神皇正統記 / 巻五 第八十二代 後鳥羽院
其比ほひは昼の御坐の御剣を宝剣に擬せられたりしが、神宮の御告にて神剣をたてまつらせ給しによりて近比までの御まぼりなりき。 三種の神器の事は所々に申侍しかども、先内侍所は神鏡也。八咫の鏡と申。正体は皇太神宮にいはひ奉る。内侍所にましますは崇神天皇の御代に鋳かへられたりし御鏡なり。村上の御時、天徳年中に火事にあひ給。それまでは円規かけましまさず。後朱雀の御時、長久年中にかさねて火ありしに、灰燼の中より光をさゝせ給けるを、をさめてあがめ奉られける。されど正体はつゝがなくて万代の宗廟にまします。宝剣も正体は天の叢雲の剣と申は、熱田の神宮にいはひ奉る。西海にしづみしは崇神の御代におなじくつくりかへられし剣也。うせぬることは末世のしるしにやとうらめしけれど、熱田の神あらたなる御こと也。昔新羅国より道行と云法師、来てぬすみたてまつりしかど、神変をあらはして我国をいでたまはず。彼両種は正体昔にかはりましまさず。
書き下し
其比ほひは昼の御坐の御剣を宝剣に擬せられたりしが、神宮の御告にて神剣をたてまつらせ給しによりて近比までの御まぼりなりき。 三種の神器の事は所々に申侍しかども、先内侍所は神鏡也。八咫の鏡と申。正体は皇太神宮にいはひ奉る。内侍所にましますは崇神天皇の御代に鋳かへられたりし御鏡なり。村上の御時、天徳年中に火事にあひ給。それまでは円規かけましまさず。後朱雀の御時、長久年中にかさねて火ありしに、灰燼の中より光をさゝせ給けるを、をさめてあがめ奉られける。されど正体はつゝがなくて万代の宗廟にまします。宝剣も正体は天の叢雲の剣と申は、熱田の神宮にいはひ奉る。西海にしづみしは崇神の御代におなじくつくりかへられし剣也。うせぬることは末世のしるしにやとうらめしけれど、熱田の神あらたなる御こと也。昔新羅国より道行と云法師、来てぬすみたてまつりしかど、神変をあらはして我国をいでたまはず。彼両種は正体昔にかはりましまさず。
現代語訳
そのころは、昼の御座の御剣を宝剣になぞらえておられたが、伊勢の神宮のお告げによって神剣を奉られたので、それが近ごろまでのお守りであった。 三種の神器のことはあちこちで申したけれども、まず内侍所は神鏡である。八咫の鏡と申す。本体は皇太神宮にお祀り申している。内侍所におられるのは、崇神天皇の御代に鋳直された御鏡である。村上天皇の御時、天徳年間に火災に遭われた。それまでは円い形が欠けることはなかった。後朱雀天皇の御時、長久年間に重ねて火災があったが、灰の中から光を放たれたのを、納めて崇め申された。けれども本体はつつがなく、万代の宗廟としておられる。宝剣も本体は天の叢雲の剣と申し、熱田の神宮にお祀り申している。西海に沈んだのは、崇神天皇の御代に同じく造り替えられた剣である。失われたことは末世のしるしかと恨めしいけれども、熱田の神はあらたかでいらっしゃる。昔、新羅国から道行という法師が来て盗み申したけれども、神の不思議な力を現して、わが国をお出にならなかった。あの二種は、本体は昔と変わらずにおられる。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻五 第八十二代 後鳥羽院代々の天皇のとほき御まぼりとして国土のあまねき光となり給へり。うせにし宝剣はもとより如在のことゝぞ申侍べき。神璽は八坂瓊の曲玉と申す。神代より今にかはらず、代々の御身をはなれぬ御まぼりなれば、海中よりうかび出給へるもことわり也。三種の御ことはよく心え奉るべきなり。なべて物しらぬたぐひは、上古の神鏡は天徳・長久の災にあひ、草薙の宝剣は海にしづみにけりと申伝ること侍にや。返々ひがこと也。此国は三種の正体をもちて眼目とし、福田とするなれば、日月の天をめぐらん程は一もかけ給まじき也。天照太神の勅に「宝祚のさかえまさんことあめつちときはまりなかるべし。」と侍れば、いかでか疑奉るべき。今よりゆくさきもいとたのもしくこそおもひ給れ。 平氏いまだ西海にありしほど、源義仲と云物、まづ京都に入、兵威をもて世の中のことをおさへおこなひける。征夷将軍に任ず。此官は昔坂上の田村丸までは東夷征伐のために任ぜられき。
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『神皇正統記』巻一 三種の神器三種の神器世に伝こと、日月星の天にあるにおなじ。鏡は日の体なり。玉は月の精也。剣は星の気也。ふかき習あるべきにや。抑、彼の宝鏡はさきにしるし侍石凝姥の命の作給へりし八咫の御鏡、玉は八坂瓊の曲玉、々屋の命作給へるなり。剣はすさのをの命のえ給て、太神にたてまつられし叢雲の剣也。此三種につきたる神勅は正く国をたもちますべき道なるべし。鏡は一物をたくはへず。私の心なくして、万象をてらすに是非善悪のすがたあらはれずと云ことなし。其すがたにしたがひて感応するを徳とす。これ正直の本源なり。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源也。剣は剛利決断を徳とす。智恵の本源也。此三徳を翕受ずしては、天下のをさまらんことまことにかたかるべし。
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『神皇正統記』巻二 第十代 崇神天皇第十代、崇神天皇は開化第二の子。御母伊香色謎姫、太綜麻杵の命の女也。甲申の歳即位。大和の磯城の瑞籬の宮にまします。此御時神代をさる事、世は十つぎ、年は六百余になりぬ。やうやく神威をおそれ給て、即位六年己丑年神代の鏡造の石凝姥の神のはつこをめして鏡をうつし鋳せしめ、天目一箇の神のはつこをして剣をつくらしむ。大和宇陀の郡にして、此両種をうつしあらためられて、護身の璽として同殿に安置す。神代よりの宝鏡および霊剣をば皇女豊鋤入姫の命につけて、大和の笠縫の邑と云所に神籬をたてゝあがめ奉らる。これより神宮・皇居各別になれりき。其後太神のをしへありて、豊鋤入姫の命、神体を頂戴て所々をめぐり給けり。十年の秋、大彦命を北陸に遣し、武渟川別の命を東海に、吉備津彦命を西道に、丹波の道主の命を丹波に遣す。ともに印綬を給て将軍とす。天皇の叔父武埴安彦の命、朝廷をかたぶけんとはかりければ、将軍等を止て、まづ追討しつ。冬十月に将軍発路す。十一年の夏、四道の将軍戎夷を平ぬるよし復命す。六十五年秋任那の国、使をさして御つきをたてまつる。天皇天下を治給こと六十八年。百二十歳おましましき。
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『神皇正統記』巻一 地神第三代 瓊々杵尊かくてもろもろの悪神をばつみなへ、まつろへるをばほめて、天上にのぼりて返こと申給。大物主の神事代主の神、相共に八十万の神をひきゐて、天にまうづ。太神ことにほめ給き。「宜八十万の神を領て皇孫をまぼりまつれ。」とて、先かへしくだし給けり。其後、天照太神、高皇産霊尊相計て皇孫をくだし給。八百万の神、勅を承て御供につかうまつる。諸神の上首三十二神あり。其中に五部神と云は、天児屋命天太玉命天鈿女命石凝姥命玉屋命也。此中にも中臣・忌部の二神はむねと神勅をうけて皇孫をたすけまぼり給。又三種の神宝をさづけまします。先あらかじめ、皇孫に勅して曰、「葦原千五百秋之瑞穂国是吾子孫可主之地也なり。宜爾皇孫就而治焉。行給矣。宝祚之隆当与天壌無窮者矣。」又太神御手に宝鏡をもち給、皇孫にさづけ祝て、「吾児視此宝鏡当猶視吾。可与同床共殿以為斎鏡。」との給。八坂瓊の曲玉・天の叢雲の剣をくはへて三種とす。又「此鏡の如に分明なるをもて、天下に照臨給へ。八坂瓊のひろがれるが如く曲妙をもて天下をしろしめせ。
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『神皇正統記』巻一 地神第三代 瓊々杵尊神剣をひきさげては不順るものをたひらげ給。」と勅ましましけるとぞ。 此国の神霊として、皇統一種たゞしくまします事、まことにこれらの勅にみえたり。
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『神皇正統記』巻一 天神七代又垂仁天皇の御宇に、大和姫の皇女、天照太神の御をしへのまゝに国々をめぐり、伊勢国に宮所をもとめ給し時、大田の命と云神まゐりあひて、五十鈴の河上に霊物をまぼりおける所をしめし申しに、かの天の逆矛・五十鈴・天宮の図形ありき。大和姫の命よろこびて、其所をさだめて、神宮をたてらる。霊物は五十鈴の宮の酒殿にをさめられきとも、又、滝祭の神と申は龍神なり、その神あづかりて地中にをさめたりとも云ふ。一には大和の龍田の神はこの滝祭と同体にます、此神のあづかり給へる也、よりて天柱国柱と云ふ御名ありとも云ふ。昔磤馭盧嶋に持くだり給しことはあきらか也。世に伝と云事はおぼつかなし。天孫のしたがへ給ならば、神代より三種の神器のごとく伝へ給べし。さしはなれて、五十鈴の河上に有けんもおぼつかなし。但天孫も玉矛者みづからしたがへ給と云事見たり。しかれど矛も大汝の神のたてまつらるゝ、国をたひらげし矛もあれば、いづれと云事をしりがたし。
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