韓非子 / 內儲說上七術第三十
則臣雖夢見竈,不亦可乎!」魯哀公問於孔子曰:「鄙諺曰:『莫衆而迷。』今寡人舉事,與羣臣慮之,而國愈亂,其故何也?」孔子對曰:「明王之問臣,一人知之,一人不知也。如是者,明主在上,羣臣直議於下。今羣臣無不一辭同軌乎季孫者,舉魯國盡化爲一,君雖問境内之人,猶不免於亂也。」一曰:晏子聘魯,哀公問曰:「語曰:『莫三人而迷。』今寡人與一國慮之,魯不免於亂,何也?」晏子曰:「古之所謂『莫三人而迷』者,一人失之,二人得之,三人足以爲衆矣,故曰『莫三人而迷』。今魯國之羣臣以千百數,一言於季氏之私,人數非不衆,所言者一人也,安得三哉?」齊人有謂齊王曰:「河伯,大神也。王何不試與之遇乎?臣請使王遇之。」迺爲壇場大水之上,而與王立之焉。有間,大魚動,因曰:「此河伯。」張儀欲以秦、韓與魏之勢伐齊、荆,而惠施欲以齊、荆偃兵。二人爭之。羣臣左右皆爲張子言,而以攻齊、荆爲利,而莫爲惠子言。王果聽張子,而以惠子言爲不可。攻齊、荆事已定,惠子入見。王言曰:「先生毋言矣。攻齊、荆之事果利矣,一國盡以爲然。」惠子因說:「不可不察也。夫齊、荆之事也誠利,一國盡以爲利,是何智者之衆也?攻齊、荆之事誠不可利,一國盡以爲利,何愚者之衆也?
新字:則臣雖夢見竈,不亦可乎!」魯哀公問於孔子曰:「鄙諺曰:『莫衆而迷。』今寡人舉事,与羣臣慮之,而国愈乱,其故何也?」孔子対曰:「明王之問臣,一人知之,一人不知也。如是者,明主在上,羣臣直議於下。今羣臣無不一辞同軌乎季孫者,舉魯国尽化為一,君雖問境内之人,猶不免於乱也。」一曰:晏子聘魯,哀公問曰:「語曰:『莫三人而迷。』今寡人与一国慮之,魯不免於乱,何也?」晏子曰:「古之所謂『莫三人而迷』者,一人失之,二人得之,三人足以為衆矣,故曰『莫三人而迷』。今魯国之羣臣以千百数,一言於季氏之私,人数非不衆,所言者一人也,安得三哉?」斉人有謂斉王曰:「河伯,大神也。王何不試与之遇乎?臣請使王遇之。」迺為壇場大水之上,而与王立之焉。有間,大魚動,因曰:「此河伯。」張儀欲以秦、韓与魏之勢伐斉、荆,而恵施欲以斉、荆偃兵。二人争之。羣臣左右皆為張子言,而以攻斉、荆為利,而莫為恵子言。王果聴張子,而以恵子言為不可。攻斉、荆事已定,恵子入見。王言曰:「先生毋言矣。攻斉、荆之事果利矣,一国尽以為然。」恵子因説:「不可不察也。夫斉、荆之事也誠利,一国尽以為利,是何智者之衆也?攻斉、荆之事誠不可利,一国尽以為利,何愚者之衆也?
書き下し
則ち臣竈を夢見ると雖も、亦可ならずや」と。魯の哀公、孔子に問ひて曰く、「鄙諺に曰く、『衆と莫くして迷ふ』と。今寡人事を挙ぐるに、群臣と之を慮るも、国愈々乱るるは、其の故何ぞや」と。孔子対へて曰く、「明王の臣に問ふや、一人は之を知り、一人は知らざるなり。是の如き者は、明主上に在りて、群臣下に直議す。今群臣は一辞同軌して季孫に乎はざる無く、魯国を挙げて尽く化して一と為る。君、境内の人に問ふと雖も、猶ほ乱を免れざるなり」と。一に曰く、晏子、魯に聘す。哀公問ひて曰く、「語に曰く、『三人莫くして迷ふ』と。今寡人一国と之を慮るも、魯乱を免れざるは何ぞや」と。晏子曰く、「古の所謂『三人莫くして迷ふ』者は、一人之を失ひ、二人之を得、三人は以て衆と為すに足る、故に『三人莫くして迷ふ』と曰ふ。今魯国の群臣は千百を以て数ふるも、言を季氏の私に一にす。人数衆からざるに非ざるも、言ふ所の者は一人なり、安んぞ三を得んや」と。斉人に斉王に謂ふ者有りて曰く、「河伯は大神なり。王何ぞ試みに之と遇はざる。臣請ふ王をして之に遇はしめん」と。迺ち壇場を大水の上に為りて、王と之に立つ。間有りて、大魚動く。因りて曰く、「此れ河伯なり」と。張儀、秦・韓と魏との勢を以て斉・荊を伐たんと欲し、而して恵施は斉・荊を以て兵を偃めんと欲す。二人之を争ふ。群臣左右皆張子の為に言ひて、斉・荊を攻むるを以て利と為し、而して恵子の為に言ふ莫し。王果たして張子に聴きて、恵子の言を以て不可と為す。斉・荊を攻むるの事已に定まり、恵子入りて見ゆ。王言ひて曰く、「先生言ふ毋かれ。斉・荊を攻むるの事は果たして利あり、一国尽く以て然りと為す」と。恵子因りて説く、「察せざるべからざるなり。夫れ斉・荊の事や誠に利ありて、一国尽く以て利と為す、是れ何ぞ智者の衆きや。斉・荊を攻むるの事誠に利とすべからずして、一国尽く以て利と為す、何ぞ愚者の衆きや。
現代語訳
(小人の役者は衛の霊公に言った。)「(かまどは一人が火に当たれば後ろの者は火が見えません。今誰かが殿を独り占めしているなら)わたしがかまどの夢を見たとしても、もっともではありませんか」。魯の哀公が孔子に尋ねた。「諺に『衆と相談しなければ迷う』という。いまわしは事を起こすとき、群臣とともに考えているのに、国はますます乱れる。そのわけは何か」。孔子は答えた。「明王が臣下に尋ねるときは、ある者は知っていて、ある者は知らない、というふうに(意見が分かれるように)します。そうであってこそ、明主が上にいて、群臣が下で率直に議論するのです。いま群臣は、季孫氏と口をそろえ、同じ道筋をたどらない者はなく、魯の国を挙げてみな一つになってしまっています。殿が国内のすべての人に尋ねても、やはり乱れを免れないでしょう」。別の伝えでは、晏子が使者として魯を訪れたとき、哀公が尋ねた。「言い伝えに『三人と相談しなければ迷う』という。いまわしは国じゅうの者と相談しているのに、魯が乱れを免れないのはなぜか」。晏子は言った。「昔いわれた『三人と相談しなければ迷う』とは、一人が誤っても二人が正しければ、三人で衆とするに足りる、だから『三人と相談しなければ迷う』と言ったのです。いま魯の群臣は千や百で数えるほどいますが、言うことは季氏の私的な意向に一つにまとまっています。人数が少ないわけではありませんが、言っているのは一人です。どうして三人になりましょう」。斉の人で斉王にこう言う者があった。「河の神の河伯は偉大な神です。王はどうして試しに会ってごらんにならないのですか。わたしが王を河伯に会わせてさしあげましょう」。そこで大河のほとりに祭壇を築き、王とともにそこに立った。しばらくして大きな魚が動いた。すると「これが河伯です」と言った。張儀は秦・韓と魏の勢力を合わせて斉と楚を討とうとし、恵施は斉・楚と和して戦をやめようとした。二人はこれを争った。群臣も側近もみな張儀の側に立って、斉・楚を攻めるのが利だと言い、恵施の側に立つ者はいなかった。魏王は果たして張儀の意見を聞き入れ、恵施の意見を退けた。斉・楚を攻めることがすでに決まってから、恵施が参内した。王は言った。「先生、何も言いなさるな。斉・楚を攻めることはやはり利があった。国じゅうがみなそう言っている」。そこで恵施は説いた。「よくお考えにならなければなりません。斉・楚を攻めることが本当に利があるとしても、国じゅうがみな利があると言うとは、何と知者の多いことでしょう。斉・楚を攻めることが本当は利がないのに、国じゅうがみな利があると言うとは、何と愚者の多いことでしょう。
解説
関連する章句
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孟子・告子章句下淳于髡曰く、「名實を先にする者は人の為にするなり。名實を後にする者は自ら為にするなり。夫子は三卿の中に在りて、名實未だ上下に加えずして之を去る。仁者は固より此の如きか。」孟子曰く、「下位に居り、賢を以て不肖に事えざる者は、伯夷なり。五たび湯に就き、五たび桀に就く者は、伊尹なり。汙君を惡まず、小官を辭せざる者は、柳下惠なり。三子の者は道を同じうせざるも、其の趨は一なり。一とは何ぞや。曰く、仁なり。君子も亦た仁のみ。何ぞ必ずしも同じからん。」曰く、「魯の繆公の時、公儀子、政を為し、子柳・子思、臣為り。魯の削られるや、滋々甚し。是の若きか、賢者の國に益無きことや。」曰く、「虞、百里奚を用いずして亡び、秦繆公之を用いて霸たり。賢を用いざれば則ち亡ぶ。削らるること何ぞ得可けんや。」曰く、「昔者、王豹、淇に處り、而して河西善く謳う。緜駒(メン・ク)、高唐に處り、而して齊右善く歌う。華周・杞梁の妻、善く其の夫を哭し、而して國俗を變ず。諸を內に有すれば、必ず諸を外に形わす。其の事を為して其の功無き者は、髡未だ嘗て之を覩ざるなり。是の故に賢者無きなり。有らば則ち髡必ず之を識らん。」曰く、「孔子、魯の司寇と為りて、用いられず。從って祭りしに、燔肉至らず。冕を脱がずして行る。知らざる者は以て肉の為なりと為し、其の知る者は以て禮無きが為なりと為す。乃ち孔子は則ち微罪を以て行らんと欲す。苟くも去ることを為すを欲せざるなり。君子の為す所は、衆人固より識らざるなり。」
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『韓非子』內儲說上七術第三十凡そ謀る者は疑へばなり。疑ふとは、誠に疑ふなり、以て可と為す者半ばにして、以て不可と為す者半ばなり。今一国尽く以て可と為す、是れ王其の半ばを亡ふなり。主を劫かす者は固より其の半ばを亡ふ者なり」と。叔孫、魯に相として、貴くして主断す。其の愛する所の者を豎牛と曰ふ、亦叔孫の令を擅用す。叔孫に子有り壬と曰ふ。豎牛妬みて之を殺さんと欲し、因りて壬と魯君の所に游ぶ。魯君之に玉環を賜ふ。壬拝して之を受くるも敢へて佩びず、豎牛をして之を叔孫に請はしむ。豎牛之を欺きて曰く、「吾已に爾の為に之を請へり、爾をして之を佩びしむ」と。壬因りて之を佩ぶ。豎牛因りて叔孫に謂ふ、「何ぞ壬を君に見えしめざる」と。叔孫曰く、「孺子何ぞ見ゆるに足らんや」と。豎牛曰く、「壬固より已に数々君に見えたり。君之に玉環を賜ひ、壬已に之を佩べり」と。叔孫、壬を召して之を見るに、果たして佩ぶ。叔孫怒りて壬を殺す。壬の兄を丙と曰ふ。豎牛又妬みて之を殺さんと欲す。叔孫、丙の為に鐘を鋳る。鐘成るも、丙敢へて撃たず、豎牛をして之を叔孫に請はしむ。豎牛為に請はず、又之を欺きて曰く、「吾已に爾の為に之を請へり、爾をして之を撃たしむ」と。丙因りて之を撃つ。叔孫之を聞きて曰く、「丙請はずして擅に鐘を撃つ」と。怒りて之を逐ふ。丙出でて斉に走る。居ること一年、豎牛為に叔孫に謝す。叔孫、豎牛をして之を召さしむ。又召さずして之に報じて曰く、「吾已に之を召せり、丙怒ること甚だしく、来るを肯んぜず」と。叔孫大いに怒り、人をして之を殺さしむ。二子已に死し、叔孫病有り。豎牛因りて独り之を養ひて左右を去り、人を内れずして曰く、「叔孫は人の声を聞くを欲せず」と。食はせずして餓殺す。叔孫已に死し、豎牛因りて喪を発せざるなり。其の府庫の重宝を徙して之を空しくして斉に奔る。夫れ信ずる所の言を聴きて子父人の為に僇せらる、此れ参せざるの患ひなり。
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『韓非子』說林下二十三已にして文侯の以て己を構するを知り、乃ち皆魏に朝す。斉、魯を伐ち、讒鼎を索む。魯其の鴈を以て往く。斉人曰く、「鴈なり」と。魯人曰く、「真なり」と。斉曰く、「楽正子春をして来らしめよ、吾将に子に聴かんとす」と。魯君、楽正子春に請ふ。楽正子春曰く、「胡ぞ其の真を以て往かざるや」と。君曰く、「我之を愛す」と。答へて曰く、「臣も亦臣の信を愛す」と。韓咎立ちて君と為るも、未だ定まらざるなり。弟周に在り、周之を重んぜんと欲して、韓咎の立たざるを恐るるなり。綦毋恢曰く、「車百乗を以て之を送るに若かず。立つを得ば、因りて戒めと為すと曰ひ、立たずんば、則ち来りて賊を效すと曰はん」と。靖郭君将に薛に城かんとす。客多く以て諫むる者あり。靖郭君、謁者に謂ひて曰く、「客の為に通ずる毋かれ」と。斉人に見えんことを請ふ者有りて曰く、「臣請ふ三言のみ。三言を過ぎば、臣請ふ烹られん」と。靖郭君因りて之に見ゆ。客趨り進みて曰く、「海大魚」と。因りて反り走る。靖郭君曰く、「請ふ其の説を聞かん」と。客曰く、「臣敢へて死を以て戯れを為さず」と。靖郭君曰く、「願はくは寡人の為に之を言へ」と。答へて曰く、「君、大魚を聞くか。網も止むること能はず、繳も絓くること能はざるなり。
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