十八史略 / 『十八史略』南宋・祥興 崖山・崖山の敗戦と陸秀夫
諸舟之檣旗皆仆世傑知事去乃抽精兵入中軍諸軍大潰元師薄宋中軍會日暮風雨昏霧四塞咫尺不辨世傑乃與蘇劉義斷維以十六舟奪港而去陸秀夫走帝舟大且諸舟環結度不得出走乃先驅其妻子入海即負帝同溺焉帝崩後宮諸臣從死者甚衆越七日屍浮海上者十餘萬人
新字:諸舟之檣旗皆仆世傑知事去乃抽精兵入中軍諸軍大潰元師薄宋中軍会日暮風雨昏霧四塞咫尺不弁世傑乃与蘇劉義断維以十六舟奪港而去陸秀夫走帝舟大且諸舟環結度不得出走乃先駆其妻子入海即負帝同溺焉帝崩後宮諸臣従死者甚衆越七日屍浮海上者十余万人
書き下し
諸舟の檣旗皆仆る。世傑、事の去れるを知り、乃ち精兵を抽きて中軍に入る。諸軍大いに潰ゆ。元師、宋の中軍に薄る。会たま日暮れ、風雨昏霧四もに塞がり、咫尺も弁ぜず。世傑乃ち蘇劉義と維を断ち、十六舟を以て港を奪いて去る。陸秀夫、帝舟に走る。舟大にして且つ諸舟環結し、度るに出走するを得ず。乃ち先ず其の妻子を駆りて海に入らしめ、即ち帝を負いて同に溺る。帝崩じ、後宮・諸臣の従い死する者甚だ衆し。越えて七日、屍の海上に浮かぶ者十余万人。
現代語訳
宋の舟々の帆柱の旗が、すべて倒れました。張世傑は、もはや事が去ったと知り、精鋭の兵を引き抜いて中軍に入りました。諸軍は大いに崩れ、元軍は宋の中軍に迫りました。ちょうど日暮れで、風雨と暗い霧が四方を塞ぎ、目の前の一尺先も見分けがつきませんでした。世傑は蘇劉義とともに舟の綱を断ち、十六隻で港を奪って脱出しました。陸秀夫は帝の舟へ向かいました。舟は大きい上に、他の舟が環のように連なって、脱出できないと見極めました。そこでまず自分の妻子を海へ入らせ、そして帝を背負って、ともに海に身を投じました。帝は崩じ、後宮や臣下で後を追って死んだ者は非常に多くいました。七日後、海上に浮かんだ遺体は十万余りにのぼりました。
解説

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