家道訓 / 巻之六・用財下
一家人をつかふに、只ことばの情ばかりにて、賞祿を與へざれば、家人の心悅服せず。財祿をあたふれば悅んでよくつとむ。一時に多くあたへんよりは、少しづつ時々あたふれば、おこたらず。多くあたへて久しくあたへざれば、めぐみを忘れておこたる。
新字:一家人をつかふに、只ことばの情ばかりにて、賞禄を与へざれば、家人の心悦服せず。財禄をあたふれば悦んでよくつとむ。一時に多くあたへんよりは、少しづつ時々あたふれば、おこたらず。多くあたへて久しくあたへざれば、めぐみを忘れておこたる。
書き下し
一家人をつかふに、只ことばの情ばかりにて、賞禄を与へざれば、家人の心悦服せず。財禄をあたふれば悦んでよくつとむ。一時に多くあたへんよりは、少しづつ時々あたふれば、おこたらず。多くあたへて久しくあたへざれば、めぐみを忘れておこたる。
現代語訳
使用人を使うのに、ただ言葉の情けばかりで、褒美や禄を与えなければ、使用人は心から従いません。財や禄を与えれば、喜んでよく勤めます。一度に多く与えるよりは、少しずつ時々与えれば怠けません。多く与えて長く与えなければ、恵みを忘れて怠けます。
解説
人を使う者の心得として、言葉の優しさだけでなく、実際の報酬が必要だと説く条です。さらに、一度に多く与えるより少しずつ時々与える方が、人は怠けないと、与え方の工夫まで述べています。まとまった褒美は時が経てば忘れられるが、こまめな報いは日々の励みになるという、人の心理をよく捉えた指摘です。今の職場でいえば、年に一度の大きな評価より、日々の承認や小まめな報酬の方がやる気を保つという考え方に近く、組織運営の知恵として読めます。
この章句が説くこと
人使い報酬恩家人組織
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