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自警録 / 第四章 外は柔、内は剛・やわらかく握るところに人生の真味あり

たびたびいう通り人世は多数の人とともに乗り合う渡船のごときものである。人とともにこの世を渡るには、おだやかに意気地ばらずに、譲り得るだけは譲るべきものと思う。僕のしばしば引用する『菜根譚』には、 「径路窄きところは、一歩を留めて、人に行かしめ、滋味濃かなるものは、三分を減じて人に譲りて嗜ましむ、これは是れ、世を渉る一の極安楽法なり」と。 また、 「世に処するには一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本」 といい、世渡りの秘訣は人に譲るにあることを繰り返してあるが、実にその通り。自分の権利を最大限度に要求することははなはだ卑劣に陥る所以と思う。不思議なもので、人生には理屈をもって説き得られぬことがたくさんある。沙翁の言にも、 「世の中には君の小さき哲学の夢にだも思わぬことが多い」 と、昔時の物語にもある通り、出来るだけの力をもってなるべく多く握らんとすれば、かえってわずかの分量しか手に入らぬ。やわらかく握るほうがかえって多く握れる。これはむろん攫む工合いにもよりけりであるが、ここに述べたのは粟とか米とかの例に用いたものである。鉄棒とか金棒とかならば、また例を変えねばなるまいけれども、恐らくこの世における幸福なるものは粟、米のごときもので、やわらかく握ったほうが余計に攫み得るものではあるまいか。権利とか名誉とか利益とかいうものであれば、他に握りようもあるか知らぬが、僕は人生の妙味とか真の幸福とかを重く思うから、むしろやわらかく握って、すなわち自分は引っ込む態度でなるべく人に譲るをもって人生の真味を味わい得るものと思う。 前にいった宗教家なる知人が、おとなし過ぎて惜しいと批評を受けたのも、もっともなことである。基督教のごとく、柔和を旨とする宗教にては、はでなことがはなはだ少ない、喧嘩も少なければ、議論も少ない。ドラマチックのことがはなはだ稀なるゆえ、世の見物人より喝采を受けることなくして世を過ごすが、しかしなお華麗に世を渡るよりはこの方がかえって人生の真味を味わわれると思う。

書き下し

たびたびいう通り人世は多数の人とともに乗り合う渡船のごときものである。人とともにこの世を渡るには、おだやかに意気地ばらずに、譲り得るだけは譲るべきものと思う。僕のしばしば引用する『菜根譚』には、 「径路窄きところは、一歩を留めて、人に行かしめ、滋味濃かなるものは、三分を減じて人に譲りて嗜ましむ、これは是れ、世を渉る一の極安楽法なり」と。 また、 「世に処するには一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本」 といい、世渡りの秘訣は人に譲るにあることを繰り返してあるが、実にその通り。自分の権利を最大限度に要求することははなはだ卑劣に陥る所以と思う。不思議なもので、人生には理屈をもって説き得られぬことがたくさんある。沙翁の言にも、 「世の中には君の小さき哲学の夢にだも思わぬことが多い」 と、昔時の物語にもある通り、出来るだけの力をもってなるべく多く握らんとすれば、かえってわずかの分量しか手に入らぬ。やわらかく握るほうがかえって多く握れる。これはむろん攫む工合いにもよりけりであるが、ここに述べたのは粟とか米とかの例に用いたものである。鉄棒とか金棒とかならば、また例を変えねばなるまいけれども、恐らくこの世における幸福なるものは粟、米のごときもので、やわらかく握ったほうが余計に攫み得るものではあるまいか。権利とか名誉とか利益とかいうものであれば、他に握りようもあるか知らぬが、僕は人生の妙味とか真の幸福とかを重く思うから、むしろやわらかく握って、すなわち自分は引っ込む態度でなるべく人に譲るをもって人生の真味を味わい得るものと思う。 前にいった宗教家なる知人が、おとなし過ぎて惜しいと批評を受けたのも、もっともなことである。基督教のごとく、柔和を旨とする宗教にては、はでなことがはなはだ少ない、喧嘩も少なければ、議論も少ない。ドラマチックのことがはなはだ稀なるゆえ、世の見物人より喝采を受けることなくして世を過ごすが、しかしなお華麗に世を渡るよりはこの方がかえって人生の真味を味わわれると思う。

現代語訳

何度も言うとおり、人の世は、多くの人と乗り合わせる渡し舟のようなものです。人とともにこの世を渡るには、穏やかに、意地を張らず、譲れるだけは譲るべきだと思います。私がしばしば引用する『菜根譚』にはこうあります。 「道が狭いところでは、一歩を退いて人を通らせ、味わいの濃いものは、三割を減らして人に譲り味わわせる。これは世を渡るもっとも安楽な方法である」 と。また、 「世に処するには、一歩を譲るのが高い道であり、歩を退くのは、じつは歩を進めるための元手である」 と述べ、世渡りの秘訣は人に譲ることにある、と繰り返し説いていますが、まことにそのとおりです。自分の権利を最大限度まで要求するのは、卑劣に陥るもとだと思います。不思議なもので、人生には理屈で説明できないことがたくさんあります。シェークスピアの言葉にも、 「世の中には、君のささやかな哲学の夢にも思わないことが多い」 とあり、昔の物語にもあるとおり、できるだけの力でなるべく多く握ろうとすれば、かえってわずかな量しか手に入りません。やわらかく握るほうが、かえって多く握れるのです。これはもちろん握り具合にもよりますが、ここで述べたのは、粟とか米とかの例えです。鉄の棒とか金棒であれば、また例を変えなければなりませんが、おそらくこの世の幸福というものは、粟や米のようなもので、やわらかく握ったほうがよけいにつかめるのではないでしょうか。権利とか名誉とか利益とかいうものなら、ほかに握りようもあるかもしれませんが、私は人生の妙味や真の幸福を重んじますので、むしろやわらかく握って、つまり自分は引っ込む態度で、なるべく人に譲ることで、人生の真味を味わえると思います。 前に述べた宗教家の知人が、おとなしすぎて惜しいと批評されたのも、もっともなことです。キリスト教のように柔和を旨とする宗教では、派手なことがごく少なく、喧嘩も少なく議論も少なく、劇的なことがごく稀ですから、世の見物人から喝采を受けることなく世を過ごしますが、それでもなお、華やかに世を渡るよりは、このほうがかえって人生の真味を味わえると思います。

解説

新渡戸は『菜根譚』を引き、人生の幸福は粟や米のようにやわらかく握るほうが多く手に入ると述べます。道を譲り、取り分を減らすことが、結局は自分の安楽につながるという考えです。ここでいう握り方の比喩は、権利や利益の最大限の主張を戒めるもので、すべてを譲れという意味ではありません。現代の交渉や職場でも、取り分を取り尽くす相手とは長続きしません。余白を残す人の周りには協力が集まります。目先の利益と、積み重なる信頼のどちらを握るかを考える一節です。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

渡し舟菜根譚一歩を譲るやわらかく握る人生の真味柔和

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