海国兵談抄録 / 工藤球卿の序・兵の理論と平時の備えの関係
今之所謂兵也者。言用兵之理。今之所謂武備也者。備之之事是也。兵之屬於理。備之屬於事。時勢使然耳。所謂武備也者。攻守之具。則亡論已。至乎其測區域廣狹。山河險易。古今異同。人物强弱。天度寒喧。敵國大小。遠近緩急。利不利衰旺。各從其權。而制其宜。徐謀豫虞。必無有遺漏也。而後其用爰備焉。不啻是也。豫虞匪懈。講習之務。益久益精。研究周致。無所不至。雄武俠烈之風不撓。則夫夫無有反心。化外慴伏。而莫或敢犯。其如此而以至萬萬世。使人民永莫受兵革飢離之苦者也。可得而期矣。業亦大也哉矣。凡兵爲臨時機。備爲太平業。太平時。武備不張。則兵無所講。兵理不明。則武備無所張。事理相待而已矣。我神祖開業以來。昇平既久。中外無事。世之言兵者。唯理之究。卒無所施。今也。實國家備于武之時哉。而今之備之者。徒談其理。而不按其方。卒乎舊儀。而忽乎講習。流風漸移。因循苟且。
新字:今之所謂兵也者。言用兵之理。今之所謂武備也者。備之之事是也。兵之属於理。備之属於事。時勢使然耳。所謂武備也者。攻守之具。則亡論已。至乎其測区域広狭。山河険易。古今異同。人物強弱。天度寒喧。敵国大小。遠近緩急。利不利衰旺。各従其権。而制其宜。徐謀予虞。必無有遺漏也。而後其用爰備焉。不啻是也。予虞匪懈。講習之務。益久益精。研究周致。無所不至。雄武侠烈之風不撓。則夫夫無有反心。化外慴伏。而莫或敢犯。其如此而以至万万世。使人民永莫受兵革飢離之苦者也。可得而期矣。業亦大也哉矣。凡兵為臨時機。備為太平業。太平時。武備不張。則兵無所講。兵理不明。則武備無所張。事理相待而已矣。我神祖開業以来。昇平既久。中外無事。世之言兵者。唯理之究。卒無所施。今也。実国家備于武之時哉。而今之備之者。徒談其理。而不按其方。卒乎旧儀。而忽乎講習。流風漸移。因循苟且。
書き下し
今の所謂兵なる者は、兵を用うるの理を言う。今の所謂武備なる者は、之に備うるの事、是なり。兵の理に属し、備の事に属するは、時勢の然らしむるのみ。所謂武備なる者は、攻守の具は、則ち論ずるなきのみ。其の区域の広狭、山河の険易、古今の異同、人物の強弱、天度の寒暄、敵国の大小、遠近緩急、利不利、衰旺を測るに至りては、各々其の権に従いて、其の宜しきを制す。徐ろに謀り豫め虞り、必ず遺漏有ること無きなり。而して後に其の用爰に備わる。啻に是のみならず。豫め虞りて懈らず、講習の務め、益々久しく益々精しく、研究周致、至らざる所無し。雄武侠烈の風撓まざれば、則ち夫夫反心有ること無く、化外慴伏して、或いは敢えて犯す莫し。其れ此くの如くして以て万万世に至り、人民をして永く兵革飢離の苦しみを受くること莫からしむる者、得て期すべし。業も亦大なるかな。凡そ兵は臨時の機たり、備は太平の業たり。太平の時、武備張らざれば、則ち兵講ずる所無し。兵理明らかならざれば、則ち武備張る所無し。事理相待つのみ。我が神祖開業以来、昇平既に久しく、中外事無し。世の兵を言う者、唯だ理の究むるのみにして、卒に施す所無し。今や、実に国家武に備うるの時なるかな。而るに今の之に備うる者、徒らに其の理を談じて、其の方を按ぜず、旧儀に卒りて、講習を忽にす。流風漸く移り、因循苟且たり。
現代語訳
いま言われる「兵」とは、軍を用いる理論のことです。いま言われる「武備」とは、それに備える実務のことです。兵は理論に属し、備えは実務に属しますが、これは時勢がそうさせているだけです。武備のうち、攻めと守りの道具については言うまでもありません。さらに、地域の広さや狭さ、山河の険しさと平らかさ、古今の違い、人物の強弱、気候の寒暖、敵国の大小、遠近や緩急、有利不利、勢いの盛衰まで見極め、それぞれの状況に応じて適切に対処し、ゆっくり計画して前もって憂慮すれば、必ず漏れがなくなります。その後で初めて、実際の用に備わるのです。それだけではありません。前もって憂慮して怠らず、学びと習練の務めを長く続けるほどに精密にし、研究を行き届かせて、及ばないところをなくします。勇ましく烈しい気風が揺るがなければ、人々に反逆の心は起こらず、遠い異域の者もおそれ服して、あえて侵す者はいなくなります。こうして万万世に至るまで、人民が長く戦乱や飢えや離散の苦しみを受けずにすむことを、期待できるでしょう。これは大きな事業です。そもそも兵は事に臨んでの機であり、備えは太平の世の仕事です。太平の時に武備が整わなければ、兵を学ぶ場もなくなります。兵の理が明らかでなければ、武備を整える手がかりもなくなります。実務と理論は互いに支え合うものです。わが神祖(徳川家康)が天下を開いて以来、泰平は久しく、国の内外に事がありません。世に兵を語る者は、ただ理論を究めるだけで、結局どこにも施すところがありません。いまはまさに国家が武に備えるべき時です。ところが今それに備える者は、むなしく理論を語るだけで、その方法を考えず、古い儀礼のままで終わり、学びと習練をおろそかにしています。こうした風潮は次第に広まり、旧習に従って一時しのぎをするばかりです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志後録 第百八十一条 凶歉に予め備ふ五穀の豊歉も、亦大抵数有り。三十年前後に必ず小饑荒有り、六十年前後に必ず大凶歉有り。較遅速有りと雖も、竟に免るる能はず。之が為に予め備へざるべけんや。(癸巳春季筆す)
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『文武訓』武訓下一天下太平なれども、武をわするればあやふし。故に治世にも乱を忘れず、武事をまなぶべし。無事なる時武をならはば、後悔なかるべし。遠き慮なければ、必ず近きうれへあり。乱にのぞみて兵をならふは、渇にのぞんで井を掘るがごとし。
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『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
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『春秋左氏伝』昭公十八年 小国、守りを忘るれば危うし七月、鄭の子產火の故の為に、大いに社を為(つく)り、四方に祓禳して、火災を振除す。禮なり。乃ち兵を簡(えら)びて大いに蒐す。將に蒐の為に除(はら)はんとす。子大叔の廟は道の南に在り、其の寢は道の北に在り。其の庭小なり。期を過ぐること三日なり。除徒をして道の南、廟の北に陳せしめて曰く、「子產女(なんぢ)を過ぎて、速やかに除けと命ぜば、乃ち而(なんぢ)が鄉(む)かふ所に毀て」と。子產朝す。過ぎて之を怒る。除く者南に毀つ。子產衝に及び、從者をして之を止めしめて曰く、「北方を毀て」と。火の作るや、子產兵を授けて陴に登らしむ。子大叔曰く、「晉乃ち討ずること無からんや」と。子產曰く、「吾之を聞く、小國守を忘るれば則ち危うし、と。況んや災有るをや。國の小とす可からざるは、備へ有るが故なり」と。既にして晉の邊吏鄭を讓(せ)めて曰く、「鄭國災有り。晉君・大夫敢へて寧居せず、卜筮走望して、牲玉を愛しまず。鄭の災有るは、寡君の憂ひなり。今執事撊然として兵を授けて陴に登らしむ。將に誰を以て罪せんとする」と。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。

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