韓非子 / 解老第二十
無禍害,則盡天年。得事理,則必成功。盡天年,則全而壽。必成功,則富與貴。全壽富貴之謂福,而福本於有禍。故曰:「禍兮福之所倚。」
新字:無禍害,則尽天年。得事理,則必成功。尽天年,則全而寿。必成功,則富与貴。全寿富貴之謂福,而福本於有禍。故曰:「禍兮福之所倚。」
書き下し
禍害無ければ、則ち天年を尽くす。事理を得れば、則ち必ず功を成す。天年を尽くせば、則ち全くして寿し。必ず功を成せば、則ち富と貴となり。全寿富貴、之を福と謂ふ。而して福は禍有るに本づく。故に曰く、「禍は福の倚る所」と。
現代語訳
禍や害がなければ、天から授かった寿命を全うする。物事の道理をつかめば、必ず功を成し遂げる。天寿を全うすれば、身は無事で長生きする。必ず功を成し遂げれば、富と地位が得られる。身の無事・長寿・富・地位、これを福という。そして福は、禍があることにもとづいている。だから「禍は福のよりかかる所である」と言うのである。
解説
『老子』第五十八章の「禍は福の倚る所、福は禍の伏す所」を注釈した一節の前半です。直前で韓非は、人は禍に遭うと恐れて行いを正し、よく考えるようになると述べています。行いが正しく考えが熟すれば、禍害がなくなって天寿を全うし、物事の道理をつかんで功を成す。そうして得られる長寿と富貴こそが福であり、その福は、もとをたどれば禍があったからこそ生まれたのだ、という論理です。失敗や危機が人を慎重にし、それが成功の土台になるという考えは、現代の失敗学にも通じます。今直面している困難を、次の福の種と見る視点を与えてくれます。
関連する章句
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『韓非子』解老第二十邪僻を行へば、則ち身死夭す。理を棄てて動けば、則ち成功無し。夫れ内に死夭の難有りて外に成功の名無き者は、大禍なり。而して禍は本福有るに生ず。故に曰く、「福は禍の伏す所」と。夫れ道理に縁りて以て事に従ふ者は、成すこと能はざる無し。成すこと能はざる無き者は、大は能く天子の勢尊を成し、小は易く卿相将軍の賞禄を得。夫れ道理を棄てて妄りに挙動する者は、上に天子諸侯の勢尊有り、下に猗頓・陶朱・卜祝の富有りと雖も、猶其の民人を失ひて其の財資を亡ふ。衆人の軽んじて道理を棄てて易く妄りに挙動する者は、其の禍福の深大にして道の闊遠なること是くの若きを知らざるなり。故に人に諭して曰く、「孰か其の極を知らん」と。人は富貴全寿を欲せざるは莫し。而も未だ能く貧賤死夭の禍を免るること有らざるなり。心は富貴全寿を欲して、今貧賤死夭なり。是れ其の至らんと欲する所に至ること能はざるなり。凡そ其の欲する所の路を失ひて妄りに行く者、之を迷と謂ふ。迷へば則ち其の至らんと欲する所に至ること能はず。今衆人の其の至らんと欲する所に至ること能はず、故に「迷」と曰ふ。衆人の其の至らんと欲する所に至ること能はざるや、天地の剖判より以て今に至る。
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『韓非子』解老第二十人福有れば...驕心生じ、驕心生ずれば則ち行い邪僻にして動くこと理を棄つ。...禍の本は福有るに生ず。
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説苑・敬慎老子曰わく、「其の利する所を得れば、必ず其の害する所を慮る。其の成る所を楽しめば、必ず其の敗るる所を顧みる。人善を為す者は、天報ゆるに福を以てす。人不善を為す者は、天報ゆるに禍を以てするなり。故に曰わく、禍は福の倚る所、福は禍の伏する所なりと。之を戒めよ、之を慎め。君子務めずんば、何を以て之に備えん。夫れ上天を知れば、則ち時を失わず。下地を知れば、則ち。日夜之を慎めば、則ち災害無し」と。
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『韓非子』解老第二十人禍有れば則ち心畏恐し、心畏恐すれば則ち行い端直に...行い端直なれば則ち思慮熟し、思慮熟すれば則ち事理を得、事理を得れば則ち必ず功を成す。
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『慎思録』巻之三老子曰く、禍は福の倚る所、福は禍の伏す所、と。愚謂へらく、倚伏の理は、隠微にして見難く、畏るべきの甚しきなり。是れ衆人の知らざる所にして、智者の独り知る所なり。盧子諒の所謂福は禍の始と為り、禍は福の階と作る、及び塞翁の予め言ふ所も、亦皆此の意のみ。
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『慎思録』巻之二古人曰く、名を成すは毎に窮苦の日に在り、事を敗るは多く志を得る時に因る、と。愚謂ふ、此れも亦た老子の所謂禍は福の倚る所、福は禍の伏す所なり。是れ倚伏の理なり。禍有りと雖も憂ふべからず。福有りと雖も喜ぶべからず。是れ塞翁の意なり。