自警録 / 第十章 人生の成敗・成敗は世人の眼に見えぬ(2)
しかるに時には十里歩いたことをもって、非常なる成功と思って、僕は何か世に偉い奴であったごとくに賞賛する人もあろう。かくのごとき人は日ごろ僕が歩き不精であるから、一里行くのも珍らしいのに十里歩いたのはエライとほめる。しからざれば自分らが足が弱くてなかなか十里の道を遠しとしている連中ならば、これまたわが輩を誉めるであろう。そうでなければ、わが輩が歩いた道のことを詳しく知らぬ人が、よその人から聞いて、この道は非常に悪路である、嶮岨だとか、危険の多い道だとか信じている人は、わずか十里ながらもえらいところを行ったと思って、わが輩は非常なる成功をしたごとく思う人がある。しかるに実際は平坦な道を、荷物もなく折々休みながら、鼻唄うたって通ったに過ぎぬ。 しかるに世人の多くは十里歩いた人の話を聞いて成功とはなかなか言わない。まず第一に十里ぐらいはなんだと嘲りを心に催す。この種類の人も僕が出立するときに、今日は十里の散歩をしようと、心に定めたことを度外視してわが輩の遠足を測る。して十里の道ならば子供でもゆける、車引などは一日に三十里もゆく、普通の人間でもせめて二十里も歩かなければ、健脚を誇る権利はないなどという。わが輩は車引でもなく、また健脚を誇る考えのないことなどは心のうちにおかない。 古人の言に、 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」 とて、小人が英雄の心事を解し得ぬに譬えたが、この句は独り人物の大小の差を示すのみにあらで、小人と小人の間にも、大人と大人との間にも当たる言である。
書き下し
しかるに時には十里歩いたことをもって、非常なる成功と思って、僕は何か世に偉い奴であったごとくに賞賛する人もあろう。かくのごとき人は日ごろ僕が歩き不精であるから、一里行くのも珍らしいのに十里歩いたのはエライとほめる。しからざれば自分らが足が弱くてなかなか十里の道を遠しとしている連中ならば、これまたわが輩を誉めるであろう。そうでなければ、わが輩が歩いた道のことを詳しく知らぬ人が、よその人から聞いて、この道は非常に悪路である、嶮岨だとか、危険の多い道だとか信じている人は、わずか十里ながらもえらいところを行ったと思って、わが輩は非常なる成功をしたごとく思う人がある。しかるに実際は平坦な道を、荷物もなく折々休みながら、鼻唄うたって通ったに過ぎぬ。 しかるに世人の多くは十里歩いた人の話を聞いて成功とはなかなか言わない。まず第一に十里ぐらいはなんだと嘲りを心に催す。この種類の人も僕が出立するときに、今日は十里の散歩をしようと、心に定めたことを度外視してわが輩の遠足を測る。して十里の道ならば子供でもゆける、車引などは一日に三十里もゆく、普通の人間でもせめて二十里も歩かなければ、健脚を誇る権利はないなどという。わが輩は車引でもなく、また健脚を誇る考えのないことなどは心のうちにおかない。 古人の言に、 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」 とて、小人が英雄の心事を解し得ぬに譬えたが、この句は独り人物の大小の差を示すのみにあらで、小人と小人の間にも、大人と大人との間にも当たる言である。
現代語訳
ところが、ときには十里歩いたことを大変な成功と思って、私を何か世にも偉い者のように賞賛する人もいるでしょう。そういう人は、日ごろ私が歩くのを面倒がっているので、一里行くのも珍しいのに十里も歩いたのはえらいと褒めるのです。そうでなければ、自分たちが足が弱くて、なかなか十里の道を遠いと思っている連中なら、これまた私を褒めるでしょう。そうでなければ、私が歩いた道のことを詳しく知らない人が、よその人から聞いて、この道はたいへんな悪路だ、険しいとか、危険が多い道だとか信じている場合は、わずか十里ながらも大変なところを行ったと思って、私が非常な成功をしたように思う人もいます。ところが実際には、平らな道を、荷物もなく、ときどき休みながら、鼻歌を歌って通ったにすぎません。 一方、世の人の多くは、十里歩いた人の話を聞いても、成功とはなかなか言いません。まず第一に、十里くらい何だ、と心にあざけりを起こします。この種類の人も、私が出発するときに、今日は十里の散歩をしようと心に定めたことを度外視して、私の遠足を測ります。そして、十里の道なら子供でも行ける、車引きなどは一日に三十里も行く、普通の人でもせめて二十里は歩かなければ、健脚を誇る権利はない、などと言います。私は車引きでもなく、また健脚を誇る気もないことなどは、頭に入れてくれません。 古人の言葉に、 「燕や雀に、どうして大鳥の志が分かろうか」 とあって、小人が英雄の心事を理解できないことのたとえとしましたが、この句は、人物の大小の差を示すだけでなく、小人と小人の間にも、大人と大人の間にも当てはまる言葉です。
解説

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