神皇正統記 / 巻四 第五十二代 嵯峨天皇
乃至囲碁弾碁の戯までもおろかなる心ををさめ、かろ〴〵しきわざをとゞめんがためなり。たゞし其源にもとづかずとも、一芸はまなぶべきことにや。孔子も「飽食て終日に心を用所なからんよりは博奕をだにせよ。」と侍めり。まして一道をうけ、一芸にも携らん人、本をあきらめ、理をさとる志あらば、これより理世の要ともなり、出離のはかりことゝもなりなむ。一気一心にもとづけ、五大五行により相剋・相生をしり自もさとり他にもさとらしめん事、よろづの道其理一なるべし。此御門誠に顕密の両宗に帰給しのみならず、儒学もあきらかに、文章もたくみに、書芸もすぐれ給へりし、宮城の東面の額も御みづからかゝしめ給き。天下を治給こと十四年。皇太弟にゆづりて太上天皇と申。帝都の西、嵯峨山と云所に離宮をしめてぞまし〳〵ける。一旦国をゆづり給しのみならず、行末までもさづけましまさんの御心ざしにや、新帝の御子、恒世の親王を太子に立給しを、親王又かたく辞退して世をそむき給けるこそありがたけれ。
書き下し
乃至囲碁弾碁の戯までもおろかなる心ををさめ、かろがろしきわざをとゞめんがためなり。たゞし其源にもとづかずとも、一芸はまなぶべきことにや。孔子も「飽食て終日に心を用所なからんよりは博奕をだにせよ。」と侍めり。まして一道をうけ、一芸にも携らん人、本をあきらめ、理をさとる志あらば、これより理世の要ともなり、出離のはかりことゝもなりなむ。一気一心にもとづけ、五大五行により相剋・相生をしり自もさとり他にもさとらしめん事、よろづの道其理一なるべし。此御門誠に顕密の両宗に帰給しのみならず、儒学もあきらかに、文章もたくみに、書芸もすぐれ給へりし、宮城の東面の額も御みづからかゝしめ給き。天下を治給こと十四年。皇太弟にゆづりて太上天皇と申。帝都の西、嵯峨山と云所に離宮をしめてぞましましける。一旦国をゆづり給しのみならず、行末までもさづけましまさんの御心ざしにや、新帝の御子、恒世の親王を太子に立給しを、親王又かたく辞退して世をそむき給けるこそありがたけれ。
現代語訳
さらには囲碁や弾碁(はじき碁)の遊戯までも、愚かな心を治め、軽々しいふるまいをとどめるためのものである。ただし、その根源にまでさかのぼらなくても、一芸は学ぶべきものであろう。孔子も「満腹するまで食べて一日中心を用いるところがないよりは、博奕でもせよ」とおっしゃっている。まして一つの道を受け、一つの芸にでも携わる人が、根本を明らかにし道理を悟ろうとする志を持つならば、そこから世を治める要ともなり、迷いの世を離れる手立てともなるだろう。一つの気、一つの心にもとづき、五大・五行によって相剋・相生の理を知り、自らも悟り、他人にも悟らせることは、あらゆる道においてその理は一つであるはずだ。この帝はまことに顕密の両宗に帰依されただけでなく、儒学にも明るく、文章も巧みで、書にもすぐれておられ、宮城の東面の門の額も御自らお書きになった。天下を治められたこと十四年。皇太弟に位を譲って太上天皇と申し上げた。都の西、嵯峨山という所に離宮を構えてお住まいになった。ひとたび国を譲られただけでなく、行く末までも皇位を授けようとのお志であろうか、新帝の皇子恒世親王を皇太子に立てられたが、親王もまたかたく辞退して世を捨てられたのは、まことにありがたいことである。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇上皇ふかく謙譲しましけるに、親王又かくのがれ給ける、末代までの美談にや。昔仁徳兄弟相譲給し後にはきかざりしこと也。五十七歳おましましき。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇第五十二代、第二十九世、嵯峨天皇は桓武第二の子、平城同母の弟也。太弟に立給へりしが、己丑年即位、庚寅に改元。此天皇幼年より聡明にして読書を好、諸芸を習給。又謙譲の大度もましましけり。桓武帝鍾愛無双の御子になんおはしける。儲君にゐ給けるも父のみかど継体のために顧命しましましけるにこそ。格式なども此御時よりえらびはじめられにき。又深仏法をあがめ給。先世に美濃国神野と云所にたふとき僧ありけり。橘太后の先世にねむごろに給仕しけるを感じて相共に再誕ありとぞ。御諱を神野と申けるも自然にかなへり。伝教弘法両大師唐より伝へ給し天台・真言の両宗も、この御時よりひろまり侍ける。此両師直也人におはせず。伝教入唐以前より比叡山をひらきて練行せられけり。今の根本中堂の地をひかれけるに、八の舌ある鎰をもとめいでゝ唐までもたれたり。天台山にのぼりて智者大師六代の正統道邃和尚に謁して、その宗をならはれしに、彼山に智者帰寂より以来鎰をうしなひてひらかざる一蔵ありき。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇抑民をみちびくにつきて諸道・諸芸みな要枢也。古には詩・書・礼・楽をもて国を治る四術とす。本朝は四術の学をたてらるゝことたしかならざれど、紀伝・明経・明法の三道に詩・書・礼を摂すべきにこそ。算道を加て四道と云ふ。代々にもちゐられ、其職を置るゝことなればくはしくするにあたはず。医・陰陽の両道又これ国の至要也。金石糸竹の楽は四学の一にて、もはら政をする本也。今は芸能の如くに思へる、無念のこと也。「風を移し俗をかふるには楽よりよきはなし。」といへり。一音より五声・十二律に転じて、治乱をわきまへ、興衰を知べき道とこそみえたれ。又詩賦哥詠の風もいまの人のこのむ所、詩学の本にはことなり。しかれど一心よりおこりて、よろづのことの葉となり、末の世なれど人を感ぜしむる道也。これをよくせば僻をやめ邪をふせぐをしへなるべし。かゝればいづれか心の源をあきらめ、正にかへる術なからむ。輪扁が輪をけづりて斉桓公ををしへ、弓工が弓をつくりて唐の太宗をさとらしむるたぐひもあり。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇弘仁の御宇より真言・天台のさかりになることを聊しるし侍につきて、大方の宗々伝来のおもむきを載たり。極てあやまりおほく侍らん。但君としてはいづれの宗をも大概しろしめして捨られざらんことぞ国家攘災の御はかりことなるべき。菩薩・大士もつかさどる宗あり。我朝の神明もとりわき擁護し給ふ教あり。
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『神皇正統記』巻五 第八十七代 後嵯峨院つひに継体の主として此御すゑならぬはましまさず。壬寅の年即位、癸卯の春改元。御身をつゝしみ給ければにや、天下を治給こと四年。太子をさなくましまししかども譲国あり。尊号例のごとし。院中にて世をしらせ給、御出家の後もかはらず、二十六年ありしかば、白河・鳥羽よりこなたにはおだやかにめでたき御代なるべし。五十三歳おましましき。
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『神皇正統記』巻五 第九十代 後宇多院寛平はことにひろくまなばせ給ければにや、周易の深き道をも愛成と云博士にうけさせ給き。延喜の御こと左右にあたはず。菅氏輔佐したてまつられき。其後も紀納言・善相公等の名儒ありしかば、文道のさかりなりしことも上古におよべりき。此御誡につきて「天子の御学問さまでなくとも」と申人のはべる、あさましきことなり。何事も文の上にてよく料簡あるべきをや。此君は在位にても政事をしらせ給はず、又院にて十余年閑居し給へりしかば、稽古にあきらかに、諸道をしらせ給なるべし。御出家の後もねむごろにおこなはせましましき。上皇の出家せさせ給ことは、聖武・孝謙・平城・清和・宇多・朱雀・円融・花山・後三条・白河・鳥羽・崇徳・後白河・後鳥羽・後嵯峨・深草・亀山にまします。醍醐・一条は御病おもくなりてぞせさせ給し。かやうにあまたきこえさせ給しかど、戒律を具足し、始終かくることなく密宗をきはめて大阿闍梨をさへせさせ給しこといとありがたき御こと也。この御すゑに一統の運をひらかるゝ、有徳の余薫とぞおもひ給る。元亨のすゑ甲子の六月に五十八歳にてかくれましましき。
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