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中朝事実 / 神器章・神器を別殿に移した由来と三器

一書曰。神武天皇定都於大和國橿原時。以天照太神御靈八咫鏡及草薙劒安置大殿。同床而坐。如往古神勅。皇居神宮無差別。宮中立庫藏。此云齋藏。宮物神物無分。 一書曰。崇神帝漸畏神威。勅鏡作石凝姥神之孫改鑄鏡。天目一箇神之孫改造劒。移此二種寶於大和宇陀郡。以爲護身而置同殿。其自上古所傳神鏡及靈劒。卽附皇女豐鋤入姬。立神籬于大和笠縫邑。以祭之。由玆神宮皇居有差別。 一書曰。至於纒向日代朝。令日本武尊征討東夷。仍枉道詣伊勢神宮辭見。倭姬命以草薙劒授日本武命。而敎曰。愼莫怠也。日本武命既平東虜。還至尾張國。納宮簀媛。淹留踰月。解劒置宅。徒行登膽吹山。中毒而薨。其草薙劒。今在尾張國熱田宮。〔神書云。草薙劒。在尾張國吾湯市村。卽熱田祝部所掌之神是也。吾湯市村者。今愛智郡是也。〕 謹按。是置神器於別所之始也。自天孫至今任神勅。同床共殿。天下之承平久而萬機之政令繁。神人之間數則瀆。帝敬而遠之。故模於靈樣。安置諸溫明殿。奉崇神器於別處。亦時宜之節。而神人相去之機也。蓋帝改模於鏡劒而留璽。神以劒與日本武尊而留鏡。然乃寶鏡者神之全體也。神璽者人君之所體。寶劒者人臣之所司。三般之神器。其德明哉。凡神者鏡也。〔倭訓以神訓加美。爲加加美之中略。愚按。鏡音居慶反。唐音加武也。武與美叶音。故神其訓鏡也。〕故天孫後稱天照太神者皆寶鏡也。是因吾兒視此寶鏡。當猶視吾之神勅也。然乃人君日彊而不息。君子之道長。小人之道消。是善敬神常視神之寶也。而體寬仁之量。親親賢賢。則靈璽之德日以厚矣。人臣執四海之柄。善通人情。明淹滯。立禮正政。則寶劒之靈威無所不中。而後君臣相因。天下之化行。而三器之用不虛。〔以上。置神器於別殿。〕 以上論寶器之實。謹按。有事則有物。物乃器也。以利其用。以通其誠。故有物必有則。衣食之爲物。家宅用器之爲制。金玉之財。文武之器。各有其禮。有器而其用不通。其制不正。君子不與焉。況寶器乎。夫一人之私器。一事之利物。非寶。曰神曰寶。則天下之大器也。萬民之利用也。神聖之靈器也。古今之法器也。而後天子可以敬。天下可由治也。三器之神也寶也。可併案矣。蓋上古賀其人稱其德示其威。必以玉劒鏡。仲哀帝征西之時。筑紫伊覩縣主五十迹手。掛賢木於三器。參迎于穴門引島。因奏言。天皇如八尺瓊之勾以曲妙御宇。且如白銅鏡以分明看行山川海原。乃提是十握劒平天下矣。又日本武尊征東懸大鏡於王船。是乃往古之遺則也。〔景行十二年征西。神夏磯媛賢木挂三器以迎啓。亦然。〕

新字:一書曰。神武天皇定都於大和国橿原時。以天照太神御霊八咫鏡及草薙劒安置大殿。同床而坐。如往古神勅。皇居神宮無差別。宮中立庫蔵。此云斎蔵。宮物神物無分。 一書曰。崇神帝漸畏神威。勅鏡作石凝姥神之孫改鋳鏡。天目一箇神之孫改造劒。移此二種宝於大和宇陀郡。以為護身而置同殿。其自上古所伝神鏡及霊劒。即附皇女豊鋤入姫。立神籬于大和笠縫邑。以祭之。由玆神宮皇居有差別。 一書曰。至於纒向日代朝。令日本武尊征討東夷。仍枉道詣伊勢神宮辞見。倭姫命以草薙劒授日本武命。而教曰。慎莫怠也。日本武命既平東虜。還至尾張国。納宮簀媛。淹留踰月。解劒置宅。徒行登胆吹山。中毒而薨。其草薙劒。今在尾張国熱田宮。〔神書云。草薙劒。在尾張国吾湯市村。即熱田祝部所掌之神是也。吾湯市村者。今愛智郡是也。〕 謹按。是置神器於別所之始也。自天孫至今任神勅。同床共殿。天下之承平久而万機之政令繁。神人之間数則瀆。帝敬而遠之。故模於霊様。安置諸温明殿。奉崇神器於別処。亦時宜之節。而神人相去之機也。蓋帝改模於鏡劒而留璽。神以劒与日本武尊而留鏡。然乃宝鏡者神之全体也。神璽者人君之所体。宝劒者人臣之所司。三般之神器。其徳明哉。凡神者鏡也。〔倭訓以神訓加美。為加加美之中略。愚按。鏡音居慶反。唐音加武也。武与美叶音。故神其訓鏡也。〕故天孫後称天照太神者皆宝鏡也。是因吾児視此宝鏡。当猶視吾之神勅也。然乃人君日彊而不息。君子之道長。小人之道消。是善敬神常視神之宝也。而体寛仁之量。親親賢賢。則霊璽之徳日以厚矣。人臣執四海之柄。善通人情。明淹滞。立礼正政。則宝劒之霊威無所不中。而後君臣相因。天下之化行。而三器之用不虚。〔以上。置神器於別殿。〕 以上論宝器之実。謹按。有事則有物。物乃器也。以利其用。以通其誠。故有物必有則。衣食之為物。家宅用器之為制。金玉之財。文武之器。各有其礼。有器而其用不通。其制不正。君子不与焉。況宝器乎。夫一人之私器。一事之利物。非宝。曰神曰宝。則天下之大器也。万民之利用也。神聖之霊器也。古今之法器也。而後天子可以敬。天下可由治也。三器之神也宝也。可併案矣。蓋上古賀其人称其徳示其威。必以玉劒鏡。仲哀帝征西之時。筑紫伊睹県主五十迹手。掛賢木於三器。参迎于穴門引島。因奏言。天皇如八尺瓊之勾以曲妙御宇。且如白銅鏡以分明看行山川海原。乃提是十握劒平天下矣。又日本武尊征東懸大鏡於王船。是乃往古之遺則也。〔景行十二年征西。神夏磯媛賢木挂三器以迎啓。亦然。〕

書き下し

一書に曰く、神武天皇、都を大和国橿原に定むる時、天照太神の御霊たる八咫鏡と草薙剣とを以て大殿に安置し、床を同じくして坐す。往古の神勅の如し。皇居と神宮とに差別無し。宮中に庫蔵を立つ。此れを斎蔵と云ふ。宮物と神物と分かつこと無し。 一書に曰く、崇神帝、漸く神威を畏れ、鏡作の石凝姥神の孫に勅して鏡を改め鋳しめ、天目一箇神の孫に剣を改め造らしむ。此の二種の宝を大和の宇陀郡に移し、以て護身と為して同殿に置く。其の上古より伝ふる所の神鏡と霊剣とは、即ち皇女豊鋤入姫に附け、神籬を大和の笠縫邑に立てて以て之を祭らしむ。茲に由りて神宮と皇居とに差別有り。 一書に曰く、纒向日代の朝に至り、日本武尊をして東夷を征討せしむ。仍りて道を枉げて伊勢神宮に詣でて辞見す。倭姫命、草薙剣を以て日本武命に授けて教へて曰く、慎みて怠ること莫かれ、と。日本武命、既に東虜を平らげ、還りて尾張国に至り、宮簀媛を納れ、淹留すること月を踰ゆ。剣を解きて宅に置き、徒行して胆吹山に登り、毒に中りて薨ず。其の草薙剣は、今尾張国熱田宮に在り。〔神書に云ふ、草薙剣は尾張国吾湯市村に在り、即ち熱田の祝部の掌る所の神是れなり。吾湯市村は、今の愛智郡是れなり、と。〕 謹んで按ずるに、是れ神器を別所に置くの始めなり。天孫より今に至るまで神勅に任せ、床を同じくし殿を共にす。天下の承平久しくして万機の政令繁く、神と人との間、数なれば則ち涜る。帝、敬して之を遠ざく。故に霊の様に模し、諸を温明殿に安置し、神器を別処に奉り崇む。亦時宜の節にして、神人相去るの機なり。蓋し帝は鏡と剣とに模を改めて璽を留め、神は剣を以て日本武尊に与へて鏡を留む。然れば乃ち宝鏡は神の全体なり。神璽は人君の体する所、宝剣は人臣の司る所なり。三般の神器、其の徳明らかなるかな。凡そ神は鏡なり。〔倭訓に神を訓じて加美と為すは、加加美の中略なり。愚按ずるに、鏡の音は居慶の反、唐音は加武なり。武と美とは叶音なり。故に神は其の訓鏡なり。〕故に天孫の後、天照太神と称する者は皆宝鏡なり。是れ吾が児此の宝鏡を視ること、当に猶ほ吾を視るがごとくすべしとの神勅に因る。然れば乃ち人君、日々に彊めて息まざれば、君子の道長じ、小人の道消ゆ。是れ善く神を敬ひ常に神の宝を視るなり。而して寛仁の量を体し、親を親しみ賢を賢とすれば、則ち霊璽の徳日に以て厚し。人臣、四海の柄を執り、善く人情に通じ、淹滞を明らかにし、礼を立て政を正せば、則ち宝剣の霊威、中らざる所無し。而る後、君臣相因りて天下の化行はれ、三器の用、虚しからず。〔以上、神器を別殿に置く。〕 以上、宝器の実を論ず。謹んで按ずるに、事有れば則ち物有り。物は乃ち器なり。以て其の用を利し、以て其の誠を通ず。故に物有れば必ず則有り。衣食の物たる、家宅用器の制たる、金玉の財、文武の器、各々其の礼有り。器有りて其の用通ぜず、其の制正しからざれば、君子与らず。況んや宝器をや。夫れ一人の私器、一事の利物は、宝に非ず。神と曰ひ宝と曰ふは、則ち天下の大器なり、万民の利用なり、神聖の霊器なり、古今の法器なり。而る後、天子は以て敬すべく、天下は由りて治むべきなり。三器の神なる宝なる、併せ案ずべし。蓋し上古、其の人を賀し、其の徳を称し、其の威を示すに、必ず玉・剣・鏡を以てす。仲哀帝征西の時、筑紫の伊覩の県主五十迹手、賢木を三器に掛け、穴門の引島に参り迎ふ。因りて奏して言く、天皇、八尺瓊の勾の如く、以て曲妙に御宇し、且つ白銅鏡の如く、以て分明に山川海原を看行はし、乃ち是の十握剣を提げて天下を平らげたまへ、と。又日本武尊東を征するとき、大鏡を王船に懸く。是れ乃ち往古の遺則なり。〔景行十二年の征西に、神夏磯媛、賢木に三器を挂けて以て迎へ啓す。亦然り。〕

現代語訳

ある書にいう。神武天皇が都を大和国の橿原に定めたとき、天照太神の御霊である八咫鏡と草薙剣を大殿に安置し、同じ床に座った。昔の神勅のとおりである。皇居と神宮に区別はなかった。宮中に倉を建てた。これを斎蔵という。宮の物と神の物を分けることはなかった。 ある書にいう。崇神天皇は次第に神の威力を畏れるようになり、鏡作部の祖である石凝姥神の孫に命じて鏡を改めて鋳させ、天目一箇神の孫に剣を改めて造らせた。この二種の宝を大和の宇陀郡に移して護身とし、同じ殿に置いた。上古から伝わる元の神鏡と霊剣は、皇女の豊鋤入姫に付けて、神籬を大和の笠縫邑に立ててこれを祭らせた。こうして神宮と皇居に区別が生じた。 ある書にいう。纒向日代の朝(景行天皇の代)になって、日本武尊に東の夷を討たせた。そこで道をまげて伊勢神宮に参り、別れの挨拶をした。倭姫命は草薙剣を日本武命に授け、慎んで怠ってはならないと教えた。日本武命は東の賊を平らげ、戻って尾張国に至り、宮簀媛を迎え入れ、一月以上も滞在した。剣を解いて宮簀媛の家に置き、徒歩で伊吹山に登り、毒に当たって亡くなった。その草薙剣は今、尾張国の熱田宮にある。(神書にいう。草薙剣は尾張国の吾湯市村にあり、熱田の祝部が司る神がそれである。吾湯市村は今の愛智郡である。) 素行はこう考える。これが神器を別の場所に置いた始まりである。天孫の時から今に至るまで神勅に従い、床も殿も共にしてきた。天下の太平が久しく続いて政務の命令が多くなると、神と人との間が近すぎて神を汚すことになった。そこで帝は敬って神器を遠ざけた。霊鏡の様に似せて作り、これを温明殿に安置し、本来の神器は別の所にお祀りして崇めた。これもまた時宜にかなった節度であり、神と人とが距離を取る転機であった。思うに、帝は鏡と剣は模造に改めて璽を手元に留め、神は剣を日本武尊に与えて鏡を留めた。そうであれば、宝鏡は神の全体である。神璽は人君が身に体するもの、宝剣は人臣が司るものである。三種の神器の徳は明らかである。そもそも神とは鏡である。(和訓で神を「かみ」と読むのは「かがみ」の中略である。私が考えるに、鏡の音は居慶の反切で、唐音は「かむ」である。「む」と「み」は音が通じる。だから神の訓は鏡である。)だから天孫の後に天照太神と称するものは皆この宝鏡である。これは、わが子がこの宝鏡を見ることは、私を見るのと同じであれ、という神勅による。そうであれば人君が日々励んで止まなければ、君子の道は伸び、小人の道は消える。これが神をよく敬い、常に神の宝を見るということである。そのうえで寛大で仁ある器量を身に備え、親族を親しみ賢者を賢者として遇すれば、霊璽の徳は日ごとに厚くなる。臣下が天下の権柄を執り、人情によく通じ、滞った事を明らかにし、礼を立てて政治を正せば、宝剣の霊威は当たらないところがない。そうして君臣が互いに支え合って天下の教化が行われ、三つの器の働きは空しくならない。(以上、神器を別殿に置く。) 以上、宝器の実質を論じた。素行はこう考える。事があれば物があり、物は器である。器はその用を利し、その誠を通じさせる。だから物があれば必ず則(決まり)がある。衣食の物、家屋や用具の制、金玉の財、文武の器にも、それぞれ礼がある。器があってもその用が通じず、その制が正しくなければ、君子はこれに関わらない。まして宝器はなおさらである。一人の私物、一つの事の便利な物は宝ではない。神といい宝というのは、天下の大器であり、万民が利用するものであり、神聖な霊器であり、古今の規範となる器である。そうして初めて天子は敬われ、天下は治まる。三つの器が神であり宝であることを併せて考えるべきである。思うに、上古には人を祝い、徳をたたえ、威を示すのに、必ず玉・剣・鏡を用いた。仲哀天皇が西を征した時、筑紫の伊覩の県主の五十迹手は、賢木に三器を掛けて穴門の引島に参り迎えた。そして申し上げた。天皇が八尺瓊の勾玉のように曲がりなく美しく天下を治め、白銅鏡のように明らかに山川海原をご覧になり、この十握剣を提げて天下を平らげてください、と。また日本武尊が東を征した時、大きな鏡を王船に懸けた。これが昔の遺された規範である。(景行十二年の西征の際に、神夏磯媛が賢木に三器を掛けて迎え申し上げたのも同じである。)

解説

神武天皇の代は鏡と剣を同じ殿に置いたが、崇神天皇は神威を畏れて別の場所に移した、という『日本書紀』などの異伝を引き、素行は神器を別殿に置く由来と、鏡・璽・剣の意味を論じます。素行の主張では、事物には必ず守るべき制と礼があり、神器は天下の大器です。江戸前期の学者は制度や礼の由来を中国の書で語りがちで、素行は自国の史料で語ろうとしました。現代でも、組織の理念を象徴するものや権限をどこに置き、どんな節度で扱うかは、信頼を左右します。
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この章句が説くこと

神器八咫鏡草薙剣別殿崇神天皇日本武尊

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