導師導古典を学びたいすべての人に

神皇正統記 / 巻四 第五十四代 仁明天皇

第五十四代、第三十世、仁明天皇。諱は正良、深草の帝とも申。嵯峨第二の子。御母皇太后橘の嘉智子、贈太政大臣清友女也。癸丑年即位、甲寅に改元。此天皇は西院の御門の猶子の儀まし〳〵ければ、朝覲も両皇にせさせ給。或時は両皇同所にして覲礼もありけりとぞ。我国のさかりなりしことはこの比ほひにやありけん。遣唐使もつねにあり。帰朝の後、建礼門の前に、彼国のたから物の市をたてゝ、群臣にたまはすることも有き。律令は文武の御代よりさだめられしかど、此御代にぞえらびとゝのへられにける。天下を治給こと十七年。四十一歳おまし〳〵き。

書き下し

第五十四代、第三十世、仁明天皇。諱は正良、深草の帝とも申。嵯峨第二の子。御母皇太后橘の嘉智子、贈太政大臣清友女也。癸丑年即位、甲寅に改元。此天皇は西院の御門の猶子の儀ましましければ、朝覲も両皇にせさせ給。或時は両皇同所にして覲礼もありけりとぞ。我国のさかりなりしことはこの比ほひにやありけん。遣唐使もつねにあり。帰朝の後、建礼門の前に、彼国のたから物の市をたてゝ、群臣にたまはすることも有き。律令は文武の御代よりさだめられしかど、此御代にぞえらびとゝのへられにける。天下を治給こと十七年。四十一歳おましましき。

現代語訳

第五十四代、第三十世、仁明天皇。諱は正良、深草の帝とも申し上げる。嵯峨天皇の第二皇子である。母は皇太后橘嘉智子で、贈太政大臣橘清友の娘である。癸丑の年(八三三年)に即位し、甲寅の年に改元した。この天皇は西院の帝(淳和)の猶子(養子に準じる子)というかたちでおられたので、朝覲(天皇が上皇にまみえる礼)も両上皇に対してなさった。ある時は両上皇が同じ所におられて、そこで拝礼もあったという。わが国が盛んであったのは、このころのことであったろうか。遣唐使も絶えずあった。帰国ののち、建礼門の前にかの国の宝物の市を立てて、群臣にお与えになることもあった。律令は文武天皇の御代から定められていたが、この御代に選び整えられた。天下を治められたこと十七年。四十一歳まで存命であった。

解説

仁明天皇は「第三十世」と数えられ、正統は嵯峨からこの天皇へと伝わる。叔父である淳和の猶子という形をとり、嵯峨・淳和の両上皇にそろって礼を尽くした。二つの系統が一つの場で礼を交わすという光景を、親房は「我国のさかりなりしことはこの比ほひにや」、わが国の盛りはこのころかと評する。遣唐使が行き来し、唐の宝物の市が立ち、律令の整備が進んだ。承和の遣唐使が実際に唐へ渡った最後の遣唐使になったことは、一般に知られている。親房がこの時代を盛りと見たのは、文物の豊かさだけでなく、系統の違う者どうしが争わずに礼を保っていたからでもあるだろう。前の段の、上皇たちの死後に取り決めが崩れた話と並べて読むと、盛りの時代が人の和によって支えられていたことがよくわかる。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る