家道訓 / 巻之六・用財下
一老人は、早く棺をこしらへ、葬具をそなへ置くべし。富貴の家も、其の時に及んで俄に調へがたき物あり。ことに貧家は早くそなへざれば、時にのぞみ器物を沽却し、錢財を借り求めて用脚とすれども、俄に禮そなはらずして、事とゝのひがたし。かねて早く心にかけて備ふべし。
新字:一老人は、早く棺をこしらへ、葬具をそなへ置くべし。富貴の家も、其の時に及んで俄に調へがたき物あり。ことに貧家は早くそなへざれば、時にのぞみ器物を沽却し、銭財を借り求めて用脚とすれども、俄に礼そなはらずして、事とゝのひがたし。かねて早く心にかけて備ふべし。
書き下し
一老人は、早く棺をこしらへ、葬具をそなへ置くべし。富貴の家も、其の時に及んで俄に調へがたき物あり。ことに貧家は早くそなへざれば、時にのぞみ器物を沽却し、銭財を借り求めて用脚とすれども、俄に礼そなはらずして、事ととのひがたし。かねて早く心にかけて備ふべし。
現代語訳
老人は、早く棺をこしらえ、葬具を備えておきなさい。富貴の家でも、その時になって急には調えがたい物があります。まして貧しい家は早く備えなければ、その時になって道具を売り払い、銭を借りて費用に充てても、急には礼が整わず、事がうまく運びません。前もって早く心にかけて備えなさい。
解説
老いた者は自分の葬儀の備えを早くしておけという、現実的な一条です。儒学では葬礼を重んじ、礼にかなった葬儀を営むことは子孫の務めでした。益軒は、いざという時に慌てて道具を売ったり借金をしたりしては礼も整わないと、備えの大切さを説きます。家道訓を書いた時、益軒自身も八十歳を超えていました。今でいう終活やエンディングノート、葬儀費用の準備に通じる考え方で、残される家族の負担を減らす思いやりでもあります。
この章句が説くこと
葬礼備え老い礼家
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