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自警録 / 第十五章 逆上を警む・ボストン公園に見た言論の自由(2)

「小学校の二年級をやりなおせ」 とか、 「ジジイ、おいぼれやがったナ」 くらいの罵詈は必ず聞こえるであろうと、つくづく物思いに沈みながら、この群集を去って旅館に帰ろうとすると、同じ公園のむこう側に二、三百人もあろうかと思わるる群集がかたまっておったから、かたわらの青年に、むこうの群集は何をしているかとたずねると、 「あれですか、あれは社会党の人たちです。今日は日曜日なもんですから、大勢集まっているんです」 とはなはだ尋常茶飯事のごとき口調で答えた。これが日本ならいろいろな嫌疑も受けるであろうが、自由の天地は違うと思いながら、僕はそのほうに足を運んだ。すると二、三百人の連中は一かたまりになっていないで、二十人ないし五十人ぐらいずつ別々に群っている。いずれも先の地理学新説の鼓吹者と同じように、談話的に互いの説を交換し合っている。 いずれの群集を見ても少しも激しているものはない。大言する者もなく、哂り嗤う者もない。すこぶる真面目でさながら親の大病の診断を医者から聞いているような顔つきであった。僕も三、四十分のあいだ甲群から乙群、丙群から丁群と彷徨して、その様子を窺ったが、かたわらに巡査がいるでなし、しかもボストンのコンモンスといえば、市街の中央にしてかつマサチューセッツ州の州庁の鼻の先である。この時も先に述べたる共和党の大会と同じく、容易に逆上せぬこの国民にして初めて言論の自由も思想の自由も享有すべきものと思った。

書き下し

「小学校の二年級をやりなおせ」 とか、 「ジジイ、おいぼれやがったナ」 くらいの罵詈は必ず聞こえるであろうと、つくづく物思いに沈みながら、この群集を去って旅館に帰ろうとすると、同じ公園のむこう側に二、三百人もあろうかと思わるる群集がかたまっておったから、かたわらの青年に、むこうの群集は何をしているかとたずねると、 「あれですか、あれは社会党の人たちです。今日は日曜日なもんですから、大勢集まっているんです」 とはなはだ尋常茶飯事のごとき口調で答えた。これが日本ならいろいろな嫌疑も受けるであろうが、自由の天地は違うと思いながら、僕はそのほうに足を運んだ。すると二、三百人の連中は一かたまりになっていないで、二十人ないし五十人ぐらいずつ別々に群っている。いずれも先の地理学新説の鼓吹者と同じように、談話的に互いの説を交換し合っている。 いずれの群集を見ても少しも激しているものはない。大言する者もなく、哂り嗤う者もない。すこぶる真面目でさながら親の大病の診断を医者から聞いているような顔つきであった。僕も三、四十分のあいだ甲群から乙群、丙群から丁群と彷徨して、その様子を窺ったが、かたわらに巡査がいるでなし、しかもボストンのコンモンスといえば、市街の中央にしてかつマサチューセッツ州の州庁の鼻の先である。この時も先に述べたる共和党の大会と同じく、容易に逆上せぬこの国民にして初めて言論の自由も思想の自由も享有すべきものと思った。

現代語訳

「小学校の二年級からやりなおせ」 とか、 「じじい、おいぼれやがったな」 くらいの罵りはきっと聞こえるだろうとつくづく物思いに沈みながら、この群集を離れて旅館に帰ろうとすると、同じ公園の向こう側に、二、三百人もあろうかと思われる群集がかたまっていたので、そばにいた青年に、向こうの群集は何をしているのかとたずねると、 「あれですか、あれは社会党の人たちです。今日は日曜日なので、大勢集まっているのです」 と、ごくありふれた日常のことのような口調で答えた。これが日本であったなら、いろいろな嫌疑も受けるだろうが、自由の天地は違うと思いながら、私はそちらへ足を運んだ。すると二、三百人の連中は一つにかたまっておらず、二十人から五十人ぐらいずつ別々に集まっていた。どの集団も、先の地理学の新説を唱えていた男と同じように、会話の調子で互いの説を交換し合っている。 どの集団を見ても、少しも激している者はいない。大言する者もなく、嘲り笑う者もない。たいへん真面目で、さながら親の大病の診断を医者から聞いているような顔つきであった。私も三、四十分のあいだ、甲の群れから乙の群れ、丙の群れから丁の群れと歩き回って、その様子をうかがったが、そばに巡査がいるわけでもなく、しかもボストンのコモンズといえば、市街の中央で、マサチューセッツ州庁の目と鼻の先である。このときも、先に述べた共和党の大会と同じく、容易に逆上しないこの国民であってこそ、はじめて言論の自由も思想の自由も享受できるのだと思った。

解説

前節の続きで、新渡戸は日本ならこう罵られるだろうと想像し、公園の反対側で社会党の集会が数十人ずつの輪になって穏やかに語り合う光景に出会います。大声も嘲笑もなく、親の病状を聞くような真剣な顔つきで、近くに巡査もいない。そこで彼は、容易に逆上しない国民であって初めて言論や思想の自由を持ちこたえられると結論します。自由は制度だけでなく、受け手の落ち着きに支えられる、という見方です。現代の職場の自由闊達な議論も、感情を荒げない作法があって成り立ちます。
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この章句が説くこと

社会党言論の自由思想の自由逆上しない対話自由の条件

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