神皇正統記 / 巻六 第九十五代 後醍醐天皇
昔許由と云ふ人は帝堯の国を伝へんとありしをきゝて、潁川に耳をあらひき。巣父はこれをきゝて此水をだにきたながりてわたらず。其人の五臓六腑のかはるにはあらじ、よくおもひならはせるゆゑにこそあらめ。猶行すゑの人の心おもひやるこそあさましけれ。大方おのれ一身は恩にほこるとも、万人のうらみをのこすべきことをばなどかかへりみざらん。君は万姓の主にてましませば、かぎりある地をもて、かぎりなき人にわかたせ給はんことは、おしてもはかりたてまつるべし。もし一国づゝをのぞまば、六十六人にてふさがりなむ。一郡づゝといふとも、日本は五百九十四郡こそあれ、五百九十四人はよろこぶとも千万の人は不悦。況日本の半を心ざし、皆ながらのぞまば、帝王はいづくをしらせ給べきにか。かゝる心のきざしてことばにもいでおもてには恥る色のなきを謀反のはじめと云べき也。昔の将門は比叡山にのぼりて、大内を遠見して謀反をおもひくはたてけるも、かゝるたぐひにや侍けん。
書き下し
昔許由と云ふ人は帝堯の国を伝へんとありしをきゝて、潁川に耳をあらひき。巣父はこれをきゝて此水をだにきたながりてわたらず。其人の五臓六腑のかはるにはあらじ、よくおもひならはせるゆゑにこそあらめ。猶行すゑの人の心おもひやるこそあさましけれ。大方おのれ一身は恩にほこるとも、万人のうらみをのこすべきことをばなどかかへりみざらん。君は万姓の主にてましませば、かぎりある地をもて、かぎりなき人にわかたせ給はんことは、おしてもはかりたてまつるべし。もし一国づゝをのぞまば、六十六人にてふさがりなむ。一郡づゝといふとも、日本は五百九十四郡こそあれ、五百九十四人はよろこぶとも千万の人は不悦。況日本の半を心ざし、皆ながらのぞまば、帝王はいづくをしらせ給べきにか。かゝる心のきざしてことばにもいでおもてには恥る色のなきを謀反のはじめと云べき也。昔の将門は比叡山にのぼりて、大内を遠見して謀反をおもひくはたてけるも、かゝるたぐひにや侍けん。
現代語訳
昔、許由という人は、帝堯が国を譲ろうとしていると聞いて、潁川で耳を洗った。巣父はこれを聞いて、その水さえ汚らわしいとして渡らなかった。その人の五臓六腑が(他の人と)違っているわけではあるまい。よく心に思い習わしていたからこそであろう。それにつけても、行く末の人の心を思いやるのは嘆かわしい。おおよそ自分一身は恩に誇っても、万人の恨みを残すようなことを、どうして顧みないのか。君は万民の主であられるから、限りある土地をもって限りない人々に分け与えられることを、推し量り申しあげるべきである。もし一国ずつを望めば、六十六人でふさがってしまうだろう。一郡ずつといっても、日本は五百九十四郡であるから、五百九十四人は喜んでも、千万の人は喜ばない。まして日本の半分を志し、全部を望むならば、帝王はどこをお治めになればよいのか。こうした心が兆して言葉にも出し、顔には恥じる色もないのを、謀反の始めと言うべきである。昔の将門は比叡山に登って、大内裏を遠く見て謀反を思い企てたというが、これもこうした類であったろうか。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇闕所をもておこなはるゝにたらざれば、国郡につきたりし地、もしは諸家相伝の領までもきほひ申けりとぞ。をさまらんとしていよいよみだれ、やすからんとしてますますあやふくなりにける、末世のいたりこそまことにかなしく侍れ。凡王土にはらまれて、忠をいたし命をすつるは人臣の道なり。必これを身の高名とおもふべきにあらず。しかれども後の人をはげまし、其あとをあはれみて賞せらるゝは、君の御政なり。下としてきほひあらそひ申べきにあらぬにや。ましてさせる功なくして過分の望をいたすこと、みづからあやぶむるはしなれど、前車の轍をみることはまことに有がたき習なりけんかし。中古までも人のさのみ豪強なるをばいましめられき。豪強になりぬればかならずおごる心あり。はたして身をほろぼし、家をうしなふためしあれば、いましめらるゝも理なり。鳥羽院の御代にや、諸国の武士の源平の家に属することをとゞむべしと云ふ制符たびたびありき。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇其下つかたは或は三世につたへ、孫子につたへ、身にとゞまるもあり。天下を治と云ことは、国郡を専にせずして、そのことゝなく不輸の地をたてらるゝことのなかりしにこそ。国に守あり、郡に領あり、一国のうち皆国命のしたにてをさめしゆゑに法にそむく民なし。かくて国司の行迹をかむがへて、賞罰ありしかば、天下のこと掌をさしておこなひやすかりき。其中に諸院・諸宮に御封あり。親王・大臣も又かくのごとし。其外官田・職田とてあるも、みな官符を給て、其所の正税をうくるばかりにて、国はみな国司の吏務なるべし。但大功の者ぞ今の庄園などとて伝がごとく、国にいろはれずしてつたへける。中古となりて庄園おほくたてられ、不輸の所いできしより乱国とはなれり。上古にはこの法よくかたかりければにや、推古天皇の御時、蘇我大臣「わが封戸をわけて寺によせん。」と奏せしをつひにゆるされず。光仁天皇は永神社・仏寺によせられし地をも「永の字は一代にかぎるべし。」とあり。
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