神皇正統記 / 巻二 第十二代 景行天皇
尊またこえてすぎ給しに、山神毒気を吐けるに、御心みだれにけり。それより伊勢にうつり給。能褒野と云所にて御やまひはなはだしくなりにければ、武彦の命をして天皇に事のよしを奏して、つひにかくれ給ぬ。御年三十也。天皇きこしめして、悲給事限なし。群卿百寮に仰て、伊勢国能褒野にをさめたてまつる。白鳥と成て、大和国をさして琴弾原にとゞまれり。其所に又陵をつくらしめられければ、又飛て河内古市にとゞまる。その所に陵を定られしかば、白鳥又飛て天にのぼりぬ。仍三の陵あり。彼草薙の剣は宮簀媛あがめたてまつりて、尾張にとゞまり給。今の熱田神にまします。五十一年秋八月、武内の宿禰を棟梁の臣とす。五十三年秋、小碓の命の平し国をめぐりみざらんやとて、東国に幸し給。十二月あづまよりかへりて、伊勢の綺の宮にまします。五十四年秋、伊勢より大和にうつり、纏向の宮にかへり給。天下を治給こと六十年。百四十歳おまし〳〵き。
新字:尊またこえてすぎ給しに、山神毒気を吐けるに、御心みだれにけり。それより伊勢にうつり給。能褒野と云所にて御やまひはなはだしくなりにければ、武彦の命をして天皇に事のよしを奏して、つひにかくれ給ぬ。御年三十也。天皇きこしめして、悲給事限なし。群卿百寮に仰て、伊勢国能褒野にをさめたてまつる。白鳥と成て、大和国をさして琴弾原にとゞまれり。其所に又陵をつくらしめられければ、又飛て河内古市にとゞまる。その所に陵を定られしかば、白鳥又飛て天にのぼりぬ。仍三の陵あり。彼草薙の剣は宮簀媛あがめたてまつりて、尾張にとゞまり給。今の熱田神にまします。五十一年秋八月、武内の宿祢を棟梁の臣とす。五十三年秋、小碓の命の平し国をめぐりみざらんやとて、東国に幸し給。十二月あづまよりかへりて、伊勢の綺の宮にまします。五十四年秋、伊勢より大和にうつり、纏向の宮にかへり給。天下を治給こと六十年。百四十歳おまし〳〵き。
書き下し
尊またこえてすぎ給しに、山神毒気を吐けるに、御心みだれにけり。それより伊勢にうつり給。能褒野と云所にて御やまひはなはだしくなりにければ、武彦の命をして天皇に事のよしを奏して、つひにかくれ給ぬ。御年三十也。天皇きこしめして、悲給事限なし。群卿百寮に仰て、伊勢国能褒野にをさめたてまつる。白鳥と成て、大和国をさして琴弾原にとゞまれり。其所に又陵をつくらしめられければ、又飛て河内古市にとゞまる。その所に陵を定られしかば、白鳥又飛て天にのぼりぬ。仍三の陵あり。彼草薙の剣は宮簀媛あがめたてまつりて、尾張にとゞまり給。今の熱田神にまします。五十一年秋八月、武内の宿禰を棟梁の臣とす。五十三年秋、小碓の命の平し国をめぐりみざらんやとて、東国に幸し給。十二月あづまよりかへりて、伊勢の綺の宮にまします。五十四年秋、伊勢より大和にうつり、纏向の宮にかへり給。天下を治給こと六十年。百四十歳おましましき。
現代語訳
尊がまたその蛇を越えて過ぎられたところ、山の神が毒気を吐いたので、御心が乱れてしまった。それから伊勢に移られた。能褒野という所で御病が重くなったので、武彦命に天皇へ事の次第を奏上させて、ついに亡くなられた。御年三十である。天皇はお聞きになって、限りなく悲しまれた。群卿百寮に命じて、伊勢国の能褒野に葬り申しあげた。尊は白鳥となって、大和国をさして飛び、琴弾原にとどまった。その所にまた陵を造らせられたところ、また飛んで河内の古市にとどまった。その所に陵を定められたところ、白鳥はまた飛んで天に上った。そこで三つの陵がある。かの草薙の剣は宮簀媛があがめ申して、尾張にとどまられた。今の熱田の神でいらっしゃる。五十一年の秋八月、武内宿禰を棟梁の臣とした。五十三年の秋、小碓命が平らげた国をめぐり見ないでいられようかと言って、東国に行幸された。十二月に東国から帰って、伊勢の綺の宮においでになった。五十四年の秋、伊勢から大和に移り、纏向の宮に帰られた。天下を治められたことは六十年。百四十歳でいらっしゃった。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻二 第十二代 景行天皇第十二代、景行天皇は垂仁第三の子。御母日葉州媛、丹波道主の王の女也。辛未年即位。大和の纏向の日代の宮にまします。十二年秋、熊襲そむきてみつき奉らず。八月に天皇筑紫に幸して是を征し給。十三年夏ことごとく平ぐ。高屋の宮にまします。十九年の秋筑紫より還給。二十七年秋、熊襲又そむきて辺境ををかしけり。皇子小碓の尊御年十六、をさなくより雄略気まして、容貎魁偉。身の長一丈、力能かなへをあげ給ひしかば、熊襲をうたしめ給。冬十月ひそかに彼国にいたり、奇謀をもて、梟帥取石鹿父と云物を殺給。梟帥ほめ奉て、日本武となづけ申けり。悉余党を平て帰給。所々にしてあまたの悪神をころしつ。二十八年春かへりこと申給けり。天皇其の功をほめてめぐみ給こと諸子にことなり。四十年の夏、東夷おほく背て辺境さわがしかりければ、又日本武の皇子をつかはす。吉備の武彦、大伴の武日を左右の将軍としてあひそへしめ給。十月に枉道して伊勢の神宮にまうでゝ、大和姫の命にまかり申給。かの命神剣をさづけて、「つゝしめ、なおこたりそ。」
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『神皇正統記』巻二 第十二代 景行天皇とをしへ給ける。駿河にいたるに、賊徒野に火をつけて害したてまつらんことをはかりけり。火のいきほひまぬかれがたかりけるに、はかせる叢雲の剣をみづからぬきて、かたはらの草をなぎてはらふ。これより名をあらためて草薙の剣と云ふ。又火うちをもて火を出て、むかひ火を付て、賊徒を焼ころされにき。これより船に乗給て上総にいたり、転じて陸奥国にいり、日高見の国にいたり、悉蝦夷を平げ給。かへりて常陸をへ甲斐にこえ、又武蔵・上野をへて、碓日坂にいたり、弟橘媛と云し妾をしのび給。東南の方をのぞみて、「吾嬬者耶。」との給しより、山東の諸国をあづまと云也。これより道をわけ、吉備の武彦をば越後国に遣して不順者を平しめ給。尊は信濃より尾張にいで給。かの国に宮簀媛と云女あり。尾張の稲種宿禰の妹也。此女をめして淹留給あひだ、五十葺の山に荒神ありときこえければ、剣をば宮簀媛の家にとゞめて、かちよりいでます。山神化して小蛇になりて、御道によこたはれり。
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『古語拾遺』慎みて怠ること莫かれ日本武命をして東夷を征討せしむ。仍りて道を枉げて伊勢神宮に詣り、倭姫命に辞見す。草薙剣を以て日本武命に授けて、教えて曰く、慎みて怠ること莫かれ、と。日本武命既に東虜を平らげ、還りて尾張国に至り、宮簀媛を納れて淹留すること月を踰ゆ。剣を解きて宅に置き、徒行して膽吹山に登り、毒に中りて薨ず。
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『神皇正統記』巻二 第一代 神武天皇此大八州は皆是王地也。神代幽昧なりしによりて西偏の国にして、おほくの年序をおくられけるにこそ。天皇舟楫をとゝのへ、甲兵をあつめて、大日本州にむかひ給。みちのついでの国々をたひらげ、大やまとにいりまさむとせしに、其国に天の神饒の速日の尊の御すゑ宇麻志間見の命と云神あり。外舅の長髄彦と云、「天神の御子両種有むや。」とて、軍をおこしてふせぎたてまつる。其軍こはくして皇軍しばしば利をうしなふ。又邪神毒気をはきしかば、士卒みなやみふせり。こゝに天照太神、健甕槌の神をめして、「葦原の中つ州にさわぐおとす。汝ゆきてたひらげよ。」とみことのりし給。健甕槌の神申給けるは、「昔国をたひらげし時の剣あり。かれをくださば、自らたひらぎなん。」と申て、紀伊国名草の村に高倉下命と云神にしめして、此剣をたてまつりければ、天皇悦給て、士卒のやみふせりけるもみなおきぬ。又神魂の命の孫、武津之身命大烏となりて軍の御さきにつかうまつる。天皇ほめて八咫烏と号し給。又金色の鴟くだりて皇弓のはずにゐたり。
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『古語拾遺』熱田社と住吉大神其の草薙剣は、今尾張国熱田社に在り。未だ礼典に叙せず。磐余稚桜朝に至りて、住吉大神顕る。新羅を征伏し、三韓始めて朝す。百済国王、懇ろに其の誠を致し、終に欺弐無きなり。
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『神皇正統記』巻二 第十代 崇神天皇第十代、崇神天皇は開化第二の子。御母伊香色謎姫、太綜麻杵の命の女也。甲申の歳即位。大和の磯城の瑞籬の宮にまします。此御時神代をさる事、世は十つぎ、年は六百余になりぬ。やうやく神威をおそれ給て、即位六年己丑年神代の鏡造の石凝姥の神のはつこをめして鏡をうつし鋳せしめ、天目一箇の神のはつこをして剣をつくらしむ。大和宇陀の郡にして、此両種をうつしあらためられて、護身の璽として同殿に安置す。神代よりの宝鏡および霊剣をば皇女豊鋤入姫の命につけて、大和の笠縫の邑と云所に神籬をたてゝあがめ奉らる。これより神宮・皇居各別になれりき。其後太神のをしへありて、豊鋤入姫の命、神体を頂戴て所々をめぐり給けり。十年の秋、大彦命を北陸に遣し、武渟川別の命を東海に、吉備津彦命を西道に、丹波の道主の命を丹波に遣す。ともに印綬を給て将軍とす。天皇の叔父武埴安彦の命、朝廷をかたぶけんとはかりければ、将軍等を止て、まづ追討しつ。冬十月に将軍発路す。十一年の夏、四道の将軍戎夷を平ぬるよし復命す。六十五年秋任那の国、使をさして御つきをたてまつる。天皇天下を治給こと六十八年。百二十歳おましましき。
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