て、以て人の国を伐つに足らず、功業冀ふべからざるなり、請ふ此を以て稽と為すこと無かれ。」桓公聴かず。仲父曰く、「必ず已むを得ずんば、楚の菁茅天子に貢がざること三年なり、君兵を挙げて天子の為に楚を伐つに如かず。楚伏せば、因りて還りて蔡を襲ひ、曰へ、余天子の為に楚を伐つ、而るに蔡兵を以て聴従せず、と、遂に之を滅ぼせ。此れ名に義にして実に利あり、故に必ず天子の為に誅するの名有りて、讎に報ゆるの実有り。」呉起魏の将と為りて中山を攻む。軍人に疽を病む者有り、呉起跪きて自ら其の膿を吮ふ。傷者の母立ちどころに泣く、人問ひて曰く、「将軍若の子に於て是の如し、尚ほ何為れぞ泣く。」