神皇正統記 / 巻四 第五十五代 文徳天皇〜第五十六代 清和天皇
第五十五代、文徳天皇。諱は道康、田村の帝とも申。仁明第一の子。御母太皇太后藤原[の]順子、左大臣冬嗣の女也。庚午年即位、辛未に改元。天下を治給こと八年。三十三歳おまし〳〵き。 ○第五十六代、清和天皇。諱は惟仁、水尾の帝とも申。文徳第四の子。御母皇太后藤原の明子、摂政太政大臣良房の女也。
書き下し
第五十五代、文徳天皇。諱は道康、田村の帝とも申。仁明第一の子。御母太皇太后藤原の順子、左大臣冬嗣の女也。庚午年即位、辛未に改元。天下を治給こと八年。三十三歳おましましき。 ○第五十六代、清和天皇。諱は惟仁、水尾の帝とも申。文徳第四の子。御母皇太后藤原の明子、摂政太政大臣良房の女也。
現代語訳
第五十五代、文徳天皇。諱は道康、田村の帝とも申し上げる。仁明天皇の第一皇子である。母は太皇太后藤原順子で、左大臣藤原冬嗣の娘である。庚午の年(八五〇年)に即位し、辛未の年に改元した。天下を治められたこと八年。三十三歳まで存命であった。 第五十六代、清和天皇。諱は惟仁、水尾の帝とも申し上げる。文徳天皇の第四皇子である。母は皇太后藤原明子で、摂政太政大臣藤原良房の娘である。
解説
文徳天皇と清和天皇の系譜の記事である。文徳は仁明の第一皇子で、父から子へと順当に位を継いだのに「第何世」と数えられない。この書の「世」は、最終的に後の天皇へ正統がつながった道筋だけを数えるからである。文徳・清和・陽成と続いた系統は、陽成の退位で本流を外れ、正統は仁明の第二皇子である光孝天皇の側へ移る。親房はその結果から逆にさかのぼって、世の数を付けている。もう一つ目を留めたいのは母方である。文徳の母は藤原冬嗣の娘、清和の母は良房の娘であり、天皇の外祖父が藤原氏という形がここから定まっていく。清和は幼くして即位し、外祖父の良房が摂政として政を執った。親房がこの記事のすぐ後に藤原氏の由来を長々と述べるのは、ここが摂関政治の始まりだからである。系譜の短い記事に、時代の転換点が畳み込まれている。
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