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自警録 / 第二十四章 全力と余裕・余裕を存することと全力主義

わが国従来の教えとして全力を出さぬことを賞める。すなわち余裕しゃくしゃくという言葉は、まだ力はつくさないぞ、あとには予備が控えているぞという態度である。 この態度は独りわが国ばかりではない。何国人といえども尊敬するところである。リンカーンの年を経るにしたがってますます人物の高まるのは、同氏にはさきにいった三層どころではない、そのなお奥に四層も五層も深みがあったから、彼の性格を味わえば味わうほど甘味を感ずる。 これに反し、張りきっておって、二十貫目の力を二十貫目始終手先きや足先きに現す者は感心はするけれども、吾人の深い尊敬に値しない。 数年前、ある青年と話の際、僕は、君に十貫目の力があるなら八貫目だけ出してあとの二貫目はとっておけといったら、この青年がいぶかって、私の主義はなにごとについても最善をつくし全力を注ぐということであるんですが、先生のは、あやふやじゃありませんかといわれたことがある。なるほど意味の取り方によって、わが輩の言葉はけしからん言葉である。ほどよく、いい加減にお茶を濁しておけ、一所懸命になるな、熱心は禁物だというように誤解を起こしやすいけれども、僕の意は決してそういう考えでない。 僕の意をことごとく説明することは、僕にとっては不可能である。かつまたことごとく説明することは僕の意に背く。考えがある以上はこれをいい現すについて、一割か二割は自分に貯えておきたい気がする。種までもことごとくさらけ出すことはしたくなく思う。つねに幾分のゆとりが欲しい。十貫目の力のあるものならば、その八分九分だけを用いて、残部は準備として貯えおき、これを資本として十二貫になったならば、その時に十貫出す。十貫を利用して資本力が十五貫にましたなら、その時に十二貫出すと、つねに余裕を貯えておいてこれを種として進みたいと思うのである。もっともこれは喩の言葉であるから、他の例をとれば十貫のものを使ってただちに二十貫の力を得るというごとき、つきせぬ河の流れの水を引くごとき例をとって、僕の正反対の説を述べることもできるから、はなはだ例は不完全であるけれども、僕の心のあるところだけは読者諸君はわかっていただけたであろう。

書き下し

わが国従来の教えとして全力を出さぬことを賞める。すなわち余裕しゃくしゃくという言葉は、まだ力はつくさないぞ、あとには予備が控えているぞという態度である。 この態度は独りわが国ばかりではない。何国人といえども尊敬するところである。リンカーンの年を経るにしたがってますます人物の高まるのは、同氏にはさきにいった三層どころではない、そのなお奥に四層も五層も深みがあったから、彼の性格を味わえば味わうほど甘味を感ずる。 これに反し、張りきっておって、二十貫目の力を二十貫目始終手先きや足先きに現す者は感心はするけれども、吾人の深い尊敬に値しない。 数年前、ある青年と話の際、僕は、君に十貫目の力があるなら八貫目だけ出してあとの二貫目はとっておけといったら、この青年がいぶかって、私の主義はなにごとについても最善をつくし全力を注ぐということであるんですが、先生のは、あやふやじゃありませんかといわれたことがある。なるほど意味の取り方によって、わが輩の言葉はけしからん言葉である。ほどよく、いい加減にお茶を濁しておけ、一所懸命になるな、熱心は禁物だというように誤解を起こしやすいけれども、僕の意は決してそういう考えでない。 僕の意をことごとく説明することは、僕にとっては不可能である。かつまたことごとく説明することは僕の意に背く。考えがある以上はこれをいい現すについて、一割か二割は自分に貯えておきたい気がする。種までもことごとくさらけ出すことはしたくなく思う。つねに幾分のゆとりが欲しい。十貫目の力のあるものならば、その八分九分だけを用いて、残部は準備として貯えおき、これを資本として十二貫になったならば、その時に十貫出す。十貫を利用して資本力が十五貫にましたなら、その時に十二貫出すと、つねに余裕を貯えておいてこれを種として進みたいと思うのである。もっともこれは喩の言葉であるから、他の例をとれば十貫のものを使ってただちに二十貫の力を得るというごとき、つきせぬ河の流れの水を引くごとき例をとって、僕の正反対の説を述べることもできるから、はなはだ例は不完全であるけれども、僕の心のあるところだけは読者諸君はわかっていただけたであろう。

現代語訳

わが国の従来の教えは、全力を出さないことを褒めます。つまり「余裕しゃくしゃく」という言葉は、まだ力を尽くしていない、あとには予備が控えている、という態度です。 この態度は日本だけのものではありません。どこの国の人でも尊敬するところです。リンカーンが年を経るにしたがって、ますます人物が高まって見えるのは、彼には先ほど言った三層どころではなく、その奥にさらに四層も五層も深みがあったからで、彼の性格は味わえば味わうほど甘みを感じます。 これに反して、張りきって二十貫目の力を二十貫目、始終手先や足先に現している人は、感心はしますが、深い尊敬には値しません。 数年前、ある青年と話していた時、私は「君に十貫目の力があるなら、八貫目だけ出して、あとの二貫目はとっておきなさい」と言いました。すると青年は不審がり、「私の主義は、何事についても最善を尽くし全力を注ぐことですが、先生のはあやふやではありませんか」と言いました。なるほど意味の取り方によっては、私の言葉はけしからんものです。ほどほどにいい加減にお茶を濁しておけ、一所懸命になるな、熱心は禁物だ、というふうに誤解されやすいけれども、私の意はけっしてそういうものではありません。 私の意をすべて説明することは、私には不可能です。また、すべて説明することは私の意に反します。考えがある以上は、それを言い表すにあたって、一、二割は自分に貯えておきたい気がします。種までことごとくさらけ出すことはしたくありません。常にいくらかのゆとりが欲しいのです。十貫目の力のある者なら、その八、九分だけを用い、残りは準備として貯えておき、これを資本として十二貫になったなら、その時に十貫を出す。十貫を使って資本力が十五貫に増したなら、その時に十二貫を出す。このように常に余裕を貯えておき、これを種として進みたいと思うのです。もっともこれは例えの言葉で、他の例を取れば、十貫のものを使ってただちに二十貫の力を得るような、尽きない川の流れの水を引くような例を取って、私と正反対の説を述べることもできますから、はなはだ例としては不完全ですが、私の心のあるところだけは、読者諸君にお分かりいただけたでしょう。

解説

新渡戸は余裕しゃくしゃくを尊び、リンカーンの奥行きを引き合いに、力を出し切って張りつめた人は感心されても深い尊敬は得にくいと言います。青年に八貫目を出せと言って全力主義とぶつかった逸話は、誤解を承知で語る率直さが見えます。余力は手抜きではなく、次の力を生む資本だという考えです。常に全力で走る働き方が称賛されやすい現代、余白を残すことが持続力と判断力を守る、という読み方ができます。ただし例えが不完全なことを本人が認めている点も押さえておきたいところです。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

余裕全力主義リンカーン予備資本ゆとり

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