自警録 / 第十五章 逆上を警む・ボストン公園に見た言論の自由(1)
同じころボストン市に逗留中、日曜日の夕方、かの有名なる歴史的の公園地「コンモンス」にぶらぶら散歩したところが、道傍に二、三十人の労働者あるいは店の手代番頭めかしい者が一群をなしていた。わが輩好奇心に駆られて近づいて見た。喧嘩であろうか怪我人でもあろうか、手品師であるか物売りであるか、近づいて見ると年齢五十ぐらいの男が中心となって、地球は円形じゃない平面であるという新説を吐いていた。しかも演説口調をもってあるいは高々に説明するにあらずして、平生の個人と個人との会話のごとき調子で、 「ネー、そうだろう、今まで僕の言ったことは君らも学理的だと認めるじゃろう云々」 と言いかけると、傍聴者の一人で職工と思わしい若い男が、 「そりゃ君の説は勘定が少し違うぜ、地球の曲線の度は一マイルについて幾らいくらだぜ。君の先の例に取った何マイル以上にある船の帆柱は云々」 と、僕は最後まで聞き取れなかったが、数字をもってこれを駁撃すると、先の男が手帖を出して何か計算する。その間にまた一方から、 「君の説はちょっと面白いが、学理より実験に戻るじゃないか」 とやり込める奴があった。僕はしばらく立って見ていたが、もの静かに思想を交換するさまは、昔ソクラテスがアテネの市場で道を説いたときは、かくもあったろうかと想像が浮かんだ。このときも我が同胞であったならば、すぐに野次馬が乗り込んで来て、 「貴様の説はコロンブス以前の陳腐論だい。ヤイ黙れ!」 とか、
書き下し
同じころボストン市に逗留中、日曜日の夕方、かの有名なる歴史的の公園地「コンモンス」にぶらぶら散歩したところが、道傍に二、三十人の労働者あるいは店の手代番頭めかしい者が一群をなしていた。わが輩好奇心に駆られて近づいて見た。喧嘩であろうか怪我人でもあろうか、手品師であるか物売りであるか、近づいて見ると年齢五十ぐらいの男が中心となって、地球は円形じゃない平面であるという新説を吐いていた。しかも演説口調をもってあるいは高々に説明するにあらずして、平生の個人と個人との会話のごとき調子で、 「ネー、そうだろう、今まで僕の言ったことは君らも学理的だと認めるじゃろう云々」 と言いかけると、傍聴者の一人で職工と思わしい若い男が、 「そりゃ君の説は勘定が少し違うぜ、地球の曲線の度は一マイルについて幾らいくらだぜ。君の先の例に取った何マイル以上にある船の帆柱は云々」 と、僕は最後まで聞き取れなかったが、数字をもってこれを駁撃すると、先の男が手帖を出して何か計算する。その間にまた一方から、 「君の説はちょっと面白いが、学理より実験に戻るじゃないか」 とやり込める奴があった。僕はしばらく立って見ていたが、もの静かに思想を交換するさまは、昔ソクラテスがアテネの市場で道を説いたときは、かくもあったろうかと想像が浮かんだ。このときも我が同胞であったならば、すぐに野次馬が乗り込んで来て、 「貴様の説はコロンブス以前の陳腐論だい。ヤイ黙れ!」 とか、
現代語訳
同じころボストン市に滞在していたとき、日曜日の夕方、あの有名な歴史的な公園「コモンズ」をぶらぶら散歩していると、道ばたに二、三十人の労働者や、店の手代・番頭らしい人たちが一群をなしていた。私は好奇心に駆られて近づいて見た。喧嘩だろうか、けが人でもいるのだろうか、手品師だろうか、物売りだろうかと思って近づくと、年のころ五十ぐらいの男が中心になって、地球は丸くなく平面であるという新説を述べていた。しかも演説口調で声高に説明するのではなく、普段の個人同士の会話のような調子で、 「ね、そうだろう、今まで僕の言ったことは君らも学問的だと認めるじゃろう、云々」 と言いかけると、聞き手の一人で職工らしい若い男が、 「それは君の説は計算が少し違うぜ、地球の曲線の度合いは一マイルにつきいくらいくらだぜ。君が先に例にとった何マイル以上にある船の帆柱は、云々」 と、私は最後まで聞き取れなかったが、数字をもって反論すると、先の男が手帳を出して何か計算する。その間にまた別のところから、 「君の説はちょっと面白いが、学理よりも実験に戻るじゃないか」 とやり込める者があった。私はしばらく立って見ていたが、静かに思想を交換するさまは、昔ソクラテスがアテネの市場で道を説いたときも、これくらいであっただろうかと想像が浮かんだ。このときも、もしこれが私たちの同胞であったなら、すぐに野次馬が乗り込んで来て、 「貴様の説はコロンブス以前の古くさい説だい。やい、黙れ!」 とか、
解説

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自警録・第十五章 逆上を警む・ボストン公園に見た言論の自由(2)「小学校の二年級をやりなおせ」 とか、 「ジジイ、おいぼれやがったナ」 くらいの罵詈は必ず聞こえるであろうと、つくづく物思いに沈みながら、この群集を去って旅館に帰ろうとすると、同じ公園のむこう側に二、三百人もあろうかと思わるる群集がかたまっておったから、かたわらの青年に、むこうの群集は何をしているかとたずねると、 「あれですか、あれは社会党の人たちです。今日は日曜日なもんですから、大勢集まっているんです」 とはなはだ尋常茶飯事のごとき口調で答えた。これが日本ならいろいろな嫌疑も受けるであろうが、自由の天地は違うと思いながら、僕はそのほうに足を運んだ。すると二、三百人の連中は一かたまりになっていないで、二十人ないし五十人ぐらいずつ別々に群っている。いずれも先の地理学新説の鼓吹者と同じように、談話的に互いの説を交換し合っている。 いずれの群集を見ても少しも激しているものはない。大言する者もなく、哂り嗤う者もない。すこぶる真面目でさながら親の大病の診断を医者から聞いているような顔つきであった。僕も三、四十分のあいだ甲群から乙群、丙群から丁群と彷徨して、その様子を窺ったが、かたわらに巡査がいるでなし、しかもボストンのコンモンスといえば、市街の中央にしてかつマサチューセッツ州の州庁の鼻の先である。この時も先に述べたる共和党の大会と同じく、容易に逆上せぬこの国民にして初めて言論の自由も思想の自由も享有すべきものと思った。
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自警録・第十五章 逆上を警む・前二例より帰納する感情の危険もちろんただ上記の二つの例をもって、米国には社会党の騒ぎもなく、政治上の腐敗もなく、自治の精神が完全無欠に発達しているというは僕の意ではない。実際かの大会においても、拳骨の撲り合いが会場の戸口で二、三度あったというし、またボストンの公園地における会合も、僕の去ったのちで巡査が来て解散したかも知れない。あるいは議論が次第に高じて来て、罵詈讒謗に終ったかも知れない。あらゆる犯罪の多い米国のことであるから、数百の人の集まったときには随分不体裁はあり得ることである。して不体裁なことのみをならべ立てようと思えば、それもはなはだ容易なわざだと思う。しかるにたびたび言うとおり僕は他山の瓦礫を捕え来たって、自国の璞玉に比してみずから快とするの愚なることを信ずるから、常に他山の石を藉りて自分の玉を磨くの用に供したいと思う。 そこで今まで述べたシカゴの大会とボストンの公園の集会を見て、我が同胞とともに顧みたいことは、一時の激昂に駆られて事をなすを慎むべき一点である。なに事をなすにも感情を交えることは危険である。むろん感情と一口に言っても高尚な感情もあるが、言うまでもなく今述べる感情は一時の客気である。とかくこの客気血気があれば考えに誤りを生じやすい。一口に熱心などと称するからよく聞こえるが、思慮のない熱心ほど己れを害し人を害するものはない。ややもすると世の中ではほとんど目的もなく騒ぎ散らすをもって、熱心があるとか、気象がさかんだとか、あるいは勇敢だとか、痛快だなどと称する。しかし熱心勇敢の気象などというものは、いわば馬みたいなもので、御する人があればこそその方向に進んで行くが、御する者なければその向く処を知らない、狂人と同然である。発狂人の多くは勇気あり熱心あり気象の旺であるのであるが、惜しいかな心を守り、気を抑える力がないのである。古人の曰く、 「この心を敬守すれば則ち心定まる、その気を斂抑すれば則ち気平かなり」と。
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自警録・第十章 人生の成敗・ギリシアのソクラテスを見よむかしギリシアの哲学者ソクラテスのもとに、ある兇漢が来て、さんざん悪口を言って帰った。かたわらに聞いておった門弟が、哲学者に向かって、 「先生あいつ奴、いかにも憎い奴でございます」 といったときに、哲学者は泰然として、 「なぜにくい」といったら、 「あんなに先生を恥ずかしめたのがにくい」 といった。彼は笑いながら、 「お前は少し考え違いをしている。彼はわが輩を恥ずかしめた考えかも知れないが、俺はちっとも恥ずかしめられたとは思わない。自分が恥でも受けたような顔をしとったかね」 と答えたという。失敗もその通り、世の中で何某が大いに失敗したと四面楚歌の声が聞こえても、本の当人はどこを風が吹くかという顔をしていることがたまさかある。二千四百年前に、ソクラテスがアテネの裁判所に召喚せられ、有罪の宣告を受けて、獄屋に投ぜられたときには、アテネの者が皆々嘲り笑って、とうとうあのおしゃべり爺も、あの年になって、本性露見して畳の上でくたばりそこなったわい、と評判を立てて、もし当時アテネに新聞があったものなら、いかに当時の記者が論説やら雑報に忙しく彼の罪状を書き立て、彼がその日まで口に唱えた教訓はまったく偽善であったとか、彼の純潔なる素行はたくみに人を欺くの方法であって、その実、彼がかくのごとき事もしたであろう、ああいう事もしたと、ありとあらゆる捏造説を書き立てたであろう。 基督がゴルゴタの山上で、かの非命の最期を遂げたごときも、世人は、あの男もとうとう尻尾を現して、あのざまの死に方をしたとか、表向きには君子顔をしておっても、蔭ではだいぶ不仕末の事があったそうだ、社会主義も唱えたそうだ、某婦人と仲がよかったそうだ、謀叛の目論見さえしたそうだ、始終下等な女や悪党の仲間につき合っておったそうだ、折々は魔法みたいな事をして愚民を驚かしたそうだ、始終猫撫声をして女子供を手なずけたそうだなど、その他あらゆる悪口をもって、彼は見事に失敗したなどといったであろう。いずくんぞ知らん敗けたと思った人が最後の勝利者たることを。 負けて退く人を弱しと思ふなよ智恵の力の強き故なり
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自警録・第十三章 広く世を渡る心がけ・反対説にも耳を傾ける度量を養え衣服とか外形上のことならば、単に非難する人の心を不愉快ならしめ、非難される人の心を不愉快にするだけにてすむが、学術あるいは政治上の説が違う場合のごときは、自分の気に入りたる説なれば、大いに怪しい点があってもこれを是とし、自分が承引しかねる場合にはまったくこれを異論なるかのごとく咎むるは、その害の及ぼすところ広くかつ大きい。 願わくは説が違ったときは、はてな、己れの考えとは違うが、一たびはその意見を聞こう、正邪の判断を下す前に一応は取調べもし、耳を傾けもするだけの度量が欲しい。少しく自分の説と異なればただちに曲学阿世だとか、俗論だとか売国的説だとか異端だとか議論はそっちのけにして、論者の動機やら人格までをかれこれ言うようなことは、度量の狭きを示すと同時に、進歩する余地なきことを自白するのである。 前にもいった通り、説は成るたけ違うのが面白い。今日まで学問の進歩は種々の異なった説から、互いに討議し批評して得た結果にほかならぬ。昔は異説あると宗教の教えに背くとかあるいは国家に危険なりとして圧迫を加えた。その時代は人知の最も進まぬときである。ちょっと聞いて自分の心にはなはだ嫌に思う説でも、一応は聞くだけの度量を養うことを力めたい。さらに力めたきことは自分の嫌いと思う人の説なり行動なりを、冷静に客観的に考える心を養いたい。 昔より私なしという言葉は公平なる態度を現すに用いられるが、無私というは狭い量見のない、己ればかりが正しいのでない、また己れの利益のためでないという意味である。たとえば孔子が『春秋』を書くに私心をはさまなかったとは、『春秋』に出る人物を批評するに好きだから褒める、癪にさわるから悪く書くというのでなく、好悪は論外として、自分と性質は違うとも、正しい者は正しいと公平な判断を下したからである。
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自警録・第二十一章 潔き感情と正しき思想・大統領改選に現れたる米人の感情と思想米国においては四年ごとに大統領の改選が行われる。一期ごとに選挙はさかんになり、党派もふえる。したがって候補者の数も増すために、世人の議論がなかなかやかましくなる。一家のうちでも二つに割れ三つに割れているところさえもある。 しかるに彼らの論ずるところを傍で聞くと、地質学者が化石を科学的に攻究するごとき調子がある。甲の候補者はかくのごとき長所があるから、よろしく選挙すべしというと、乙の候補者の特長は、甲に対してこう勝るとか、あるいは彼らのたがいの短所がどこにあるとか、すこぶる冷淡に論じて、たまたま議論が極端に走って、容易ならぬ結果に陥るかと思えば、政治論はそれだけで、他の点において親しく談話をする様子は、わが国においてはなかなか見えないことで、このことは独り政治にのみ関してしかるわけではない。日々の事業について、実業家がその職業を営むにつけても同じこと、おのれが損したからとて、みだりにその罪を他人にかぶせるようなことはない。むろんそのかわり大いに成功したからとて、他人に感謝する感情もないように見受ける。
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自警録・第二十五章 理想と実現・主義を抱ける者の世渡りの覚悟一種の思想をもって世渡りを企てる者は、同じ思想を抱いている人のうちにはもっともよく受けいれられて、いわゆる調子よく世渡りもできるが、異なった思想を抱いている者、あるいはなんの思想をも抱かずに世渡りをする者に対しては、はなはだ面白からぬ印象を与えるがために、とかく彼此の批評を受けたり、あるいは、ときにはそれがために迫害も凌がねばならぬことは承知せねばならない。 普通にいう世渡りの上手だというのは、ただ無主義で無定見で無思想で、流るるままに浮かんでゆくを称するのであるが、いやしくもいずれかの主義を抱いた者は、一時調子よいことがあっても、浮き沈みのあることは覚悟せねばならない。またこの反対の勢力の風波に会わなければ、思想も練ることはできない。 僕がもっとも崇拝する人物はキリストのほかにソクラテスとリンカーンであるが、二人とも生きているあいだに名声さかんで、一時流行児となって大いにもてはやされたが、ついにその最後は世人の皆知っているとおりである。