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自警録 / 第十四章 報酬以上の務め・報酬的思想なき夫婦の関係

人と人との交際に趣味のあるのとないのとは、金銭や物件で差引勘定の出来ないところにある。いわゆる商売以外のところにある。しばしばいうことだが、世の中は法治国である、法律で治まるというものもあるが、世の中は法律だけで治まるものでない。法律以外の関係があればこそ、人間らしい生活が出来る。 英国の一紳士にしてながく日本に滞在し、日本の婦人を妻とせる人がすこぶる日本贔屓で、種々の著述もして日本を世界に紹介した。さて数年前、有力なる某外人が外国の有力な新聞に一書を寄せて、外国人と日本人との雑婚を論難し、中にもっぱら夫婦間の法律上の不備ある点を述べて、財産の監理権あるいは遺産に関する条文を説いたに対して、この紳士が答えて長文を寄せた。 その最後の句において今まで述べたことは某に対する法律論に過ぎぬが、「他の人はいざ知らず、余が日本の婦人を妻とする理由は男女同権論とか財産権が如何とか、こういう水臭い関係より偕老の契りを結べるにあらず、夫婦間の関係は法律以外に属するものが多い。法律関係をまっとうするために同棲するものは真の夫婦にあらず」と。 この言を味わうと夫婦間の親密とか貞操なるものは、自分ら以外の者のほとんど知るべからざるものである。その間の務めは報酬なしに、あるいは法律観念なしに行われる、すなわち温かき愛情より溢れ出たもので、朝夕この間の関係をまっとうせんがために、こうすれば法に触れる、ああすれば「民法」何条に差支えないかといっていれば、一家存在の基礎がどうなるであろう。またよしかくのごとく冷淡に法律的制裁のみによりて動くほどに堕落しなくとも、夫婦間に報酬的思想をもって交あったとしたら、その間にいかなる社会が出来るであろうか。

書き下し

人と人との交際に趣味のあるのとないのとは、金銭や物件で差引勘定の出来ないところにある。いわゆる商売以外のところにある。しばしばいうことだが、世の中は法治国である、法律で治まるというものもあるが、世の中は法律だけで治まるものでない。法律以外の関係があればこそ、人間らしい生活が出来る。 英国の一紳士にしてながく日本に滞在し、日本の婦人を妻とせる人がすこぶる日本贔屓で、種々の著述もして日本を世界に紹介した。さて数年前、有力なる某外人が外国の有力な新聞に一書を寄せて、外国人と日本人との雑婚を論難し、中にもっぱら夫婦間の法律上の不備ある点を述べて、財産の監理権あるいは遺産に関する条文を説いたに対して、この紳士が答えて長文を寄せた。 その最後の句において今まで述べたことは某に対する法律論に過ぎぬが、「他の人はいざ知らず、余が日本の婦人を妻とする理由は男女同権論とか財産権が如何とか、こういう水臭い関係より偕老の契りを結べるにあらず、夫婦間の関係は法律以外に属するものが多い。法律関係をまっとうするために同棲するものは真の夫婦にあらず」と。 この言を味わうと夫婦間の親密とか貞操なるものは、自分ら以外の者のほとんど知るべからざるものである。その間の務めは報酬なしに、あるいは法律観念なしに行われる、すなわち温かき愛情より溢れ出たもので、朝夕この間の関係をまっとうせんがために、こうすれば法に触れる、ああすれば「民法」何条に差支えないかといっていれば、一家存在の基礎がどうなるであろう。またよしかくのごとく冷淡に法律的制裁のみによりて動くほどに堕落しなくとも、夫婦間に報酬的思想をもって交あったとしたら、その間にいかなる社会が出来るであろうか。

現代語訳

人と人との交際に趣があるかないかは、金銭や物で差し引き勘定のできないところにあります。いわゆる商売以外のところにあるのです。しばしば言うことですが、世の中は法治国で、法律で治まるというものもありますが、世の中は法律だけで治まるものではありません。法律以外の関係があればこそ、人間らしい生活ができます。 イギリスのある紳士で、長く日本に滞在し、日本の婦人を妻とした人がいて、たいへんな日本びいきで、種々の著述もして日本を世界に紹介しました。さて数年前、有力なある外国人が、外国の有力な新聞に一書を寄せて、外国人と日本人との雑婚を論難し、とりわけ夫婦間の法律上の不備な点を述べて、財産の管理権や遺産に関する条文を説いたのに対して、この紳士が長文の答えを寄せました。 その最後の句で、今まで述べたことは某氏に対する法律論にすぎないが、「他の人はいざ知らず、私が日本の婦人を妻とする理由は、男女同権論とか財産権がどうとか、そういう水くさい関係から偕老の契りを結んだのではない。夫婦間の関係は法律以外に属するものが多い。法律関係を全うするために同棲するのは真の夫婦ではない」と述べました。 この言葉をかみしめると、夫婦間の親密さや貞操というものは、当人たち以外の者にはほとんど知りえないものです。その間の務めは、報酬なしに、あるいは法律の観念なしに行われる、つまり温かい愛情からあふれ出たもので、朝夕この関係を全うしようとして、こうすれば法に触れる、ああすれば民法の何条に差し支えないかなどと言っていたら、一家が存在する基礎はどうなるでしょうか。また、たとえここまで冷淡に法律的な制裁のみで動くほどに堕落しなくても、夫婦間に報酬的な思想で交わったとしたら、その間にどんな社会ができるでしょうか。

解説

第十四章の結びで、新渡戸は報酬や法律で割り切れない関係の例として夫婦を挙げます。日本人女性を妻にした英国紳士が、財産権や男女同権といった水くさい関係で結婚したのではないと反論した書簡を引き、夫婦の務めは報酬も法の観念もなく、愛情からあふれ出るものだと説きます。当時の夫婦観を映す箇所ですが、損得勘定を持ち込まない関係の価値という点は今も通じます。職場でも、契約に書かれない信頼が、組織の土台になります。
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この章句が説くこと

法律以外の関係夫婦報酬的思想愛情偕老法治国

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