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神皇正統記 / 巻六 第九十五代 後醍醐天皇

よりて比叡山東坂本に行幸して、日吉社にぞまし〳〵ける。内裏もすなはち焼ぬ。累代の重宝もおほくうせにけり。昔よりためしなきほどの乱逆なり。かゝりしあひだに、陸奥守鎮守府の将軍顕家卿この乱をきゝて、親王をさきに立奉りて、陸奥・出羽の軍兵を率してせめのぼる。同十三日近江国につきてことの由を奏聞す。十四日に江をわたりて坂本にまゐりしかば、官軍大に力をえて、山門の衆徒までも万歳をよばひき。同十六日より合戦はじまりて三十日つひに朝敵を追落す。やがて其夜還幸し給。高氏等猶摂津国にありときこえしかば、かさねて諸将をつかはす。二月十三日又これをたひらげつ。朝敵は船にのりて西国へなむおちにけり。諸将および官軍はかつ〴〵かへりまゐりしを、東国の事おぼつかなしとて、親王も又かへらせ給べし、顕家卿も任所にかへるべきよしおほせらる。義貞は筑紫へつかはさる。かくて親王元服し給。直に三品に叙し、陸奥太守に任じまします。彼国の太守は始たることなれど、たよりありとてぞ任じ給。

書き下し

よりて比叡山東坂本に行幸して、日吉社にぞましましける。内裏もすなはち焼ぬ。累代の重宝もおほくうせにけり。昔よりためしなきほどの乱逆なり。かゝりしあひだに、陸奥守鎮守府の将軍顕家卿この乱をきゝて、親王をさきに立奉りて、陸奥・出羽の軍兵を率してせめのぼる。同十三日近江国につきてことの由を奏聞す。十四日に江をわたりて坂本にまゐりしかば、官軍大に力をえて、山門の衆徒までも万歳をよばひき。同十六日より合戦はじまりて三十日つひに朝敵を追落す。やがて其夜還幸し給。高氏等猶摂津国にありときこえしかば、かさねて諸将をつかはす。二月十三日又これをたひらげつ。朝敵は船にのりて西国へなむおちにけり。諸将および官軍はかつがつかへりまゐりしを、東国の事おぼつかなしとて、親王も又かへらせ給べし、顕家卿も任所にかへるべきよしおほせらる。義貞は筑紫へつかはさる。かくて親王元服し給。直に三品に叙し、陸奥太守に任じまします。彼国の太守は始たることなれど、たよりありとてぞ任じ給。

現代語訳

そこで(天皇は)比叡山の東坂本に行幸されて、日吉社におられた。内裏もすぐに焼けた。累代の重宝も多く失われた。昔から例のないほどの乱逆である。そうしているあいだに、陸奥守・鎮守府将軍顕家卿はこの乱を聞いて、親王を先に立て申して、陸奥・出羽の軍兵を率いて攻め上った。同月十三日に近江国に着いてその由を奏聞した。十四日に湖を渡って坂本に参ったので、官軍は大いに力を得て、山門の衆徒までも万歳を叫んだ。同十六日から合戦が始まり、三十日についに朝敵を追い落とした。すぐにその夜還幸なさった。高氏らはなお摂津国にいると聞こえたので、重ねて諸将を遣わした。二月十三日にまたこれを平らげた。朝敵は船に乗って西国へ落ちていった。諸将と官軍はそれぞれ帰ってきたが、東国のことが気がかりだとして、親王もまたお帰りになるべきこと、顕家卿も任地に帰るべきことを仰せられた。義貞は筑紫へ遣わされた。こうして親王は元服なさった。ただちに三品に叙され、陸奥太守に任じられた。陸奥の太守は初めてのことであるが、便宜があるとして任じられた。

解説

足利軍の入京と、奥州からの北畠顕家の救援を記す段である。天皇は比叡山の東坂本に逃れ、内裏は焼け、代々の宝物の多くが失われた。そこへ顕家が義良親王を奉じて陸奥・出羽の軍勢を率い、遠路を上ってきた。近江に着き、湖を渡って坂本に入ると、官軍は勢いを取り戻し、延暦寺の衆徒まで万歳を唱えた。そして足利軍を京から追い落とし、摂津でも破って西国へ敗走させた。顕家は親房の子である。しかし親房は、息子の働きを誇る言葉を一つも加えず、日付と行軍の順だけを記す。わが子の手柄であればこそ筆を抑えたのであろう。戦のあと、東国の守りのために親王と顕家は再び奥州へ返され、義良親王は元服して陸奥太守となる。陸奥に太守を置くのは初めての例だと、制度上の新しさにも触れている。

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