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自警録 / 第十章 人生の成敗・彼は成敗よりも任務の遂行に力めた(2)

「今まではとにかくに敗も取らずに来たが、次の戦いはどうであるか、数より推せば、我が軍はとうてい北軍に比し難い。また兵站を考えれば、二日以後の食糧は、どこに求むべきか当てもつかず、冬が近づくが、兵士に靴のなき者が数千人、この秋風を凌ぐに毛布なき者が数万人である。しかし軍の成敗は天に在る。かくのごとく我々が苦しむのは、己れの求めて成す事にあらざる以上は、何事か天意のある事ならん。天父の慈愛に頼って、各自の任務に忠実なるより為すべき事はない」 と言う口調を洩らすことがしばしばであった。彼の考えには成と敗の区別が明らかでなかったように思われる。彼の心には勝負の考えがはなはだ弱かったごとくに思われる。ただ己れの義務と思うことを為した以上は、勝とうが負けようが、己れの関するところでないとの考えが充ちていたように思われる。 我が南洲翁もややおなじ境遇にあるの時、同じ意志を吐露した。翁が田原坂の戦いのころ、大山県令に寄せた書翰に曰く、 「もはや時勢も此に至り候てはさらに言語口舌をもって是非曲直を争い難ければ、腕力のほかこれなかるべし。しかし天下の事は成敗利鈍をもって相判じ候訳にはこれなく、小生は正をもって起こり、正をもって斃るること始めよりの目的に候。ワシントン、那波翁云々は中々小生輩の事にあらず、万一不幸相破れ屍を原野に曝し藤原広嗣等とその品評を同じゅうするも足利尊氏と成るを望まざるなり」

書き下し

「今まではとにかくに敗も取らずに来たが、次の戦いはどうであるか、数より推せば、我が軍はとうてい北軍に比し難い。また兵站を考えれば、二日以後の食糧は、どこに求むべきか当てもつかず、冬が近づくが、兵士に靴のなき者が数千人、この秋風を凌ぐに毛布なき者が数万人である。しかし軍の成敗は天に在る。かくのごとく我々が苦しむのは、己れの求めて成す事にあらざる以上は、何事か天意のある事ならん。天父の慈愛に頼って、各自の任務に忠実なるより為すべき事はない」 と言う口調を洩らすことがしばしばであった。彼の考えには成と敗の区別が明らかでなかったように思われる。彼の心には勝負の考えがはなはだ弱かったごとくに思われる。ただ己れの義務と思うことを為した以上は、勝とうが負けようが、己れの関するところでないとの考えが充ちていたように思われる。 我が南洲翁もややおなじ境遇にあるの時、同じ意志を吐露した。翁が田原坂の戦いのころ、大山県令に寄せた書翰に曰く、 「もはや時勢も此に至り候てはさらに言語口舌をもって是非曲直を争い難ければ、腕力のほかこれなかるべし。しかし天下の事は成敗利鈍をもって相判じ候訳にはこれなく、小生は正をもって起こり、正をもって斃るること始めよりの目的に候。ワシントン、那波翁云々は中々小生輩の事にあらず、万一不幸相破れ屍を原野に曝し藤原広嗣等とその品評を同じゅうするも足利尊氏と成るを望まざるなり」

現代語訳

「今までとにかく敗れずにきたが、次の戦いはどうなるか。数から推せば、わが軍はとうてい北軍に比べものにならない。兵站を考えれば、二日後からの食糧をどこに求めるか当てもつかない。冬が近づくのに、兵士で靴のない者が数千人、この秋風をしのぐ毛布のない者が数万人いる。しかし軍の勝敗は天にある。このように私たちが苦しむのは、自分から求めてなしたことではない以上、何か天の意志があってのことだろう。天の父の慈愛に頼り、それぞれの任務に忠実であるほかに、すべきことはない」 という調子を洩らすことがしばしばありました。彼の考えには、成功と失敗の区別がはっきりしていなかったように思われます。彼の心には、勝負という考えがきわめて弱かったように思われます。ただ自分の義務と思うことをなした以上は、勝とうが負けようが、自分の関わるところではないという考えが満ちていたように思われます。 わが南洲翁も、ほぼ同じ境遇にあったとき、同じ意志を吐露しました。翁が田原坂の戦いのころ、大山県令に送った書簡にこうあります。 「もはや時勢もここに至っては、言葉や口先で是非曲直を争うのは難しく、腕力のほかはないでしょう。しかし、天下のことは成敗や利鈍で判断すべきものではなく、私は正義によって起こり、正義によって倒れることが、初めからの目的です。ワシントンやナポレオンなどは、とても私どもの及ぶところではありません。万一、不幸にして敗れ、屍を原野にさらし、藤原広嗣らと同じ評価を受けることになっても、足利尊氏となることは望みません」

解説

リー将軍の手紙には、兵力も食糧も靴も毛布も足りない窮状と、それでも天に委ねて任務に忠実であろうという覚悟が並びます。新渡戸はここに、勝敗への執着が弱く、義務を果たしたかどうかに重心がある姿を見ます。西郷の書簡も、正をもって起こり正をもって斃れるとして、成敗を計らない点で重なります。結果が読めない局面で、成果指標だけに縛られず、自分の持ち場の務めを尽くすという支えの持ち方は、現代の逆風下でも参考になります。
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この章句が説くこと

リー将軍任務天意西郷南洲成敗義務

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