韓非子 / 解老第二十
故欲利甚於憂,憂則疾生,疾生而智慧衰;智慧衰,則失度量;失度量,則妄舉動;妄舉動,則禍害至;禍害至而疾嬰内,疾嬰内,則痛禍薄外;痛禍薄外,則苦痛雜於腸胃之間;苦痛雜於腸胃之間,則傷人也憯。憯則退而自咎,退而自咎也生於欲利。故曰:「咎莫憯於欲利。」道者,萬物之所然也,萬理之所稽也。理者,成物之文也;道者,萬物之所以成也。故曰:道,理之者也。物有理,不可以相薄;物有理不可以相薄,故理之爲物之制。萬物各異理,而道盡稽萬物之理,故不得不化;不得不化,故無常操。無常操,是以死生氣禀焉,萬智斟酌焉,萬事廢興焉。天得之以高,地得之以藏,維斗得之以成其威,日月得之以恒其光,五常得之以常其位,列星得之以端其行,四時得之以御其變氣,軒轅得之以擅四方,赤松得之與天地統,聖人得之以成文章。道,與堯舜俱智,與接輿俱狂,與桀紂俱滅,與湯武俱昌。以爲近乎,遊於四極;以爲遠乎,常在吾側;以爲暗乎,其光昭昭;以爲明乎,其物冥冥。而功成天地,和化雷霆,宇内之物,恃之以成。凡道之情,不制不形,柔弱隨時,與理相應。萬物得之以死,得之以生;萬事得之以敗,得之以成。
新字:故欲利甚於憂,憂則疾生,疾生而智慧衰;智慧衰,則失度量;失度量,則妄舉動;妄舉動,則禍害至;禍害至而疾嬰内,疾嬰内,則痛禍薄外;痛禍薄外,則苦痛雑於腸胃之間;苦痛雑於腸胃之間,則傷人也憯。憯則退而自咎,退而自咎也生於欲利。故曰:「咎莫憯於欲利。」道者,万物之所然也,万理之所稽也。理者,成物之文也;道者,万物之所以成也。故曰:道,理之者也。物有理,不可以相薄;物有理不可以相薄,故理之為物之制。万物各異理,而道尽稽万物之理,故不得不化;不得不化,故無常操。無常操,是以死生気禀焉,万智斟酌焉,万事廃興焉。天得之以高,地得之以蔵,維斗得之以成其威,日月得之以恒其光,五常得之以常其位,列星得之以端其行,四時得之以御其変気,軒轅得之以擅四方,赤松得之与天地統,聖人得之以成文章。道,与堯舜倶智,与接輿倶狂,与桀紂倶滅,与湯武倶昌。以為近乎,遊於四極;以為遠乎,常在吾側;以為暗乎,其光昭昭;以為明乎,其物冥冥。而功成天地,和化雷霆,宇内之物,恃之以成。凡道之情,不制不形,柔弱随時,与理相応。万物得之以死,得之以生;万事得之以敗,得之以成。
書き下し
故に利を欲すること憂ひよりも甚だし。憂ふれば則ち疾生ず。疾生じて智慧衰ふ。智慧衰ふれば、則ち度量を失ふ。度量を失へば、則ち妄りに挙動す。妄りに挙動すれば、則ち禍害至る。禍害至りて疾内に嬰る。疾内に嬰れば、則ち痛禍外に薄る。痛禍外に薄れば、則ち苦痛腸胃の間に雑はる。苦痛腸胃の間に雑はれば、則ち人を傷つくるや憯し。憯なれば則ち退きて自ら咎む。退きて自ら咎むるは利を欲するに生ず。故に曰く、「咎は利を欲するより憯しきは莫し」と。道は、万物の然る所なり、万理の稽まる所なり。理は、物を成すの文なり。道は、万物の成る所以なり。故に曰く、道は、之を理むる者なりと。物に理有りて、以て相薄るべからず。物に理有りて以て相薄るべからず、故に理は之れ物の制たり。万物各々理を異にして、道は尽く万物の理を稽む。故に化せざるを得ず。化せざるを得ず、故に常操無し。常操無し、是を以て死生気禀け、万智斟酌し、万事廃興す。天は之を得て以て高く、地は之を得て以て蔵し、維斗は之を得て以て其の威を成し、日月は之を得て以て其の光を恒にし、五常は之を得て以て其の位を常にし、列星は之を得て以て其の行を端しくし、四時は之を得て以て其の変気を御し、軒轅は之を得て以て四方を擅にし、赤松は之を得て天地と統べ、聖人は之を得て以て文章を成す。道は、堯・舜と倶に智に、接輿と倶に狂に、桀・紂と倶に滅び、湯・武と倶に昌ゆ。以て近しと為すか、四極に遊ぶ。以て遠しと為すか、常に吾が側に在り。以て暗しと為すか、其の光昭昭たり。以て明らかなりと為すか、其の物冥冥たり。而して功は天地を成し、和は雷霆を化し、宇内の物、之を恃みて以て成る。凡そ道の情は、制せず形せず、柔弱にして時に随ひ、理と相応ず。万物之を得て以て死し、之を得て以て生く。万事之を得て以て敗れ、之を得て以て成る。
現代語訳
だから利を欲する心は、憂いよりもはなはだしい。憂えば病が生じ、病が生じれば知恵が衰える。知恵が衰えれば物事を測る基準を失う。基準を失えばみだりに行動する。みだりに行動すれば禍や害がやってくる。禍や害がやってくれば病が体の内にまとわりつく。病が内にまとわりつけば、痛みや禍が外から迫ってくる。痛みや禍が外から迫れば、苦痛が腸や胃の間に入り混じる。苦痛が腸や胃の間に入り混じれば、人を傷つけることが痛ましいほどになる。痛ましいほどになれば、引き下がって自分を責める。引き下がって自分を責めるのは、利を欲することから生まれる。だから「咎めは利を欲することより痛ましいものはない」と言うのである。道とは、万物がそのようにある根拠であり、あらゆる理が集まる所である。理とは、物を形づくる筋目である。道とは、万物が成り立つ根拠である。だから「道とは、物を筋目立てるものである」と言うのである。物にはそれぞれ理があって、互いに侵し合うことはない。物に理があって互いに侵し合わないので、理は物を規定するものである。万物はそれぞれ理を異にしているが、道は万物の理をことごとく集めている。だから変化せざるをえない。変化せざるをえないので、決まった形がない。決まった形がないので、死も生もそこから気を受け、あらゆる知恵がそこから汲み取り、あらゆる事がそこで廃れたり興ったりする。天はそれを得て高く、地はそれを得て万物を蔵し、北斗星はそれを得て威光を成し、日と月はそれを得て光を絶やさず、五行はそれを得て位置を保ち、星々はそれを得て運行を正しくし、四季はそれを得て移り変わる気を制御し、黄帝(軒轅)はそれを得て四方を支配し、赤松子(仙人)はそれを得て天地と一体となり、聖人はそれを得て文化の秩序を成した。道は、堯や舜とともにあれば智となり、接輿(楚の狂人)とともにあれば狂となり、桀や紂とともにあれば滅び、湯王や武王とともにあれば栄える。近いと思えば四方の果てにまで遊び、遠いと思えば常に自分のそばにある。暗いと思えばその光は明らかに輝き、明るいと思えばその姿は奥深く暗い。そしてその働きは天地を成り立たせ、その調和は雷を生み出し、天下のあらゆる物はそれに頼って成り立っている。およそ道の実情は、固定されず形もなく、柔らかくしなやかで時に従い、理と応じ合っている。万物はそれを得て死に、それを得て生きる。万事はそれを得て失敗し、それを得て成功する。
解説
関連する章句
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『韓非子』解老第二十道は諸を譬ふれば水の若し。溺るる者は多く之を飲めば即ち死し、渇する者は適に之を飲めば即ち生く。之を譬ふれば剣戟の若し。愚人は以て忿りを行へば則ち禍生じ、聖人は以て暴を誅すれば則ち福成る。故に之を得て以て死し、之を得て以て生き、之を得て以て敗れ、之を得て以て成る。人は生象を見ること希なり。而して死象の骨を得て、其の図を案じて以て其の生を想ふ。故に諸人の以て意想する所の者を皆之を「象」と謂ふなり。今道は聞見を得べからずと雖も、聖人は其の見功を執りて以て其の形を処見す。故に曰く、「無状の状、無物の象」と。凡そ理は、方円・短長・麤靡・堅脆の分なり。故に理定まりて後に道を得べきなり。故に定理には存亡有り、死生有り、盛衰有り。夫れ物の一たび存し一たび亡び、乍ち死し乍ち生き、初め盛んにして後に衰ふる者は、常と謂ふべからず。唯夫れ天地の剖判と具に生じ、天地の消散に至るまで死せず衰へざる者を「常」と謂ふ。而して常なる者は易ふる攸無く、定理無し。定理無ければ、常所に在らず。是を以て道ふべからざるなり。聖人は其の玄虚を観、其の周行を用ゐて、強ひて之に字して「道」と曰ふ。然して論ずべし。故に曰く、「道の道ふべきは、常の道に非ざるなり」と。人は生に始まりて死に卒る。始まる、之を出と謂ひ、卒る、之を入と謂ふ。故に曰く、「生に出でて死に入る」と。人の身は三百六十節、四肢・九竅、其の大具なり。四肢と九竅と十有三なる者、十有三なる者の動静は尽く生に属す。属する、之を徒と謂ふなり。故に曰く、生の徒は十有三なる者なりと。死に至るや、十有三具なる者は皆還りて之を死に属す。死の徒も亦十三有り。故に曰く、「生の徒十有三、死の徒十有三」と。凡そ民の生生して、生くる者は固より動く。動き尽くれば則ち損す。而して動きて止まざるは、是れ損して止まざるなり。
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『韓非子』解老第二十有道の君は、外は怨讎を隣敵に無くして、内は徳沢を人民に有す。夫れ外に怨讎を隣敵に無き者は、其の諸侯に遇ふや外に礼義有り。内に徳沢を人民に有する者は、其の人事を治むるや本を務む。諸侯に遇ふに礼義有れば、則ち役希に起こる。民事を治むるに本を務むれば、則ち淫奢止む。凡そ馬の大いに用ゐらるる所以の者は、外は甲兵に供し、内は淫奢に給するなり。今有道の君は、外は希に甲兵を用ゐて、内は淫奢を禁ず。上は馬を戦闘逐北に事とせずして、民は馬を以て遠く淫らに物を通ぜず。力を積むは唯田疇なり。力を田疇に積めば、必ず且に糞灌せんとす。故に曰く、「天下に道有れば、走馬を却けて以て糞す」と。人君道無ければ、則ち内は其の民を暴虐して、外は其の隣国を侵欺す。内暴虐すれば則ち民の産絶え、外侵欺すれば則ち兵数々起こる。民の産絶ゆれば則ち畜生少なく、兵数々起これば則ち士卒尽く。畜生少なければ則ち戎馬乏しく、士卒尽くれば則ち軍危殆なり。戎馬乏しければ則ち牸馬出で、軍危殆なれば則ち近臣役せらる。馬は、軍の大用なり。郊は、其の近きを言ふなり。今軍に給するの具を牸馬近臣に於てする所以なり。故に曰く、「天下に道無ければ、戎馬郊に生ず」と。人欲有れば則ち計会乱る。計会乱れて欲有ること甚だし。欲有ること甚だしければ則ち邪心勝つ。邪心勝てば則ち事経絶ゆ。事経絶ゆれば則ち禍難生ず。是に由りて之を観れば、禍難は邪心に生じ、邪心は可欲に誘はる。可欲の類は、進みては良民をして姦を為さしめ、退きては善人をして禍有らしむ。姦起これば則ち上は弱君を侵し、禍至れば則ち民人多く傷つく。然らば則ち可欲の類は、上は弱君を侵して下は人民を傷つく。夫れ上は弱君を侵して下は人民を傷つくる者は、大罪なり。故に曰く、「禍は欲すべきより大なるは莫し」と。是を以て聖人は五色に引かれず、声楽に淫せず、明君は玩好を賤しみて淫麗を去る。
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『淮南子』詮言訓道を釋てて智に任ずる者は必ず危うし。數を棄てて才を用うる者は必ず困しむ。欲 多きを以て亡ぶ者有るも、未だ無欲を以て危うき者有らざるなり。治めんと欲するを以て亂るる者有るも、未だ常を守るを以て失う者有らざるなり。故に智も患を免るるに足らず、愚も以て寧きを失うに至るに足らず。其の分を守り、其の理に循い、之を失いて憂えず、之を得て喜ばず。故に成る者は爲す所に非ざるなり。得る者は求むる所に非ざるなり。入る者は受くる有りて取る無く、出づる者は授くる有りて予うる無し。春に因りて生じ、秋に因りて殺す。生ずる所の者を德とせず、殺す所の者を怨みとせざれば、則ち道に幾し。
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『淮南子』詮言訓故に治 未だ亂れざるに固からずして、事として治を爲す者は、必ず危うし。行い 未だ非無きに固からずして、急に名を求むる者は、必ず挫くるなり。福は禍無きより大なるは莫く、利は喪わざるより美なるは莫し。動の物たるや、損せずんば則ち益し、成らずんば則ち毀れ、利あらずんば則ち病む。皆な險なり。之を道く者は危うし。故に秦は戎に勝ちて、殽に敗る。楚は諸夏に勝ちて、栢莒に敗る。故に道は勸めて利に就く可からずして、寧ろ害を避く可き者なり。故に常に禍無きも、常に福有らず。常に罪無きも、常に功有らず。聖人は思慮無く、設儲無く、來たる者を迎えず、去る者を將らず。人 東西南北すと雖も、獨り中央に立つ。故に眾枉の中に處りて、其の直を失わず。天下 皆な流るるも、獨り其の壇域を離れず。故に善を爲さず、醜を避けず、天の道に遵う。始めと爲らず、己を專らにせず、天の理に循う。豫め謀らず、時を棄てず、天と期を爲す。得るを求めず、福を辭せず、天の則に從う。無き所を求めず、得たる所を失わず。內に旁禍無く、外に旁福無し。禍福 生ぜず、安んぞ人賊有らんや。
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『韓非子』解老第二十人は毛羽無く、衣ざれば則ち寒を犯さず。上は天に属せず下は地に著かず、腸胃を以て根本と為し、食はざれば則ち活くること能はず。是を以て利を欲するの心を免れず。利を欲するの心除かれざるは、其の身の憂ひなり。故に聖人は衣は以て寒を犯すに足り、食は以て虚を充たすに足れば、則ち憂へず。衆人は則ち然らず。大は諸侯と為り、小は千金の資を余すも、其の得んと欲するの憂ひ除かれず。胥靡も免るること有り、死罪も時に活く。今足ることを知らざる者の憂ひは終身解けず。故に曰く、
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