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自警録 / 第十八章 知らぬ恩人に対する感謝・恩の観念は固有か輸入か

しかしここに奇態に思うことは、古い言葉にはあるいはあって、僕の無学のために知らぬのかは測られぬが、恩という字に和訓のないことである。こういったなら、和学者のお叱りを受けて、こういう訓がある、ああいう訓があるという反証が出るかも知れぬが、それにしても、これほどな大和民族の特長が、普通一般に漢音で流通していることは情ない。 恩の漢音はすこぶる発音に便利で、耳障りもよいから、ながたらしい大和言葉の代りに通用するにいたったかも知れないが、実際我々がこんにち外国の言葉を用うるは簡単であるからとて用いる。単語は何か新しい思想を含んだものであって、普通にある言葉をわざわざ西洋語を借りて言い表わすことは、よしあっても稀である。 マッチという詞は今どんな田舎でも用いている。しかるに僕の子供のときは早附木といったものだ。今はそんなことをいうものはほとんどない。早附木というよりもマッチというほうが簡単だからでもあろう。さらばとて単に簡単だという理由で、従来用い来たった詞なら早附木をマッチと替えることはない。従来は附木だけはあったが「早」なる形容詞を冠せて通用させようとしても通用しなかった。「ランプ」を行燈とも手燭とも翻訳しない。ペンのごときは僕らが始めて洋学を修めるころには筆または金の筆と訳したものだ。しかるに今は日本のすみずみに行ってもペンで通る。金の筆というよりはペンというほうがむしろ簡便である。さればとてペンなる言葉をかりて、古来あった筆の文字に代用することはない。そこで恩という言葉も発音の易きからとて、従来あった思想に代えたものか少しく疑いが起こる。恩なる観念はやはり儒教、仏教から入ったものでなかろうかと疑いが起こって来る。 僕は世の言語学者に望みたきは、いま用うる文字こそ漢音なれ、思想は大和民族の特長なりということを、言語のほうからも証拠を明瞭にする一条である。

新字:しかしここに奇態に思うことは、古い言葉にはあるいはあって、僕の無学のために知らぬのかは測られぬが、恩という字に和訓のないことである。こういったなら、和学者のお叱りを受けて、こういう訓がある、ああいう訓があるという反証が出るかも知れぬが、それにしても、これほどな大和民族の特長が、普通一般に漢音で流通していることは情ない。 恩の漢音はすこぶる発音に便利で、耳障りもよいから、ながたらしい大和言葉の代りに通用するにいたったかも知れないが、実際我々がこんにち外国の言葉を用うるは簡単であるからとて用いる。単語は何か新しい思想を含んだものであって、普通にある言葉をわざわざ西洋語を借りて言い表わすことは、よしあっても稀である。 マッチという詞は今どんな田舎でも用いている。しかるに僕の子供のときは早附木といったものだ。今はそんなことをいうものはほとんどない。早附木というよりもマッチというほうが簡単だからでもあろう。さらばとて単に簡単だという理由で、従来用い来たった詞なら早附木をマッチと替えることはない。従来は附木だけはあったが「早」なる形容詞を冠せて通用させようとしても通用しなかった。「ランプ」を行灯とも手燭とも翻訳しない。ペンのごときは僕らが始めて洋学を修めるころには筆または金の筆と訳したものだ。しかるに今は日本のすみずみに行ってもペンで通る。金の筆というよりはペンというほうがむしろ簡便である。さればとてペンなる言葉をかりて、古来あった筆の文字に代用することはない。そこで恩という言葉も発音の易きからとて、従来あった思想に代えたものか少しく疑いが起こる。恩なる観念はやはり儒教、仏教から入ったものでなかろうかと疑いが起こって来る。 僕は世の言語学者に望みたきは、いま用うる文字こそ漢音なれ、思想は大和民族の特長なりということを、言語のほうからも証拠を明瞭にする一条である。

書き下し

しかしここに奇態に思うことは、古い言葉にはあるいはあって、僕の無学のために知らぬのかは測られぬが、恩という字に和訓のないことである。こういったなら、和学者のお叱りを受けて、こういう訓がある、ああいう訓があるという反証が出るかも知れぬが、それにしても、これほどな大和民族の特長が、普通一般に漢音で流通していることは情ない。 恩の漢音はすこぶる発音に便利で、耳障りもよいから、ながたらしい大和言葉の代りに通用するにいたったかも知れないが、実際我々がこんにち外国の言葉を用うるは簡単であるからとて用いる。単語は何か新しい思想を含んだものであって、普通にある言葉をわざわざ西洋語を借りて言い表わすことは、よしあっても稀である。 マッチという詞は今どんな田舎でも用いている。しかるに僕の子供のときは早附木といったものだ。今はそんなことをいうものはほとんどない。早附木というよりもマッチというほうが簡単だからでもあろう。さらばとて単に簡単だという理由で、従来用い来たった詞なら早附木をマッチと替えることはない。従来は附木だけはあったが「早」なる形容詞を冠せて通用させようとしても通用しなかった。「ランプ」を行燈とも手燭とも翻訳しない。ペンのごときは僕らが始めて洋学を修めるころには筆または金の筆と訳したものだ。しかるに今は日本のすみずみに行ってもペンで通る。金の筆というよりはペンというほうがむしろ簡便である。さればとてペンなる言葉をかりて、古来あった筆の文字に代用することはない。そこで恩という言葉も発音の易きからとて、従来あった思想に代えたものか少しく疑いが起こる。恩なる観念はやはり儒教、仏教から入ったものでなかろうかと疑いが起こって来る。 僕は世の言語学者に望みたきは、いま用うる文字こそ漢音なれ、思想は大和民族の特長なりということを、言語のほうからも証拠を明瞭にする一条である。

現代語訳

ところで、奇妙に思うことがあります。古い言葉にはあるのかもしれませんが、私の無学のために知らないだけかもしれません。それは、恩という字に和訓がないことです。こう言うと、和学者からお叱りを受け、こういう訓がある、ああいう訓があるという反証が出るかもしれません。それにしても、これほどの大和民族の特長が、ふつう一般に漢音で通用しているのは情けないことです。 恩の漢音は発音が便利で、耳障りもよいので、長たらしい大和言葉の代わりに通用するようになったのかもしれません。実際、私たちが今日外国の言葉を使うのは、簡単だからという理由があります。しかし単語というものは、何か新しい思想を含んだものであって、普通にある言葉をわざわざ西洋語を借りて言い表すことは、あっても稀です。 マッチという語は、今ではどんな田舎でも使っています。ところが私の子供のころは、早附木と言いました。今はそんなことを言う人はほとんどいません。早附木と言うよりもマッチと言うほうが簡単だからでしょう。しかし、単に簡単だという理由だけで、従来使ってきた言葉ならば、早附木をマッチに替えることはありません。従来は附木だけはあって、そこに早という形容詞を冠して通用させようとしても通用しなかったのです。ランプを行燈とも手燭とも翻訳しません。ペンは、私たちが初めて洋学を修めるころには、筆または金の筆と訳したものです。ところが今は日本のすみずみへ行ってもペンで通ります。金の筆というよりペンというほうが簡便です。それでも、ペンという言葉を借りて、古来あった筆の字の代わりにすることはありません。そこで、恩という言葉も、発音がやさしいからといって、従来あった思想に代えたものかどうか、少し疑いが起こります。恩という観念は、やはり儒教や仏教から入ったものではないかという疑いが出てくるのです。 私は世の言語学者に望みます。今使っている文字こそ漢音だが、思想は大和民族の特長であるということを、言語の面からも明らかに証明していただきたいのです。

解説

知恩は日本固有と言いながら、新渡戸は自ら反証になりそうな事実に目を向けます。恩という語に和訓が見当たらず、漢音で通っていることです。マッチやペンのように、新しい物や思想には外来語が入るが、既存の観念は元の言葉で言い続けるのが普通だと、日常の言葉の例で推論します。結論は断定せず、言語学者に証明を託しています。ここで学べるのは、自説に都合の悪い事実を隠さず検討する態度です。仕事の仮説も、反証をあえて探すことで強くなります。語源の細部は専門家の検証に委ねるべき箇所です。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

恩和訓漢音言語外来語固有と輸入

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