価原 / 『価原』周公と王莽・衣食足りて礼節を知る
周公ハ禮樂ヲ制作シテ周家八百年ノ基業ヲ開キ王莽ハ禮樂ヲ制作シテ其身ヲダニ保タザリケリ禮ハ其人ヲ待テ行ハルル者ニシテ其人ニ非ラザレバ事ヲ援ルモ知ルベカラズタトヒ事ヲ援ルトモ援ルハ其人ノ罪ニシテ禮敎ノ罪ニアラズ詩ニモ飮之食之敎之誨之ト云論語ニモ旣ニ富ムコレヲ敎エント云孟子ニモ有恒産者必有恒心、無恒産者必無恒心、トモイヘリ誠ニ兒ハ饑タルニ啼キ妻ハ凍エタルニ號ハバ人夷齊ニ非ザルヨリハ孰カ廉恥ノ操ヲ保タン晉營テ正シク聞キキ去ヌル荒年小民飢ユル者ドモ多カリシ中ニ某ノ所ノ一民飢ノ忍ビ難クテヤ有ケン人ノ圃ナル蕪拔ケルヲ其主見咎メケレバ最恥カシク思ヒ衣打カヅキテ臥ヌルガ終ニ食ヲ絶テ死シケルトゾ若バカリ猾介ノ人ニテモ饑寒ニハ操ヲアヤマツナリ此處ヲヨクヨク考レバ罪ハ人人己ガ造ル樣ナレドモ民ニ上タル人ノ德ヨリ起ルコトナリ
新字:周公ハ礼楽ヲ制作シテ周家八百年ノ基業ヲ開キ王莽ハ礼楽ヲ制作シテ其身ヲダニ保タザリケリ礼ハ其人ヲ待テ行ハルル者ニシテ其人ニ非ラザレバ事ヲ援ルモ知ルベカラズタトヒ事ヲ援ルトモ援ルハ其人ノ罪ニシテ礼教ノ罪ニアラズ詩ニモ飲之食之教之誨之ト云論語ニモ既ニ富ムコレヲ教エント云孟子ニモ有恒産者必有恒心、無恒産者必無恒心、トモイヘリ誠ニ児ハ饑タルニ啼キ妻ハ凍エタルニ号ハバ人夷斉ニ非ザルヨリハ孰カ廉恥ノ操ヲ保タン晋営テ正シク聞キキ去ヌル荒年小民飢ユル者ドモ多カリシ中ニ某ノ所ノ一民飢ノ忍ビ難クテヤ有ケン人ノ圃ナル蕪抜ケルヲ其主見咎メケレバ最恥カシク思ヒ衣打カヅキテ臥ヌルガ終ニ食ヲ絶テ死シケルトゾ若バカリ猾介ノ人ニテモ饑寒ニハ操ヲアヤマツナリ此処ヲヨクヨク考レバ罪ハ人人己ガ造ル様ナレドモ民ニ上タル人ノ徳ヨリ起ルコトナリ
書き下し
周公は礼楽を制作して周家八百年の基業を開き、王莽は礼楽を制作してその身をだに保たざりけり。礼は、その人を待ちて行わるる者にして、その人に非ざれば、事を援るも知るべからず。たとい事を援るとも、援るはその人の罪にして、礼教の罪にあらず。詩にも「これに飲ませ、これに食わせ、これを教え、これを誨う」といい、論語にも「既に富めり、これを教えん」といい、孟子にも「恒産ある者は必ず恒心あり、恒産なき者は必ず恒心なし」ともいえり。誠に、児は飢えたるに啼き、妻は凍えたるに号かば、人、夷斉に非ざるよりは、孰れか廉恥の操を保たん。晋営、正しく聞きき。去ぬる荒年、小民飢ゆる者どもの多かりし中に、某の所の一民、飢えの忍び難くてや有りけん、人の圃なる蕪を抜きけるを、その主見とがめければ、最も恥ずかしく思い、衣打ちかづきて臥しぬるが、ついに食を絶ちて死しけるとぞ。かばかり猾介の人にても、飢寒には操を誤つなり。この処をよくよく考うれば、罪は人々己が造る様なれども、民に上たる人の徳より起こることなり。
現代語訳
周公は礼楽を制作して、周王室八百年の基礎を開き、王莽は礼楽を制作して、自分の身さえ保てなかった。礼は、それにふさわしい人を待って行われるものであって、その人でなければ、事を取り入れても結果は分からない。たとえ取り入れたとしても、それがうまくいかないのはその人の罪であって、礼の教えの罪ではない。詩経にも「これに飲ませ、これに食わせ、これを教え、これを諭す」といい、論語にも「すでに豊かになった。これを教えよう」といい、孟子にも「安定した生業のある者には必ず変わらぬ心があり、生業のない者には必ず変わらぬ心がない」ともいっている。本当に、子は飢えて泣き、妻は凍えて叫ぶとなれば、人は伯夷・叔斉でない限り、だれが恥を知る節操を保てようか。晋営が正しく聞いたことがある。先年の荒年に、貧しい民が飢えている者が多かったなか、ある所の一人の民が、飢えが耐えがたかったのであろうか、人の畑の蕪を抜いたのを、その持ち主が見とがめたので、たいへん恥ずかしく思い、衣をかぶって臥していたが、ついに食を断って死んだという。これほど潔白なまっすぐな人でも、飢えと寒さには節操を誤ってしまうのである。この点をよくよく考えると、罪は人々が自分で造るように見えるが、民の上に立つ人の徳から起こることである。
解説

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価原・『価原』漢の高祖と叔孫通の礼の力されども国家長久、永世平安の道、礼楽制度に非ざれば立つこと能わず。されば漢の高祖、身匹夫より興り、秦を亡ぼし、楚を斃し、一時の豪傑を役使すること、嬰児を掌上に弄ぶがごとくなりしかども、礼制立たざりしかば、宴を賜う折節などは、群臣功を争い、剣を抜き柱を撃ち、狼籍いかんともすべからず。叔孫通、これがために弟子と礼を肆わし、ついに朝議を引きしかば、一朝粛然として震恐し、大いに敬い謹しめり。高祖大いに説んで「吾、乃ち今日、皇帝の貴きを知る」とありしなり。高祖は昔の高祖なり。秦楚を挫きし勢いにも及ばぬ所を治むるは、斯文の徳なり。礼教は人を未然に治むる者にして、政刑は罪を已然に戒むる者なり。已に然るを戒むれば、民免れて恥ずることなし。未然を治むれば、恥あり、かつ格し。廉恥礼譲の風興らざれば、いかでか利用厚生の道行われん。ああ孔子の聖をもってだに行われざりしことなれば、とかく人の請け合わぬも尤もなり。
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価原・『価原』生を厚くしてこそ廉恥の風が立つ然れば人主を始めとし、これに羽翼たる輩、自身を責めざることを得んや。この故に政は生を厚うするに在り。生を厚うするがために用を利す。生薄ければ貪らざることを得ず。生厚ければ貪る心薄らぐ。たとえば溺れを救うがごとし。自ら水に溺るる時は、子溺るるといえども顧みず。自ら舟中に安んずれば、猫犬の溺るるも見て打ち過ぐる人はなし。唯だ勢いの足ると足らざるとの間なり。故に民生厚うして、然して後、礼譲廉恥の風唱うべし。民生厚しといえども、礼譲廉恥の風興らざれば、華奢放恣に赴く。華奢放恣なれば用足らず。用足らざれば、また貪る。故に賄賂争奪興るなり。夫れ君は臣の表なり。臣は君の影なり。表正しければ影直し。表傾けば影斜めなり。君にして身正しからざれば、令すといえども行われず。
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価原・『価原』天に事える心と倹勤廉恥の風さりとて人情の赴く所、止むべきにはあらざれども、人は上一人より下億兆に至るまで、天を敬し天に事ゆることを忘るべからず。上の施す所の者は広うして、下の施す所の者は狭し。広狭施し異なりといえども、分に従って天に事うるにおいては異なるなし。天地の大徳を生といえば、生に悖るを不徳とす。故に天地に生生する物を戕賊する事、最も天に畏れざるべけんや。書に「無益をなして有益を害することなかれ」と、聖人も戒め給えり。今の人の弄びは半ば無益にして有益を害す。天地生生の徳に悖る事なり。最も国初に比すれば、田野闢けたるも多かるべけれども、それはまた人も増したり。今の世に居て古を思えば、今節倹を尽くすとも、なお古の侈れるに斉しかるべし。然るをましてや遊惰にして奢侈なるをや。畏れてもなお畏るべきことなり。然れば今日庶人の厚生を謀らんとならば、唯倹勤廉恥の風なるべし。倹勤廉恥の風興らざるは、制度の立たざるよりなり。制度は則ち礼楽の制度なり。制度立たざれば、礼楽も施す所なし。後世の風俗に染み、唯利のみこれに慣いたる人は、礼楽の道を説けば、迂濶なりとて笑うなり。
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価原・『価原』太平の奢りと病根を見る目今は天下太平にして、恩沢天のごとくなれば、なにゆえかかる安楽に耽るぞと思い回らすこともなく、貴きも賤しきも衣服・飲食・居処・交際、ただ日々に華靡に走り、有司も俸禄の外、賄を恃みて事を弁ずるゆえ、田地の租税も重からざること能わず、臣僚の俸粟も減ぜざることを得ず。ゆえに農に余利を見せて人を農に返し、工に力を添えて游手を力に食しめ、財貨他国に出ざる様にと思うなり。もしその病根を見ずして末を追い、令を下して賄賂を禁じ、奢侈をやめんと欲すとも、礼楽講ぜず制度立たず、民用の足らんことを求むとも、綱を結ばずして魚を羨む類なるべし。
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『童子問』卷中問ふ。唐の太宗礼楽に言及するに、房・杜愧づる色有る者は、何ぞや。曰く、是れ王道の難きを知りて、王道の易きを知らざるなり。孟子曰く、明君は民の産を制し、必ず仰いでは以て父母に事ふるに足り、俯しては以て妻子を畜ふに足り、楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしむ。然る後に駆りて善に之かしむ。故に民の之に従ふや軽し、と。蓋し礼は節倹に生じ、楽は有余に成る。先王の世、家給し財阜にして、民安く俗醇なり。晨より夕に至り、春より冬に至るまで、民心和洽すること、猶ほ正月の吉のごとし。被服儀を具へ、觶を挙げて寿を上り、各万歳を祝し、一家熙熙として、頓に窮歳の労を忘る。礼楽安んぞ興らざるを得んや。故に孟子王道を論ずるに、必ず民の産を制するを以て先と為す。房・杜是を之れ求めずして、漫りに望洋の心を生ず。故に愧づる色有り。孟子を知らざるが故なり。
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